特攻隊員への敬意と追悼と特攻兵器を賛美するのは別というお話
特攻隊というと感動する日本人。そろそろ深く考えませんか?
先ごろ、自分は特攻隊員の生まれ代わりだ!と自称する少年が現れた。
なろうの小説ではありません。マジな話です。
先日検証番組とかいうやらせ・でっちあげテレビ番組が
ありやたら気持ち悪く持ち上げていたそうで。
もちろん局はフジテレビという話もあり、ああ。
そう。はい解散!解散!な話だったのだが。
まるで幸福の科学の霊言ネタのようなコトであったが、
これがイタコ芸でもなく
母子でスピリチュアル講演会よろしく有料で「お客」を集めているそうな。
エライ世の中になったものである。
生まれ変わりのモトネタの方と同じ部隊だった元特攻隊員のおじいさんは
ひどく憤慨していて、それはそうだろうと思ったのだが。
筆者が問題にしたいのは、このエセ母子がやっている事が
お金儲けになってしまう日本人の意識についてである。
たしかに特攻隊員の方は気の毒であり、国家と戦争の犠牲となり
その自己犠牲と献身に対しては限りない敬意と
追悼・哀悼を贈りたいと思っている。
だが、その乗り物となった特攻兵器、桜花だの回天だの特攻兵器については
クズゴミ以下のガタクタであり兵器というにもおこがましい
人殺しの棺桶以下の鉄くずで資源の無駄と人命を省みない
設計思想と悪意に日本の史上における黒歴史と最大の汚点と認識している。
また、このような戦略・戦術を立案・作戦・遂行・
実行した国家・軍部・政治指導者は日本国民への虐殺の
戦争犯罪で等しく今からでも縛り首にすべきだと思うのが
筆者のウソ偽らざる心情である。
また特攻隊員をいたずらに美化・賛美し
特攻作戦を正当化するようなヤカラは人間のクズであり
このような見識と良識のない人間のために
初歩の軍事学と近代戦における兵器・兵站・兵員運用を
義務教育にいれたほうが良いのではないか?と真面目に考えてしまうのである。
まず特攻作戦というシロモノがどのようなものか「解体」しよう。まず軍事作戦としては。
1、攻撃成功・失敗にかかわらず兵員損耗率100% 帰還率0%の 継戦不可能な作戦である。
2、おおよそ基本の部隊戦術・補給・兵站無視の玉砕戦で、作戦成功を前提としていない。
3、戦力を随時減退必至で、装備・兵器・人員を作戦の都度部隊単位で喪失する。
4、戦闘機パイロットという軍の下士官であり教育・教養・技術・見識のあるプロの職業軍人の養成コストをドブに捨てて、さらに欠員の教育育成コストを考えない。
5、結果は戦果は敵の戦略目標攻略挫折や、撤退、作戦中止にいたらず、戦術面でも敵方の戦意や目標攻略を止めるには至らなかった。どういいつくろうが特攻戦術は失敗だったのである。
反論する方に言いたい。特攻隊員の犠牲で連合国首脳や軍のトップは考えを変え、講和や条件を下げた降伏や、政治・軍事状況を変えるに至ったか?と。結果は真逆であり日本はさらに悲惨な事態になったのが結果であり。非常に無念残念な事に至るのである。
肝心の戦果であるが、有人ミサイルともいえる特攻機の命中精度は最低で16%で最大初期で27%の撃沈率である。250kgから500kgの爆弾を搭載する特攻機は動きが遅くなり、本来こういった兵器なら小型化・操縦の簡易化・速力向上や軽量化に努めるものだが特攻機は操縦士のソフトウェアと戦術に全振りというブラックを超えた無茶振りというコトを戦時中ということでやっていた。戦術としては艦隊の目であるレーダーピケット駆逐艦をまず潰し、続いて高高度から待機していた特攻機が急降下で戦術目標である戦艦や空母に体当たり特攻するという毎回パイロットを使い捨てにする狂気の戦術であった。ただし戦艦や空母のバイタルパートに命中し撃沈というコトには至らず、この狂気戦術は連合軍の士気や指揮系統や作戦進行にダメージを与え、いわゆる「時間稼ぎ」にはなったのである。戦果としては「艦隊にダメージを与え、指揮系統の混乱・士気の低下・作戦進行の遅延」という結果であるが、それは連合軍の強烈な報復感情と、より巨大な物量と言う結果で返されるのである。東京大空襲や日本の民間都市爆撃、民間人への米軍機の攻撃殺傷・沖縄戦の苛烈さ、そして原爆投下。これらを正当化するための事由と動機が「カミカゼ」にないか?と問えばとても無いとはいえない狂気と「国民の命をもって必死の兵器としても戦争を遂行しようとする軍事国家への軍事制裁とその国家の解体」という連合国の国家戦略が選択されたとすれば我々日本人は彼らにどう反論できるのか?という深刻な問題が発生するのである。特攻という戦術の選択は国家の正当性を揺るがせにするモノであり、民主国家やそれを標ぼうする国ならナチズム以上に国民を虐殺するような政体は解体すべきという大義名分が立ってしまうのである。
この特攻戦術という初期であれば「ビキナーズラック」つまりは初見殺しのゴロマキのような戦術は当初こそ戦果を挙げたが、対策や連合国側の兵器性能の向上と、より多くの物量と砲弾と駆逐艦の数によりその戦術は圧殺されていくのである。そもそも特攻戦術が頻繁に運用されるのはサイパン陥落つまりは日本の敗色が濃厚となってからで、ここからは筆者の仮説となるが、まずもって特攻戦術は日本の上層部がとった戦略としては「明らかな時間稼ぎ」であること。もうひとつは「内政内務特務としての特攻戦術の選択」という日本の暗部に言及しようと思う。
日本が特攻戦術を頻繁に使いだしたのはサイパン陥落からであることは明らかだが、この戦術が「時間稼ぎ」であることとソ連のスターリンの赤軍粛清、中共の毛沢東の文化大革命のような性質を帯びていたのでは?という疑惑である。まず陸海軍の戦闘機パイロットというのは軍における下士官であり、教育・教養・技術と見識のある職業軍人でありその階級は兵員を指揮命令できる位階を持っている。敗色濃厚な日本においてこれらの軍人たちが命令拒否や反駁、ついには反乱・内乱を起こすような動きとなったら?当時の内閣は統制派と呼ばれる東條英機が総理であり、二二六事件からその可能性と危険性を排除するための方策をあらゆる方面から惜しまなかった。皇道派は排除され、統制派にたてつく軍人は前線送りや左遷の憂き目に遭い、それらは「国体護持のため」と正当化された。このような性質の政体が戦争が敗色濃厚となり、自分らの生命におよぶ責任追及や、それに対して権力で弾圧し、さらに先の深刻な事態が想起された場合。彼らはどのような思考と結論に至ったかという最悪の想像をしてしまうのである。満州事変からの軍部優位の暴走、戦時国際法からの逸脱行為、世界に先駆けての戦略爆撃、沖縄における軍隊の暴走と狂気。敗色濃厚な追い詰められた事態と、戦争の狂気が「国体護持のため」という錦の御旗を得て至った戦略。つまりは「終戦までの敵方連合国軍への時間稼ぎと恫喝および、反乱内乱を未然に防止するための方策としての特攻作戦展開と人員選別」これが特攻隊の当時の日本の国家戦略としての真相ではないか?と。
特攻隊を権力・体制側へ批判批難する言論に対して彼らは決まってこう言う「今現在の民主主義・人権の認識が通る時代ではなかった。戦争の狂気と追い詰められた状況が日本全体をこのような空気に駆り立てたのだ。しかたの無い事だった。今更責めても意味の無いことだ、当時の最善であったことを考慮してほしい」と。そうでしょう。そうでしょう。だからこそ。地獄の地獄。最悪の最悪が。そう「いともたやすく行われるえげつない行為」が国家上層で正式な国家戦略として選択されたとしても何の不思議はないのである。
特攻隊や、特攻隊員を御涙頂戴や、ルサンチマン、日本の誇りだ、はては自己犠牲の美徳だともてはやし、犠牲者を美化する。ウルトラマンでのジャミラの犠牲にアラシ隊員が糾弾した言葉がよみがえる。「犠牲者はいつもこうだ。文句ばかりは美しいけれど。」その軽薄で恥知らずで、愚劣なロマンや幻想を
カネを払ってまで見たいという事態に戦後の「教育」とやらの効果を筆者は戦慄と呆然と落胆を禁じ得ないのである。
真実は苦く。その想起と指摘にはが殺意がわくぐらいのレベルがある。だが、幻想は解体しなければならない運命にあり、政治と経済には常にリアリズムこそが優先される。それが失われた場合、滅ぶしかない。