4話 場数の差
京都ですね。
ブーブーブー
三度目のバイブレーションで、MEGに表示された通話のボタンを押す。
「彩音です。」
「おう。じゃあ、定時連絡!」
「はい。現在十五時三十分。イエローブロック東部を歩哨中。不審な人物なし、不審な痕跡なし。問題ありません。」
「了解。」
もう何度目かもわからない短いやり取りを終えて、MEGをポケットにしまう彩音。
guilty silenceのメンバーが京都に来てから三日が経過していた。
会議を明日に控えながらも、いまだに手掛かりになるものはゼロ。
早いと今日の夜にも京都入りする出席者がいるのにもかかわらず。
つまり、非常にまずい状況だった。
作戦に携わっている者としてどうにかしたいのは山々だが、できることと言っても歩調を速めることくらいしかできない。
もちろん彩音も同じ考えで、不自然にならない程度の早歩きで移動しつつ、目だけを動かしてすれ違ったり追い抜いた人の顔や服装などを確認していく。
guilty silenceの担当する範囲は観光スポットがある地域ではない。
その為、観光客が少なく、道を歩いている人のほとんどが地元の住民や学生だ。
夕食の買い物だろうか、片手に食料品が入ったビニール袋を持って歩いている中年の女性。違う。
学生鞄とラケットケースを持って二人組で歩いている部活帰りの女子高生。違う。
仕事の休憩中、作業服姿で外に缶コーヒーを買いに来た工事現場の職人さん。違う。
そしてついに彼女は見つける。
「あの人…。」
それは彩音のような立場にあり、情報を持っている者にしかわからない、かすかな違和感を携えた後姿。
ただそれだけでも彩音が尾行の対象を決定するのには十分すぎた。
長くて、奏と同じように真っ黒な髪、すらっとしたスタイル。
服装は上が夏物のジャケット下がスキニージーンズという格好。そんな若い女性だ。
そこまではいいのだが……。
(問題はあの背中にある物。)
その女性は細長くて、布でできた袋を背負っている。
それは剣道で使う竹刀を持ち運ぶときに使うケースで、街中で持っていようが注意されるようなことはないだろう。
しかし、剣道は竹刀だけでできるものではない。
本当に剣道をやる人ならば竹刀の他にも道着や防具を持っているはずだが、彼女にそれは当てはまらない。
絶対にないこととは言えないが、このタイミングと併せて考えると不審なこと極まりない。
報告する前に、もっと信憑性の高い証拠を見つけなければならないので、彩音は一人で尾行を開始する。
気づかれないようにある程度の距離を取って何食わぬ顔でついていく。
尾行をする際は普通の通行人を装いながらも顔を見せないことが大事で、ディスクが真っ黒なままのMEGを見ながら歩いているのもそのためだ。
そんな感じで七分ほど歩いていると、女性は細い脇道に入っていった。
(一度も振り返ってはいないからバレてはいないはず…。でも、そろそろ奏先輩に指示を仰ごう。)
そう考えた彩音は女性が通路の先で右に回ったことを確認してから、奏に電話するために今度は本当にMEGの電源を入れながら歩き始める。
女性が曲がった角で再び止まって先を確認して、思わず奏の電話番号を押そうとしていた指を止めてしまった。
(いない!さっきのペースのまま入れる脇道はない。つまり……。)
恐る恐る彩音が振り向いた先には、ブーツをコツコツと鳴らしながら近づいてくる女性が一人。
スマートな体系に長い髪、間違いなくさっきまで彩音が尾行していた相手だ。
尾行している間、顔は見えなかったので、生で彼女の顔を見るのは初めてだった。
だが、彩音は彼女を写真では見たことがあった。
それは新幹線で京都に向かって移動しているときに奏が覚えておけと言ったブラックリストだった。
ゆっくりと、しかし着実に彩音に向かって歩いてくる彼女を改めて見る。
後ろから見たときは普通の黒髪ストレートだったが、耳の前に少しだけ残された髪だけが赤く染められていて、目じりが上がった鋭い目つきと合わさって好戦的な雰囲気を作り上げていた。
(間違いない。ブラックリストの三十ページくらいに載っていた片桐って苗字の人だ。)
彩音から五メートルほどの距離を残して立ち止まり、女性にしては少し低めの声で彩音に問う。
「私に何か用か?」
彩音は迷う。
この場はごまかして応援を呼ぶか、自力で彼女を拘束して京都支部に連れて行くか。
彩音は後者を選ぶ。
おそらく片桐は、回り込んだ時点で彩音にごまかす余地は残していない。
彩音は着信を知らせて振動するMEGをポケットにしまう。
(もし、私が捕まえられなくても奏先輩達がいるから大丈夫。
戦闘になって負けちゃったときは…。
その時はその時!
今までできなかった仲間もできた、ここで変わって見せる。
怖気づくな私!)
彩音は心の中で自分に活を入れてから、精一杯の虚勢を張って片桐の問いに答える。
「少しお話があります。
持ち物をこちらに渡し、私についてきていただけませんか?」
「従わない場合は?」
片桐は微動だにせずに彩音の問いに答える。
「何が何でもついてきていただきます。」
彩音が片桐を睨み、片桐は『ん~』と小さく唸る。
「五メートルだが、いいのか?」
「はい?」
てっきり攻撃してくると思っていた彩音は、拍子抜けして素の返事をしてしまう。
しかし、この五メートルの意味は重かった。
「五メートルは私の必殺領域だ。
五メートル以内にいる相手ならば、例えどんな武器を持っていようとも私に勝つことはできない。」
「こちらには拳銃がありますよ!」
できればワードすら出したくなかった銃だが、この状況なら仕方がないと判断した彩音だったが…
「それでもだ。」
「!!」
彩音は言葉も出なくなってしまう。
気づいてしまう、場数の差に。
「そちらから来ないのなら、そろそろいいかな?
わたしも時間があるわけではないんだ。」
そう言うと、片桐は刀を出さずに低い姿勢で走り出した。
それに応え彩音も構えを取る。
あるとは言ったものの、誰かが入ってくる可能性がある状況で銃は使えないのだ。
一撃目は首への手刀。しゃがんで躱す。
彩音は足払いをかけようとするが、彼女の肩に手をつき前方倒立回転の要領で頭の上を飛び越えられてしまう。
急いで振り替えろとした直後、頭に強い衝撃が走る。
相当重かったようで、たった一撃で意識が朦朧として、視界がくらんでしまう。
「脇差、袖の、中に、隠し、てた…。」
「柄頭で殴っただけだから、死にはせん。
初戦の相手が私でよかったな、
お前を殺す気はないから安心しろ。
まあ、エサにはさせてもらうがな…って、聞こえてないか。」
気絶しながらもかすかに震える彩音の手を持ち上げて、ぐったりしても軽い体を背中に背負う片桐。
「お前は何のために強くなりたいんだ?」
片桐は答えが返ってこないことをわかっていながらも、彩音につぶやく。
その顔は彩音に対して貫いてきた無表情ではなく、どこか悲しそうで申し訳なさそうで、
寂しそうな顔だった。
ついに片桐さん登場!
と、かってに作者は喜んでおります。