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サプライズ訪問


「疲れた〜。やっぱり飲食店の仕事とは全然違うわ。本当に毎日大変なんだよ」


やっと会えたと思った由花の休みの日の夜、仕事帰りの和希の言葉に、箸が止まった。


由花は、学生時代のバイト先にそのまま就職している。

和希の言葉は、「由花の仕事は、和希の仕事と違って断然楽だ」と言っているようなものだ。


由花からすれば、「学生バイトと違って、正社員の仕事は断然忙しいんだよ。本当にやる事が多いんだから」と言い返したい思いに駆られた。


だけど今日は本当に久しぶりに会えたのだ。


学生時代のように毎日一緒にいれる事が分かっているなら、言いたい事を言ってケンカも出来るけど、次にいつ会えるか分からない関係の今は、ケンカすべき時じゃない。


由花はグッと気持ちを抑えこむ。


こんな事で怒ってはいけない。

和希だって悪気があって言った言葉じゃない事は分かっている。


滅多に言わない由花の文句に、普段は素直に「ごめん」と謝ってくれるけど、疲れている時の和希は文句を言ったら強く反発して、何倍にもなって言い返してくる。


時間が経って落ち着いた頃に、「ごめん。言いすぎた」と謝ってくれる事も分かっているが、それまでのモヤモヤがどれだけシンドイ事かも経験上分かっていた。


ここで言い争いはすべきじゃない。




「俺、この前の仕事が評価されてさ。新しいプロジェクトチームに入れてもらう事になったんだ。

毎日すっげー忙しくて、帰ったら少しゲームして息抜きするのがやっとだよ。ゲームしながら寝落ちするし、もうマジで毎日余裕なくて大変だよ」


「……ふうん。そっか。大変だね」


笑顔でそう返しながら、由花はモヤモヤする。



「ごめん。平日は連絡する余裕もないくらいに忙しいんだよ 」、って前に話していたけど、ゲームをする余裕はあるんだ。

和希にとっての息抜きはゲームだけで、私と話す事は息抜きにならないんだ。


言い返したい言葉が、由花の中に積もっていく。


だけど言ったところで、空気が悪くなるのは分かっている。

きっと何倍にもなって言い返されて、(こんな思いをするくらいなら、あんな事言わなきゃよかった)ってずっと後悔する事になる。


由花は箸を動かしながら、ご飯の味がしなかった。








「上原さん、チーフにも許可もらったし、後は私がやっておくから、今日はもう上がっていいわよ。

ほらこの前私が早退した時、上原さんお休みだったのに、代わりに出てくれたでしょう?ごめんね、あの時本当に助かったんだ。

明日の土曜は上原さんお休みだし、久しぶりに彼氏とゆっくりしなよ。最近五十嵐くんとあまり会えてないんでしょう?」


夕方、同僚の斉藤さんが由花に声をかけてくれた。


先週、お子さんを預けている幼稚園から斉藤さんに、「熱があるのですぐ迎えに来てください」とお店に連絡があったようで、急なシフト交代があった。

そのお返しで言ってくれているのだろう。


交代のお願いの連絡が入ったその日は、由香は休みの日だった。


ちょうど和希から「ごめん。打ち合わせが入ったから、今日は遅くなりそう。今日は由花んち行けない」とメッセージが届いた時だった。


(また?いつもじゃない)と、やるせない気持ちになり、和希に対して、(もう疲れた)、(もう期待しない)、(こんなに会えないなら、もう別れた方がいい?)と、悶々としている時だったのだ。


部屋の中で一人、心が重く沈んでいくだけの時間を送るくらいなら、無理して笑顔を作ってでも仕事をしている方がマシだ。


「大丈夫。すぐにお店に行くね」とあの日は快く交代していた。






斉藤さんのおかげで、急に帰れる事が決まって、(どうしよう。今日も和希は仕事で遅いかもしれないし、うちに帰ろうかな。でもこんな事滅多にないし、和希の部屋に行こうかな)と悩む。


明日は久しぶりの土曜日の休みだし、明日の朝に和希のマンションに遊びに行く約束はしている。

ずっとすれ違いばかりで、まともに会えるのはもう一か月ぶりだ。


和希に対してのモヤモヤが消えたわけではないが、以前のように楽しい時間を過ごせたら、また二人の未来を信じられるかもしれない。


和希の部屋の鍵は持っている。

お互いに、相手が仕事の日に部屋に上がり込む事はしないので、普段使う事はないが、「いつでも使ってよ」とは言われている。


(やっぱり今から遊びに行こう。連絡すると仕事を急がせちゃうかもしれないから、連絡は止めておこう。帰ってなかったら、部屋の中で待っていればいいよね)と決めた。

 

仕事の引き継ぎを終えて、(1ヶ月ぶりに会うんだし)と、メイクを直して会いに行く準備をしていたら、なんだかんだで店を出たのは7時前になってしまった。


和希の駅前にある、美味しいケーキ屋さんは7:30まで開いているはず。今から向かえば、ギリギリ間に合いそうだ。


(ケーキを買ってサプライズで遊びに行こう)と考えたら、ケーキと突然の訪問というサプライズ感に、久しぶりにワクワクして気分が高まった。


和希が夕食を食べてなかったら、すぐ隣の定食屋さんに行ってもいいし、すでに食べていたなら由花はケーキを夕食にしてもいい。


和希の部屋に向かう足取りが軽かった。








初めてのサプライズ訪問に、少しドキドキしながらインターホンを押すと、扉が開いて和希が顔を見せた。


手に印鑑を持っているところを見ると、宅配便だと思ったのかもしれない。




「今日は早く帰れたんだ♪」と弾む気持ちを伝えようとした由花は、和希の凍りついた表情を見て、言葉が喉に張りついた。

強張った和希の顔が、由花の訪問を喜んでいない事を物語っていた。


一瞬、お互いに黙り込むと、和希の背後から女の人の声が聞こえた。


「和希くん?荷物が届いたんじゃなかったの?」という言葉を聞いて、由花はサッと玄関先の靴を見る。


開いた扉から見えた、和希の靴の中に交じった一足だけのパンプスを見て、由花は状況を察知する。

忙しいはずの平日の夜、和希は女の人と二人きりで部屋で過ごしていたのだ。


頭から水をかぶせられたような気持ちだった。


こういう時は頭に血がのぼって、「浮気してたの?どんな女よ!」とか怒鳴りつけてしまうものかと思っていたが、心は冷えていくばかりだった。





じっとパンプスを見つめる由花の視界をさえぎるように、和希が廊下に出てきて、扉を閉めて声を落として由花に声をかける。


「え……と、由花?誤解してないよな?部屋にいるあの子、会社の同僚だから。あ〜……疑ってるんだったら挨拶する?

今日はみんなでウチで飲み会開くから、仕事が先に終わった俺らが買い出しに行って準備してただけだんだ。これからすぐにみんな集まるんだよ。

もしまだ疑うんだったら、由花も部屋で待っとけよ。みんなもうすぐ来るからさ。みんなにも挨拶してから帰ったらいいよ」


なにも言わない由佳に焦ったのか、和希がいいわけを始めた。


断ってほしそうにしながら「挨拶する?」と聞かれて、「挨拶するよ」と答える由花ではない。


部屋に上がってほしくなさそうにしながら「部屋で待っとけよ」と言われて、部屋に上がる由花でもない。


そんな言い方をすれば、それ以上踏み込んでこない由花の事を分かって声をかけているのだ。

その上で、「何もやましい事はない」とアピールをしたいのだろう。


和希が由花の事を分かっているように、由花も和希の考える事が分かる。




―――もしかしたら本当に、他にも同僚とやらは来るのかもしれない。

だけど、だから何だというのだ。



「ねえ?和希。今、あの人と部屋で二人きりなの?ねえ、約束したよね。女の人は部屋に上げないって。

週末の金曜と、和希が休みの土日は、私は特に仕事が遅くなる日だから、和希が何をしてても分からないの。

だからもし部屋に女の子を上げた事が分かったら、やましい事がなかったとしても、私はもう和希を信用できないよって、ずっと言ってたよね?」


どうしてこんなに冷たい声が出るのか、自分でも分からなかった。

体中が怒りで沸き立つ思いでいるのに、淡々と話す自分が自分ではないみたいだった。


「え……まあ、そうだけどさ。こういう集まりって、仕事の一つだし、本当に俺の仲間は男女関係ないし………って、あ〜もう。なんで今?マジでやめてほしい。

こんな事で誤解されても困るって!……ちょっと本当になんで今日来たわけ?今日仕事じゃなかったの?

もともと約束してるの明日じゃん。

とにかく明日話そ?今日はもうすぐみんな来るから、由花、また明日来てよ。ちゃんと説明するからさ」






和希の言葉に、プツンと何かが切れる。


「プツンと切れる」なんて、あんなの陳腐な比喩だと思ってたけど、本当に切れるのね。

もうダメだ。限界超えたわ。


関係のない事を考える、どこか冷静な自分に笑ってしまいそうになる。


ああもうダメだ。

ここにいたらおかしくなる。

もうダメだ。もう十分だ。



「………私帰るわ。ああ、急に来てごめんね。もう来ないから安心して?私は女の人を部屋に上げて二人きりでいるような人は無理なの。もう会いたくないし、もう終わりだね。じゃあね、鍵は返すよ。さよなら」


「え……?」と呆気に取られる和希に部屋の鍵を押し付けて、由花は背を向けた。



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