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神様みたいな男

 


 ずっと、“イイコ”が評価される世界が嫌いだった。


 大人はみんな“正しいコト、良いコトをしなさい”と説く。

 それがどうしてか嫌だった。不快だった。

 肌がピリつくような不快感が、常に身体中にまとわりついていた。

 大人の言うことはどれも不明瞭で、とっても気持ちが悪い。



「お母さんの言うことはしっかり聞きましょう」

「お父さんに迷惑をかけないようにしましょう」

「挨拶はきちんとしましょう」

「お友達とは仲良くしましょう」

「妹は守りましょう」

「常に周りに優しくしましょう」

「良い子でお留守番していましょう」


「「「いつも優しい、イイコでいましょう」」」



 なにそれ、嫌だ。


 だってそれは貴方あなた達の望みで貴方達の持論だ。私には何の関係もないし、果たしてやる義理もない。なのになぜ貴方達の理想を、“イイコ”を押し付ける?

 そう言うと、大抵の人間はいきどおる。

 なんて失礼な子供なんだと、お前のために言っているとか、人の心が無い化け物だとか。

 誰かが私を罵り、遠巻きにするたびに、私は笑った。



 だって馬鹿馬鹿しい。だって憐れだ。



 小学校の頃もいた、同じクラスの子の話をしよう。

 周囲から“イイコ”と評価されるその子は、みんな絵に描いたような善人だった。優しくて真面目で礼儀正しくて、いつもみんなの中心でにこにこ笑ってる。

 勉強も運動も平均以上にできて、学級委員なんかもやってて。

 先生にも友達にも頼りにされてて、その子がいるだけで場の空気が良くなるような“イイコ”。

 目が合ったら誰でもふんわり笑いかけてくれるような、“イイコ”。



 私はわらった。



「かわいそっ」



 心底憐れで可哀想で、笑ってしまうほどの“イイコ”だった。


 毎日毎日“イイコ”としての期待を掛けられて、いくつもの役目をこなして期待に応えて。見るからに不潔な陰キャのオタクにもちゃあんと目を逸らさず笑いかけて? 人目がある場では常に誰かの相手をさせられて。

 これを可哀想以外になんと表現すれば良いのか。

 クラスの中心で笑うその子は、私の目には期待と信頼という名の鎖で雁字搦めにされて、動けぬように床に縫い付けられているように見えた。

 常に期待に応えて“イイコ”でいるなんて、面倒だし苦痛だろう。あぁ可哀想に。


 だったら私は“イイコ”じゃなくていい。歪んだ異常者でいい。化け物の“悪いコ”でいい。それがいい。

 いつだって“悪いコ”が一番自由で、眩しくて、美しく見えた。

 多少強引でも周りを巻き込んで自分の思い通りにして、自分のやりたいことを貫き通して。

 羨ましかった。周囲の声を気にしないその姿に憧れた。


 ……でも、私はそう器用に周囲を切り捨てられるほど、強くなかった。

 だから周りに何かを言われたくなくて、必死に“イイコ”を演じた。

 お母さんの言うことをちゃんと聞いて、お父さんに迷惑かけないように気をつけて、すれ違う人みんなに笑顔で挨拶して、クラスメイトには笑いながら話しかけて家では妹の意見を優先して誰にでも優しくしてお利口さんにお留守番して。

 何をするにも「“イイコ”ならどうするか」と考えてから動くようにした。

 そうしたら、周囲からの評価はどんどん上がっていった。



琴葉ことはちゃんは本当に“イイコ”ねぇ」

杉宮すぎみやさんに任せておけば安心ね!」

「杉宮さーん! この問題教えて!」



 誰からも頼りにされて、慕われて、期待されて。

 息の仕方も忘れたような心地だった。

 苦しくて嫌で辛くて泣きたくて嫌で逃げ出したくて嫌で嫌で嫌で嫌で。


 まあつまり、端的に言えば。




「しにたい」




 そういうことだった。



 そんな、辛くて苦しいある日の放課後のことだった。

 その日のことは、まるで目の前に透明な膜を張られたように現実味がなく、上手く光景の描写ができない。



 道路に子供が飛び出した。トラックが走ってきた。運転手は眠っていた。

 子供が転んで怪我をした。子供は泣き喚いて動かなかった。そこにトラックが迫っていった。

 周囲の大人は誰も動かなかった。時間がなかった。



 私は疲れていた。だから血迷った。()()()()()()


 “イイコ”ならどうするか考えて、飛び出した。

 子供を突き飛ばして、今度は私が転んだ。


 自分が今何をしたのか、次に何が起こるのか理解したその瞬間、全身に今まで感じたことのないほどの衝撃が走った。



 全身を迸る激痛、口から溢れる真紅の液体。鼻腔を刺激する鉄臭ささ。

 周囲の悲鳴。子供の泣き声。遠くから聞こえる“オトモダチ”の絶叫。

 額を、口元を伝って溢れていくその赤色を、どこか呆然としながら感じた。



 ……本当に、あの時の私は血迷ったとしか言いようがなかった。

 自分を犠牲に子供を助ける、なんて。



 なんて、馬鹿馬鹿しい。これで死んでしまったら、なんてつまらない死に方なんだ。

 ……そう思いながらも、心のどこかで安堵している自分もいた。

 あぁ、ようやく死ねるんだと。ようやく解放されるんだと。



 誤魔化しようのない確かな喜びを胸に、私は静かに目を閉じて、私の意識は途絶えた。














「私って不死鳥の子孫だったりするのかな」

「突然どうした小娘」



 ふと思ったことを運転席に座る彼に溢せば、意味不明とでも言いたげな視線を向けられる。



「いや、思っただけ」

「そうかよ」



 ……いや会話続かんな。

 まぁいいかと窓の外を見ると、沢山の木々が生い茂った山中だ。うーん壮観。

 でも私は山より海派なんだよなぁ。虫いるし。

 手にしたポップキャンディの表面を舌で舐めつつ、数年前の出来事に思いを馳せる。



 二年前の交通事故。

 私はあれで死なず、奇跡的に生還した。

 病院で目覚めた時には、それはもう絶望した。


 だって死ねなかった。また地獄のような生活が待っている。そう思うと逃げ出したくてたまらなかった。


 その上、私はの事故で右腕と左脚を失い、左目の視力も半分ほどに落ちてしまっていた。

 これで絶望しないわけがない。


 本当に、神様の意地悪。

 どうせならあのまま殺してくれればよかったのに。



 あまりのことに私の心は悲鳴をあげて―――私は病院を脱走した。



 手近にあった棒を松葉杖代わりにしながら近くの小山まで行けたのは奇跡だったと思う。

 病院の人間達に目覚めたことを気づかれる前に抜け出せてよかった。



 ……でも、理性のない野生の獣がうようよいる山に満足に動けない女のガキが一人なんて、獣の餌になる未来しか見えない。

 再び絶望して項垂れていたその時、またしても素晴らしい奇跡が起こった。




『なーにやってんだぁ、お前。自殺志願者かあ?』




 死を待つばかりの私の目の前に突然現れた彼の、あまりの美しさに、私は馬鹿みたく口を開けて見惚れた。



 なんて美しく綺麗でカッコいいんだろう。まるで神様でも見ているかのようだ、と。

 神様が私を迎えに来てくれたんだと本気で思った。



 ほうけたように地べたに座り込んで見上げることしかできない私を、彼はどうしてか気に入ってくれて、私を拾い上げてくれた。

 後に聞くと、彼はいわゆる元ヤンだったらしい。顔の大きな傷は喧嘩の最中にできたんだ、と笑っていた。


 彼は私に新しい名前と綺麗な銀色の義手と義足を与えてくれて、喧嘩の仕方も教えてくれた。

 やっぱり彼は神様だ。こんなにも素晴らしい人間は他にいない。彼を想うだけで恍惚としてしまう。

 でもそんな感情を表に出したら気持ち悪がられてしまうかもしれないから、彼の前ではできるだけ平静を装っている。

 効果があるかはわからないけど。



「ところで、これどこ向かってんの? いい加減教えてくれても良くない?」

「着いたら教えるっつってんだろ。黙って運ばれてろ」



 ア゜待って声良い好き。


 なんでこの人こんなかっこいいんだろう。粗雑な言葉遣いすら男らしくてカッコ良すぎ死にそう。素晴らしすぎない? 神様だからかな。だとしたらきっと奇跡を司る神様だねいくら貢げば良いですか。


 あとそこの、神に向かって舐めた口きいてんじゃねぇと思っているそこの貴方。私も同意見です。奇跡の神様にタメ口とか私何様なんだろう。お巡りさん私です。

 でもこれは仕方ないんだよ。だって敬語を使おうとしたら「俺のこと嫌いなんか……」ってシュンってされながら言われたんだもん! ペタって垂れた仔犬の耳が見えました可愛かったです被告人からは以上ですゥ!!


 そんな罪深き罪人の私、現在神様直々にどこかへ運ばれている最中です。ガタガタの山道を車でガッタガッタと進んでいく。

 いや、うん。神に運転させるとか本当に申し訳ないんだけど……私まだ十七歳だから、免許取れなくて……。

 ちら、と運転している彼を横目で盗み見る。



 短く刈り上げられた黒髪に、切れ長の目から刺すナイフのように鋭い視線。アスリートにも負けないしなやかで硬い筋肉を纏った長身で、顔から左の首筋にかけて大きな傷痕がある。

 薄く形の良い唇の端はどこか皮肉気に上がっていて、大人の色香を醸し出している。もう四十手前の男性とは思えない雰囲気。



 …………カッコ良すぎて死ねる。



「おら、着いたぞ」



 あまりのカッコ良さに悶えている間に、目的地に到着したらしい。

 モタモタとシートベルトを外していると、先に運転席から降りた彼が助手席側の扉を開けてくれる。気遣いが神すぎて心臓破裂しそう。

 畏れ多くも手を借りて車を降りると、まだ森の中だ。でも少し先に壁のような人工物が見えるから、森の入り口辺りか。

 少し足を進めて、よく見ようと木々の間から顔を出す。




「…………………………………………えっ?」

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