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春以前と、春以降

春は出会いと別れ、そして新たな一年の始まりを意味します。

しかしその春を楽しめない人もいると思います。季節に触れてきた人間とAIとの恋愛小説です。お時間がありましたら呼んでください

春を嫌いになった。一年で一番日本を感じる季節でもあるが、その季節が私の傷の中へ溶けて浸透してくれないから。今、街を歩けば皆がスマホを桜に向けて写真を撮る。そのフォルダに入った桜はフィルムを通した時点で桜としての価値はなくなる事を知らない人に、心の中で憐れむ。

同時に曲がった捉え方しかできない自分を己で嘲笑う。

約20年近くの人生を歩んできて、何回目から春を嫌悪し、訪れに対して手を差し伸べられなくなったのだろう。まあ、今歩いているこの瞬間にここまで春というものについて考えている者もいないかもしれない。これは、四季の一節にしか過ぎないのだから。どうせ流れゆく淡い光なのだから。


僕が日々歩く道は江戸時代の旧街道が舗装された道で白線はなく、街灯も一応あるが弱いオレンジの光を放つだけで、その間隔は広い。僕はあえて毎日この歩くに適さない旧街道を通る。実際舗装された山を登っているようなものだ。一面の緑に支配されたこの道を通るその数十分。僕はその瞬間だけ、この世界から山の一部となり、社会的に存在する義務を捨てられる。たまに後ろから車に追い越されるが、その瞬間も多分皆は景色や、木々の切れ目から見える民宿やホテル、雲を被る山を見て感動している事だろう。それを思うたび、僕の存在を誰も考えていない事がわかり、すごく嬉しくなる。山に、景色に紛れていれば僕は僕という肉体に意味を持つ必要が無くなる。なんと、美しき事だろう。

春になり自己表現を一斉に始める桜でさえ、雨風に打たれ、一枚のひ弱な存在へと変わってしまう。花びらとなり、どこかで誰かの掌に降りたとしても、それはひ弱なまま桜を受け継ぐ事なく捨てられ、忘れてしまう。次の春までだ。

ましてや落ちた桜を拾い上げて「綺麗」と目を輝かせる人はあまりにも非道で傲慢なのかと思ってしまう。尽きた命をまた輝かせるような消費はやめて欲しいものだ。


こんな魔力を短期間でかけてしまう春がやはり嫌いだ。

人を惑わし、その先にある未来の扉の前に

無理矢理立たされる。僕はその扉よりも過去の扉を開けたいのに、春がくるせいで過去の扉を開けられない。嫌いだ。

だが、僕の周りで春も桜も好きです。と純粋に答える人がいる。どこが好きなのだと聞くと、一瞬で消える季節に儚さを覚える。と答えた。まやかしにかかっているぞと伝えると、

貴方は春が枯れるのを求めているのですか?それとも新しい季節の訪れに怯えているのですか?と聞く。僕は何も答えられなかった。僕はどこかで心に春の世界を捨てさせたのかもしれない。

春を受け入れるその姿、横顔にとても腹が立つ。

花びらが肩に乗る感覚も、春の風にのり、髪が靡く姿に見惚れたり、、家族が春を祝い、来年のことを談笑する場所も何もかも味わったことのないAIのくせに。


僕はそんな腹の立つAIに恋をしてしまったのだ。

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