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忠犬男子が懐きすぎて異世界までついてきた「件」  作者: 竜弥
第7章:アルカノア農場戦記
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第93話 神喰いの器

【帝国本陣・ゲドの部屋】


 焚かれた香が、鋭い香辛料のように鼻を刺す。

 だが、そんな空気すらも吹き飛ばすような怒声が、闇に響いた。


「貴様、それがまともな報せか!?」


 将校が床に叩きつけられたのは、赤と黒の印が交錯する戦況図。


 その中央には、こう書かれていた。


 《アグリスティア王宮、王族と側近により奪還される。帝国軍、全拠点より撤退》


 ゲドは椅子から立ち上がり、拳で肘掛けを砕いた。装飾が散り、破片が床に跳ねた。


「この私がわざわざやった下ごしらえに、こうもあっさり手を引くとは!?」


「お、恐れながら!王族の一部が農民と手を組んで……」


「わかっておるわァ!!」


 部下の言葉を遮るように、ゲドは床を踏み鳴らす。その衝撃だけで、部屋の外の兵たちが一斉にひざまづく音が聞こえた。


「ふん……役立たず共めが…!」


 王族や側近がこのまま引き下がらないのは想定済みだった。


「だが、神の器だと?……忌々しい!!」


 指で戦況図の片隅をなぞる。そこには、奇跡と称された天候変化の報告。

 空から天使の羽な舞い、天の奇跡が玉座に降り注いだと。民衆の間では祈りが届いたと、神話めいた脚色が始まっていた。


「祈りだと?おもしろい……」


 唇をなぞるゲドの目に、狂気が宿る。


「……ならば、こちらも器を用意しようじゃないか」


「ゲ、ゲド様……?」


「天に祈らずとも、命じれば全てを喰らい尽くす器をな」


 ゲドが手を払うと、背後の簾がかすかに揺れた。


 ズズ…ズズズ……。


 鈍い音を立てて、そこから“何か”が這うように現れる。


「な……なんだ、あれは……?」


「……スライムか?いや……違う!人の形に見えるぞ…!?」


「気安く口を開くな」


 ゲドの一言に、部下たちの声が途切れる。だが目は釘付けだった。這いずり歩くそれはドス黒い体に赤黒いのオーラを纏った人型の何か。


 その全身には、黒鉄の鎖が幾重にも巻かれていた。鎖には刻印が浮かび、赤黒い光が脈打つたびに、床の術式がかすかに呼応する。


「……封呪鎖……?」


「怖じることはない。こいつはまだ未完の器。お前たちは幸運だ」


「ゲド様……その存在は、一体……何者なのですか……?」


 ゲドはゆっくりと笑った。まるで子どもに秘密を明かすような、歓喜すら混じる笑みだった。


「こいつは……アストラを持たぬ者、ダストラどもを寄せ集め、スライムに喰わせて作った、人型の呪魔だ」


「……な、なんと!無価値の者達とはいえ、残酷な…!」


「何を驚く? 奴らは、神に選ばれなかった屑どもだぞ」


「っ……!」


「ダストラに価値がない?いや、あったさ。無能ゆえに世界を恨み、呪いに匹敵する怨嗟の念を抱えていた」


「──それを、喰わせまくったのさ」


「呪いを……喰わせたですと!?」


「ああ。スライムを媒体……いや、“器”としてな」


「お、おそろしい……!」


「これは、ただの魔物ではない。ダストラたちの怨念そのもの……世界に見捨てられた者たちの、“呪いの器”だ」


「……そんなものを一体なぜ…」


「ふん。聞きたいか?」


 ゲドは静かに問い返す。誰も答えられない。


「これは神を語る者を喰わせるための口、まさしく神喰いの器だ」


「風に舞う薄氷を奇跡と称えるなど、信仰とは実に愚かしい」


「こいつが完成した暁には、神の器を名乗る者を喰らわせ、信仰をえぐり取らせるのだ!」


 立て続けに捲し立てるゲド。


「ゲ、ゲド様……その存在を放った後、本当に制御できるのですか……?」


「ふん、愚問だな」


「暴走した時の保証は……!」


「保証だと?」


 ゲドはゆっくりと一人の将校の方へ歩み寄った。


「ならばいっそ、貴様の家族で盾を作れ。喰わせている間に、お前は逃げれば良い」


「……………い、いえ…」


「さあ、まだ質問はあるか?」


 静寂。


 部下たちは皆、口を閉ざしたまま、ただ床に目を落とすしかなかった。


 ──そのとき。


「失礼いたしますッ!」


 扉の向こうから、張り詰めた声が響いた。


 一瞬で部屋の空気が切り替わる。兵士の足音が、躊躇いがちに近づいてくる。


「……何だ」


 ゲドが視線もくれずに言うと、兵士は膝をついた。


「アグリスティア元王妃が……こちらに参られております」


「…………ほう」


 ゲドの指が、ぴたりと止まる。


 数秒の沈黙。


 だがその沈黙は、あまりにも重く、長く感じられた。


「玉座を明け渡して、泣きついて来たか……」


 誰に向けるでもなく、ゲドがぼそりと呟いた。


 それは笑いにも怒りにも聞こえなかった。ただ、つまらなさそうな声だった。


「で、では追い返しますか……?」


「…………いや、よい。通せ」


 ゲドは呪いの器を廉の奥に戻し、椅子に深く腰をかけ直した。


「利用価値、か……」


 すると、兵士が退出し数分もせぬうちに、ヒールの硬い音が廊下から近づいてきた。


 汚れたドレスの裾を引きずり、顔を上げたその女こそ、アグリスティア王国のかつての正妃。


 涙で化粧も崩れ、髪も乱れたまま、だが目だけが激しく燃えていた。


「ゲド……!」


 第一声は、まるで詰問のように鋭かった。


「あなた、なぜ迎えを寄越さないの!?」


 兵士が制止しようと動いたが、ゲドは手で制した。


「ほう。亡国の貴婦人が帝国へなんの用かな?」


「黙りなさい!」


 ピシャリと、王妃が言葉を叩きつける。女の声が、帳の間に乾いた音を立てて響いた。


「私はあなたのために玉座を捨てたのよ!王を、国を、家族すらも裏切って!なのに、あなたはこの私を見捨てるというの!?」


 その声に、ゲドはわずかに口角を上げた。


「なるほど。しかし、恩を着せたいなら、玉座を守り、王妃であることを続けておくべきだったな」


「っ……!」


「だが……そうだな。功がなかったとは言わん。今さらとはいえ、こうして命を賭して参じてきたその忠誠に」


「忠誠…ですって……?」


 ゲドは立ち上がり、椅子の背を軽く撫でた。


「ふ……冗談だ。詫びの品を用意してある」


「……詫びの品?」


「そうだ。お前がまだ“信じているもの”にふさわしい、特別な贈り物だ」


 王妃の眉が、わずかにほころぶ。


「……最初からそう言えばいいのよ。やっとあなたも、私の価値を理解したのね」


 彼女は裾をつまみ、静かに歩き出した。


「贈り物は……どこ?」


 ゲドは、にこやかに手を差し伸べ、背後の黒い簾を指し示した。


「そこだ。奥に進むと、間もなく見える」


 王妃は足早に廉の奥へと向かう。背中に異様な視線を感じながらも、“私に相応しい贈り物”を受け取りに行く気満々だった。


「まったく!もっと早くこうしていれば、すべて上手く…」


 廉の奥で何かが王妃にぶつかった。


「……うぅぅ……」


「……え?」


 その姿を確認する間もなく、その何かの両腕が彼女の身体を掴む。


「やだ……やめてっ!私は……私はアグリスティアの──ッ!」


 簾の奥で悲鳴が空気を震わせる。直後、沼の奥に沈むような、鈍い音が響いた。


「ゲ、ゲド様ッ!?王妃が……!」


「黙れ」


 静かに放たれた言葉に、兵が口を閉じる。


 ゲドは、湯の冷めた紅茶を見つめながら、低く言った。


「恨みと妬みを喰らい成長する、それがあれだ。まぁ、王妃の“恨み”など、腹の足しにもならんがな」


 簾の奥では、脈動する影が膨らみ、わずかに背が伸びる。


「………」


 たった数分で起こった惨劇に兵達は足も口も動かせないでいた。


「アストラも持たず、力もない者たちの呪いはアストラの力に飢えている!天を操る神の器など格好の餌になろう」


「……!」


「その為にはもっとダストラを喰わせるのだ!恨みを!呪いを!もっとだ!」


 鼻で笑うように言い捨て、ゲドは背もたれに深く沈み込んだ。


「さぁ、掻き集めろ!ダストラ狩りの始まりだ!」


 部屋には再び沈黙が戻った。


 ただ、簾の奥からは呪いの器がひとつ息を吸い込むように、音もなくゆっくりと膨張を続けていた。

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