4年の恋が終わる時
和希から、「誤解だ」「別れたくない」「会いたい」「話したい」「電話に出てほしい」とメッセージは届き続けている。
今日も朝起きて携帯を開くと、何度かの着信が入っていた。
今朝も由花は、マグカップに紅茶のティーバッグを入れて、飴を一つ落としてからお湯を注ぐ。
今日の気分はモモ飴だ。
モモの甘くて爽やかな香りが、ふわりと紅茶の湯気に乗って香る。
モモの香りの紅茶を飲みながら、『一度話した方がいいのかな?一方的すぎたかな?』と由花の心は傾きだしていた。
「由花!今仕事帰り?偶然だね!」
仕事帰りに、駅の近くで昔のバイト仲間だった麻紀子に声をかけられた。麻紀子も仕事帰りだったらしい。
「わぁ〜久しぶり!」と盛り上がる中、麻紀子が眉をひそめて由花に尋ねた。
「ねえ、こんな事聞いちゃっていいのか分からないけど。由花って五十嵐くんと別れたの?五十嵐くんが他の女の人と、腕組んで買い物してるの見ちゃったんだけど。ショートヘアの女の人」
麻紀子の話を聞いて、「あの人かも」と由花はあの日部屋の中から、和希の名前を呼んだ女の人を思い出す。
和希からは、今朝まで「会いたい」とメッセージが届いていたが、由花と話す事をもう諦めて、今日からあの人と付き合い出したのかもしれない。
「そっか……。あ、うん。最近別れたんだ。多分その子、和希の会社の子じゃないかな?和希の部屋に行った時に、部屋にいたんだ。和希を名前呼びしてたし、その日も一緒に買い物に行ってたみたい」
「え?五十嵐くん、浮気してたわけ?!」
「信じられない」という顔をする麻紀子は、学生時代の由花と和希の仲の良さを知っているからだろう。
だけど卒業してからもう二年が経っているのだ。
ずっと同じ気持ちでいれるわけがない。
人の気持ちは変わってしまうものだ。
由花だって今はもう、あの頃と同じ気持ちではない。
「あ〜違う違う。サプライズで和希の部屋に行った私も悪いんだけど、その日会社の人達で集まる約束だったみたい。
でもずっとすれ違い生活だったし、女の人と二人で部屋にいる和希の言葉が、もう信じられなかったんだ。
先週金曜の話だよ。和希からは今朝まで連絡が入ってたから、今日から付き合うことになったんじゃないかな?」
由花の言葉に一瞬黙り込んだ麻紀子が口を開く。
「由花……。私が五十嵐くんを見たの、もう一ヶ月くらい前の話だよ」
「え………」
思わず由花は絶句する。
何が「誤解だ」、よ。
何が「信じてほしい」、よ。
何が「会いたい」、よ。
和希はとっくに由花を裏切っていた。
和希が女の子と腕を組んで歩いていたのは、いつの話かは分からないが、「仕事で遅くなる」という言葉の中に、嘘が交じる日があったのかもしれない。
確かめようのない事だが、もうそうとしか思えなかった。
どこかで(やっぱりね)と思う気持ちがある。
「そっか。あはは。……もう笑うしかないよね。
教えてくれてありがとう。「仕事で遅い」ってずっと言ってたけど、違ったのかもしれないね。
「別れたくない。話したい」って連絡が続くから、「一回話した方がいいかな?」って迷ってたとこだったけど、返事する前に聞けてよかったよ」
もう怒る気力も湧かず、あははと力無く由花は笑った。
「五十嵐くん、あれだけ由花にベタ惚れだったのに、変わっちゃったね。社会にもまれて、クズ男になっちゃってたんだ。なんか残念。
あ、そだ。証拠写真あるから後で送ってあげるよ。次に五十嵐くんから連絡あったら、送りつけてやりなよ」
麻紀子は証拠写真まで撮ってくれていたらしい。
写真を撮った時点で由花に送ってこなかったのは、今までの和希を知っているからだろう。
何か事情があるかもしれないと悩んだに違いない。
麻紀子とも長いバイト仲間だった由花は、悩む麻紀子を想像できて、「ありがとう」とお礼を伝えた。
「まぁ……でも良かったんじゃないかな。浮気するような男と付き合って、時間を無駄にする事ないよ。
それに由花、なんか前より断然綺麗になったんじゃない?前に「和希と会っても、どこにも行かない」って話してた時より、雰囲気も明るくなった気がする。
え〜でもそっか〜。五十嵐くんと別れてたんだ〜。
あ、そうだ。私も平日休みだしさ、今度休みが合った時にゆっくりご飯食べにいこうよ」
明るく麻紀子に誘われて、由花は頷いた。
学生時代は麻紀子ともよく遊んだが、お互い忙しくてなかなか会えなくなっていた。たまに会うと、麻紀子はこうして元気をくれる友達だ。
「行く行く!休みが誰とも合わないからさ、ずっと一人でお出かけしてたんだ。今度麻紀子と会う時は、とびっきりオシャレして行くよ!」と笑って約束をした。
帰りの電車の中で、麻紀子から送られてきた写真は、和希がショートヘアの女の人と腕を組んで、寄り添って歩いている写真だった。
由花ではない誰かと楽しそうに笑い合う和希は、由花の知らない人のように見える。
相手の人が誰なのか、とか。
あの時部屋にいた人なのか、とか。
話していた「会社の飲み会」は嘘だったのか、とか。
いつから裏切っていたのか、とか。
そんな事は気にならなかった。
「和希はもう由花の好きだった和希ではない」という事が決定的になっただけだ。
由花は写真を見た事で、今度こそスッキリと気持ちの整理をつける事が出来た。
心は凪いでいた。
(良かった。私はちゃんと前に進めてる)と由花は本当の意味で和希との恋が終わっていた事に安堵して、和希の連絡先を消すことにする。
もう由花にとって必要のない情報だった。
連絡先を消してしまったら、証拠写真を突きつける事も出来ないが、(その後に言い訳メッセージが続けて届くかも)と思うだけで煩わしく思えてしまう。
せっかく送ってくれた証拠写真だが、由花自身の気持ちの整理がつければ十分だった。
終わった後も、やり取りを続けてモヤモヤするなんて、それこそ時間の無駄でしかない。
由花は「連絡先を削除」のボタンを迷いなく押して、和希との恋を終わらせた。