第8話 てんぱい、最後の夜
午後の時間、俺はずっと玄太と作業した。
いつもと同じように、玄太は楽しげにしゃべり続ける。
だけど、異世界のこと、クータンのこと、そして俺の能力のこと。
そのあたりの話題には、意識的に触れないようにしているのが、痛いほど分かった。
「豚骨ラーメンにバターぶち込んだらうますぎて“飛んだ”っすよ!」
……はい、またニアミス。
俺に余計なことを考えさせないよう、NGワードに触れないようにしてるのに、「飛んだ」なんて転生ワードが出てきた瞬間、玄太の口はぴたりと止まって誤魔化す、の繰り返し。
俺としてはそんな玄太のあたふたが楽しくて仕方ない。
(ていうか、食い物の話題ばっかりだしな…)
そして、終業時間が近づくにつれて明らかに沈黙が増えていく玄太。
――――ちょっぴり切ない最後の午後だった。
午後の作業も終わり、おやっさんに終業の挨拶に向かう。
最後の作業ということでいつもより少し時間が遅れてしまった。
それでもおやっさんはいつものように全員が退勤するまで事務所の前に立っている。
「定時過ぎてるのにすいません、お疲れ様でした!」
いつもは「お疲れ様です」と言うところ、思わず“でした”と言ってしまった。
「おい、天貴!」
そう言って、おやっさんは指先でちょいちょいと合図してきた。
組んだ腕には、見覚えのある封筒が見え隠れしている。
「あれは…!俺が昨日の朝、おやっさん宛に出した休職届…!」
(うわ、早っ…!配達まで2〜3日はかかると思ってたのに…!)
想定外の郵便配達員の頑張りを少し恨みつつ、なにを言おうか考えても……何も思いつかねえ!
まさか、異世界に行ってきます!なんて言えねえし…。
「で?‥‥いつ戻るんだ?」
「おやっさん…、それがその、まだ分からないっていうか…」
俺のあいまいな返事に、フゥ…とあきれた様子のおやっさん。
「お前ここ数日明るくなったし、俺は嬉しかったんだがなぁ」
「す、すいません、ご迷惑かけて…」
「部屋は、そのままにしとく‥‥‥なんか分からんが、行ってこい」
そう言って事務所に入るおやっさんの背中に向かって深々と頭を下げた。
無事、休職届も受理?されて、「てんぱい異世界転生会議」で決めた、“しなければいけない事”もだいたい終わった。
定時早々に、「今日は先に失礼するっす!」と言って農場を飛び出していった玄太からの連絡は…?そう思い、スマホを確認するがメッセージも着信も…無しか。
「あいつも俺にばっかりかまってられないよな…」
なんとなく空を見上げ、玄太の言葉を思い出す。
(農場のヒーローっすよ!!)
ふっ…と笑って「そうか?」と思わず言葉にする。
スカイリンクって……まさかなぁ?とか言いつつ、心の中で念じてみる。
(…雨よ、降れ!)
…しかし、空はなにも反応しない。
「と、当然だよな…地球だし…」
夕日が沈む農場をトボトボと一人、部屋へ向かう俺だった。
~~~~玄太の家
「げんー?お風呂湧いてるわよー?」
「ん~、あとでー!」
二人暮らしの姉の呼びかけに適当に応え、玄太は自分の部屋のベッドに座りながらスマホをいじっていた。スマホの検索履歴には、
【異世界 マジ】
【異世界 マジ 許せない】
【異世界 マジ 戻る日数】
【異世界 】
もう検索する言葉も出てこない。
玄太はスマホをぽすっとベッドにおいて倒れ込んだ。
てんぱいがいよいよこの世界を去ると思ったらどんな顔して見送ったら分からなくなって…、気づけば、逃げるように家に帰っていた…。
本当は転生する直後まで見守っているつもりだったのに。
「げんー!」
「今行くってー!」
(ったく、うっさいなぁ…)
そうしてお風呂に向かう玄太。
ベッドに置いたままのスマホにメッセージが届いたのは、その1分後だった。
一方天貴は‥‥
テント一式を背負い、父のテンガロンハットをかぶる。
服装はいつもより少し多めに中に着こんではいるが、やっぱりいつものツナギ姿で行く事にした。
「野菜の種はっ…と、よし…!」
許された3つの所持品の一つである野菜の種をツナギのポケットにしっかりとしまう。
「なあ、俺はいつどこから出発するんだ?」
「うむ、この部屋からいつでも可能じゃ」
「‥‥なるほど、ここまで来たら急ぐこともない…、だろ?」
この言葉に応える者はなく、天貴は力なくその場にしゃがみ込む。
夕日が若干差し込む、薄暗い部屋の中を見渡しながら、少しの間、ぼんやりと時を過ごす。
「―――ん?」
ふとポケットの中でスマホが震えたような気がした。でも、取り出してみても画面は真っ暗のまま。
(…なんだ、気のせいか)
この世界にある“異世界モノ”でよく見るのは、突然のアクシデントで突然の転生。
日常が一瞬で奪われて「ひでぇ!」なんて思ってたけど…いざ「準備時間」なんて与えられると、かえって残酷なんだな…。
しばらく沈黙がつづいたあと、よし!っと言って立ち上がり、背負っていたテントとテンガロンハットを脱ぎ捨てる。
「なあ、俺が持っていきたいものって…」
「…ふむ?」
**********
風呂から出た玄太は頭をタオルでわしゃわしゃしながら部屋に戻った。
スマホには【メッセージが1件】の通知。
「あ、てんぱい!…………そうだ!!てんぱい!!?」
現実逃避から目が覚めた玄太は、あわててスマホのメッセージを確認する。
【新着:from俺のてんぱい】
【玄太へ 】
【決意が揺らぎそうだからそろそろ行く 】
【今まで世話かけてばっかで悪かったな 】
【俺は向こうで、やれるだけやってみるから 】
【心配せずに玄太は自分の事に集中してくれ 】
【クータンのこと、頼んだ 】
「て、てんぱいのくせに……こんな長文を……!」
携帯を握る手が震える──なんて感動してる場合じゃねぇっす!!
「いや、まだ間に合う!!!」
何も考えずに飛び出した。パジャマのまま、スリッパのまま、
気づけば玄関を蹴り開けて農場への道を全力疾走していた。
「そ、そうだ!電話!てんぱいに電話すれば!!」
走りながら、震える指で発信ボタンを押す。
でも返ってきたのは、無情な自動音声。
“電源が入っていないため──”
「はぁっ、はぁっ……そんなぁっっ!!はぁっ……」
その瞬間、心の底に沈んでいた“後悔”が、どばっとあふれ出した。
本当はあの時、本当は、悲しくてたまらなかった。
一緒にごはん食べて、しょうもない話して、笑って。
それが、今日で最後になるなんて思いたくなかった。
あの時のおれは、怖かったんだ。
(これ以上そばにいたら、“わがまま玄太”になっちまいそうで……)
夕方までは我慢できた。考えないように努力できた。
でも、終業時間が近づいたころ、もう無理だった。
「こんなまま、終われないっす!!」
「二度と会えないなんて……冗談じゃないっす!!!」
ゼェゼェと息を切らせながら農場に到着し、てんぱいの部屋の窓を見上げる。
……明かりが、ついていない。
「っくそぉぉおおおっっ!!」
脳みそに酸素が届かないくらいの全力で、階段を駆け上がった。
足がもつれそうになっても止まらない。
「てんぱーーーーーー!!」
バターーーンッ!!!!
勢いよく天貴の部屋のドアを開けると――――
小ざっぱりした薄暗い部屋の中で、たった一匹でたたずむクータンの姿があった。
「………てんぱい?」
天貴からの返事はなく、ただ静寂だけが広がっていた。
玄太は何も言わず、ただポツンと残されたクータンをしばらく見つめていた。
***********
「……行っちゃったんすね…」
「ふむ。おぬしが来る少し前に、な」
玄太はぽつりと呟き、ゆっくりと部屋の中を見渡した。
ほんのさっきまで、そこにてんぱいがいたはずなのに、今は静かすぎるほど静かで。
息を潜めた空気が、逆に玄太の胸をきゅっと締めつけた。
そのとき、ふと部屋の隅に目がとまる。
「……あれ?」
そこには、キャンプ道具一式。
そして、見慣れたテンガロンハットがちょこんと置かれていた。
「え、なんで……これ、てんぱい忘れてったっすか!?」
慌てて駆け寄って、手に取る。
帽子のつばには、まだ天貴のクセがしっかりと残っていた。
無造作に折られた跡すらも、玄太には見慣れたてんぱいの癖だった。
「ふむ、今は……置いていったのう」
「えぇえ!?それって野宿確定じゃないっすかぁ!!」
玄太の声が思わず裏返る。
その場にしゃがみ込み、テントを抱きしめるように持ったまま玄太は動けなかった。
「寝床の確保より、親父さんの想い出より…大事なもんってなんすか…」
そう言いながらも、声はかすれていた。
涙はまだこらえていたけれど、テントを抱きしめるよう腕が、小さく震えていた。
ひとコマ劇場
玄太「てんぱい、最後…なんて言ってたっすか?」
クータン「…ひ…」
玄太「…?」