紅茶に同じ飴を
その日の夜、麻紀子から電話があった。
「今日は勝手に二人を呼んでごめんね。今日私が由花と会う事をアイツが話したみたいで、刈谷くんから「どうしても参加させてほしい」って頼まれたんだ。「由花は別れたばっかだし、無理じゃない?」って言ったんだけど、ねばられてさ〜。
今でも由花の事忘れられないなんて、なんか可哀想になっちゃってね。刈谷くんがあのバイト先で二年間、頑張って由花を誘うたびに玉砕してきたの見てたしさ。呼んであげちゃったんだ。
勝手に誘って気を悪くさせてたら本当ごめんね」
由花が怒っていない事を知っているのだろう。
麻紀子の声が笑っていた。
「まあでも刈谷くんは、私的にはお勧めかな。由花は五十嵐くんしか見てなかったから知らないと思うけど、刈谷くん、割と女子に人気あったんだよ?でも由花一筋で、ずっと由花に振られ続けて、ずっと彼女いない寂しい男だったし。
あんだけ振られたのにまだ由花の事を好きだなんて、なんか執着めいて怖いけどね。でも由花はそのくらい一途な人の方が好きでしょう?」
麻紀子の言葉は失礼だけど、由花は「違うよ!」と言い返せない。
確かに麻紀子の言葉は当たっている。
由花はなかなか人を好きになる事はないが、誰かを好きになった時は、好きな人しか見えない。
同じように好きな人にも、由花だけを見ていてほしいと願ってしまう。
これから刈谷くんを好きになるかは分からない。
だけど自分でも意外に思うが、(刈谷くんの気持ちは嬉しいかも)と思ってしまう。
由花は、ずっと変わらない気持ちでいる事の難しさは知っている。
だからこそ、変わらない思いを持ち続けてくれた刈谷くんは、(信じてもいい人じゃないかな)と思えた。
ふと、「刈谷くんって明るいのに軽くないし、本当に良い子だよね〜。断然この店の「結婚したい男」No.1だよ」と、刈谷くんを大絶賛していた斉藤さんの言葉を思い出して、由花は小さく笑う。
「うん……まあ、そうかもね」と素直に認めて、レモン飴を入れた紅茶をスプーンでカラカラとかき混ぜると、ふわりとレモンの香りが立ちあがった。
飴を入れた時も、こうしてカラカラと飴を混ぜている今も、紅茶に飴を入れる事を教えてくれた刈谷くんを思い出している。
刈谷くんと二人で出かけるようになって、新しく気づいた事がある。
二年もの間同じ店で働いていたし、斉藤さんの「刈谷くん観察情報」を日々聞かされていたので、彼の事はよく知っていると思っていたが、更に知った事があった。
それは「好き」の感覚が似ている事だ。
ランチメニューを見ながら、メイン料理もデザートもドリンクも同じ物を指差していた。
街を歩いていても、「あれいいよね」「ああいうの好きかも」と目にとまる物は同じだし、同じ本が好きで、同じ音楽が好きだった。
「長く付き合うちに、好みが似てくる」というのではなく、最初から惹かれるものが同じなのだ。
「これいいよね」と話す会話に共感しかなくて、なんでもない会話がとても楽しかった。
「今日の朝の紅茶の飴はマスカット飴にしたんだ」
「あ、いいよね。俺もマスカットティーも好き。今日は帰ったらそれにしようかな」
飴に紅茶は、仕事先のお店でも由花だけの飲み方だ。
休憩の時に、当然のように紅茶に飴を入れる由花を見て、「また飴?」と笑われるが、誰も「それいいね」と言って由花の真似をしようとする人はいない。
紅茶に飴を伝授してくれた刈谷くんと、二人だけが楽しめる会話だった。
会うたびに、(あ、この人と一緒にいたいかも)と思う瞬間が多くなっていく。
何度か一緒にご飯を食べに行った帰り、緊張した様子を見せながら何かを言いたそうにする刈谷くんに、(告白されるのかな?)と由花はドキッとする。
「上原さん、結婚してくれないか?」
「え?」
由花がドキドキしながら受けた言葉は、「好きです」でも「付き合ってほしい」でもなく、プロポーズだった。
あまりの話の飛びように、(聞き間違い?)と自分の耳を疑って、由花は「え?」と聞き直してしまう。
「俺と結婚してほしい。俺、これだけ人を好きになる事、絶対にもうないと思うんだ。これだけ一緒にいたいって思える人も、絶対に他にいないと思う。
本当はまず「付き合ってほしい」って言うべきなんだろうけど、でも俺ずっと上原さんを見てきたし、気持ちは変わらない自信あるんだ。
お互い仕事が遅いからあまり会えないし、付き合ってたまにしか会えないよりも、結婚してずっと一緒にいたいんだ」
刈谷くんと出かけたのはまだ数えられるほどで、プロポーズに応えられるほどの時間を過ごしたわけではない。
いつもの由花ならば、「それはちょっと早いんじゃないかな。結婚は一緒にいる未来が想像できてから考えたいんだ」と返すところだ。
だけど由花は刈谷くんとの未来が想像できた。
刈谷くんの家はレストランだ。
結婚すれば、家の仕事を手伝っていくことになるだろう。それこそ家も仕事もずっと一緒の生活だ。
普段の由花ならば、「家も仕事も一緒なんて、いつか窮屈になるんじゃない?」と考えるところだ。
だけど、(刈谷くんとならずっと一緒にいたいかも)と思えた。
人の気持ちは変わってしまうものだと思っているが、刈谷くんが「気持ちが変わらない」と言うなら、信じる事が出来る。
由花の気持ちもずっと変わらない気がする。
何も言わずに考えこんでしまったせいか、刈谷くんがソワソワし出した。
「やっぱり急すぎたかな?あのさ、結婚が早すぎるなら、付き合って俺を見てくれないかな?俺、絶対上原さんと合うと思うんだ。
俺、絶対浮気しないし、浮気しようにも出会いさえないから安心物件だよ?上原さんを好きになってから、他の女の子なんて目に入らなかったし。
上原さんが今の仕事を好きなの知ってるし、「うちの店を手伝ってくれ」なんて、親にも絶対に言わせないから」
由花の事を考えながら一生懸命思いを伝えてくれる刈谷くんの気持ちは、やっぱり信じられる気がした。
それに由花も刈谷くんとは絶対合うと思っている。
紅茶に飴を入れるたびに、(刈谷くん、今何してるかな)と思い出してしまう、由花にとって大きな存在に変わっていっている人だ。
一緒に同じ飴を入れて紅茶を飲む未来だって夢見たくなる。
「え?そうなの?刈谷くんのお仕事、手伝う気でいたのに。お店を手伝えたら、家でも仕事でも、ずっと一緒にいられるなって思ったとこだったのにな」
笑いながら答えると、刈谷くんがくしゃっとした顔で笑う。
「うわ……どうしよ。すっげー嬉しい。ヤバい。泣きそう。
――あのさ、実は婚約指輪はもう選んでるんだ。絶対上原さんも気に入ってくれるデザインだと思う。サイズが分からなくて買えなかったけど、今度一緒に見に行こうよ」
そう言って笑う刈谷くんの声が少し震えていた。
(どうしよう。私もなんか嬉しくて震えてきちゃった)
感覚が同じだと分かっているから、今どれだけ刈谷くんが嬉しいと思ってくれているのか、由花にも分かる。
震えるくらいの喜びが、由花にもじわじわ広がっていく。
「刈谷くんがいいなって思う指輪なら、きっと私も好きなデザインだろうね」
(婚約指輪まで調べてくれていたんだ)と思うと、刈谷くんとの未来がぐっと近くに感じて、笑って答えたはずなのに、由花は思わず涙ぐんでしまった。