第72話 てんぱいの初めて
農場に戻るなり、いの一番でノーグさんの工房に立ち寄った三人。
「これが雨呼びの石の材料かも知れない。そういう事ですね?」
ずぶ濡れでボロボロの俺たちはノーグさんに、アメフラシの核を大量に渡して、今日の出来事を説明する。
「それね、水の精霊さんたちが!」
「アメフラシって言う魔法生物がね!」
興奮冷めやらぬ俺たちの説明に、ちょっと押され気味のノーグさん。
「分かりました、落ち着きなさい!……で、これはまた、ずいぶんと集めたものですね」
ノーグさんが目を細めて、並べた核をひとつひとつ手に取る。水滴がしたたるその青白い核は、まるで宝石みたいに鈍く光っていた。
「精霊の核というには珍しいほど、粒子が安定してる。これが、水を呼び寄せる力になるのね」
「よかったぁ!ノーグさんが言うなら可能性あるわね」
ノーグさんの反応にちょっと安心するアリス。
「ところで………かなり危険な旅だったようね?」
ずぶ濡れでボロボロの俺たちを見て、ノーグさんが呆れたように呟いた。
「はぁ…、確かに水の精霊から始まって、色々あったな…!」
「突然晴れ呼びの石がなくなって、洞窟が大洪水!もう大変だったわ!」
「おれ、てんぱいが来てくれなかったらと思うと…うぅ……」
玄太がしおれた声で言うと、ノーグさんが微笑む。
「でもよく帰ってきたわ。生きて持ち帰った時点で、君らはすでに偉業を成し遂げているよ」
「いやぁ、精霊のウォルが案内してくれなきゃ普通に詰んでました」
ノーグさんはメガネをくいッとして、もう一度核をじっくり見つめる。
「山に常に雨が降るのも、その精霊たちが作った水の循環。この核を濃縮すれば確かに局地的に雨を呼べる魔道具になる可能性は高いですね」
「マジっすか!?この苦労、無駄じゃなかった!」
玄太が目を輝かせると、ノーグさんは頷いて一つの核を装置にセットした。
「見てなさい」
淡く光る核が、じわじわと収縮していく。魔力が凝縮されるたび、表面が濃く、重く変質していくようだった。
──シュンッ。
2~3mmほどのサイズになった結晶が、台座に転がった。
「ちっさっ!?今の一個でこんだけ!?」
「ええ。魔道具の機能性だけを抽出すると、だいたいこういう感じです」
「えーっと、今あるのが……」
アリスがカバンを確認する。床に並べた核の数は全部で80個ちょい。
「じゃあ……雨呼びの石ひとつ作るのに、これほとんど必要なんだ」
「濃度にもよりますが、使える分だけ取り出しても親指サイズになるのが限界ですね」
「でも!それでちゃんと、雨呼べるんすよね?」
「呼べるでしょう。少なくとも、人工的に局地の気象を操作するには充分な力です」
ノーグさんは慎重に結晶をピンセットでつまみ、試験管に入れる。
「ただし作用範囲は限定的。半径30〜50mがいいところでしょう」
「でも、それだけあれば畑の一角ずつ順番に、雨を降らせられるかも!」
アリスの目が光る。
「これで、てんぱいがスカイリンク使わなくて済むっすね!!」
玄太の声に俺は小さくうなずいた。
「じゃあ、残りの核も使って……新しい雨呼びの石を作ってください」
「了解。少し時間をいただきます。加工は慎重にやらねばなりませんので」
ノーグさんはうれしそうに結晶を眺めて言った。
……こうして俺たちは、「山の雨」を農場に降らせる準備を始めた。
******
屋敷に戻ると、玄関前にはラクターさんとコンバインさんが仁王立ちしていた。
「おいおい……やっと帰ってきやがったか!」
今日もいかつい体格で、コンバインさんがまるで怒鳴るような声をあげる。でも、その目はどこか安心しているようだった。
「全員、無事だったか」
ラクターさんの低く落ち着いた声に、俺たちはうなずいた。
「なんとか、はい……」
アリスが答えると、父親のラクターさんがふっと表情を緩めた。
「本当に、よく戻ったな」
「みなさん、お疲れさまでした。温かいお茶、どうぞ」
シーダさんがすっと現れて、タオルとハーブティーを差し出してくれる。俺たちは湯気の立つカップを両手で包み込んだ。
「ありがとう、シーダさん!」
(……くぅ、しみるぅ!胃の中が温かくなるぜ…)
「じゃあ、風呂は後回しってことで、今のうちに全部話しとくか」
そう言って、俺たちはこの一日で起きたこと。洞窟の探索、水の精霊との遭遇、アメフラシの核、そして晴れ呼びの石が突然消えたことを一気に説明した。
「……つまり、洞窟で溺れて、精霊に救われて、核を回収して、山の雨を農場に持ち帰った……ってわけか」
ラクターさんが腕を組みながら苦笑する。
「うん……まあ、言葉にするとそうだけど、実際はめっちゃ大変だったわ!」
「……おれ、溺れてマジで死ぬかと思ったっす!山なのに!」
玄太の顔が、思い出して青ざめる。シーダさんが心配そうに彼の背をさすった。
「本当に、無事でよかったです……」
「実はな、あのあたりにゲドたちがうろついてたって報告があってな。心配してたんだよ」
「……は? ゲド!?」
話を聞くと、どうやら晴れ知らずの山から雨が止んだことを調査していたらしい。
「だとしたら、晴れ呼びの石がなくなったのも、まさか……!」
「ゲドたちに決まってるだろ。あのタイミングで消えたなんて、他に考えられねえ」
「ちょ、ちょっと待ってよ!?じゃあ、おれが溺れたのって……ゲドのせい!?」
玄太が怒り心頭で身を乗り出す。まあ、その気持ちは分かる。
「確証はねえけどな。でも、あいつらが掘り返した線は濃厚だ」
「やっぱあいつ、ロクなことしないっすね……!」
「……だが、よく生きて戻った」
「核も持ち帰って、目的も達成したんだ。お前たちは立派だ」
ラクターさんとコンバインさんが労ってくれる。
「ありがとう、お父様、コンバインさん!」
「大丈夫っす!てんぱいの為っすから!!」
アリスと玄太がぴしっと頭を下げる。俺もなんとなく背筋を伸ばした。
「でもこれで、農場に雨を取り戻す目処がたったな!」
「みんな、今日は暖かいシチューを作ってますからたくさん食べてくださいね!」
シーダさんが、空のカップにお茶を注ぎながら今日の献立の発表。
「今日は体冷えたし、シチューはありがてえ!なっ!玄太!」
「シ…チュウ……」
なぜかもじもじする玄太。何事?
「あら、玄太さん、シチュー嫌いだった?」
「いや、はい!大好物!夜飯が待ち遠しいっすね!」
「玄太!さっきまで溺れてたのに、すっかり元気だな?」
「だって、てんぱいが俺に、息吹き込んでくれたんすよ!?もう……マジで、最高っす!!」
その一言に、場が一瞬静まった。
「おお~っと!天貴、まさか王子様のキッスってやつかぁ?」
コンバインさんが腕を組んでニヤつきながら、やたら声を張ってくる。いやその言い方、誤解しか生まねぇって!
「ち、ちげぇし!人工呼吸だっつの!命救うやつ!」
俺があたふた言い返すと、アリスとシーダさんが「やぁねぇ」って顔して笑ってた。やめてくれ、こっちは必死だったんだってば!
「ふふっ。ま、とりあえず、今日は体を温めて、ゆっくり休みましょう」
「ういっす!じゃあ、てんぱい!お風呂いこー!」
「おう!じゃ、部屋からクータン連れてくるぜ!!」
トトトっと階段を上がって部屋を開ける。
ベッドの真ん中でクータンが丸くなっていた。水難事故も人工呼吸も知らんぷりで、すやすや夢の中だ。
「いい気なもんだぜ。ま、寝かせておくか………」
俺は二人分の着替えだけ取って、静かに部屋の扉を閉めた。
******
「てんぱい!背中、流すっす!」
「おう、頼む!」
浴室に湯気が立ち込める中、玄太がバシャバシャと近づいてくる。
俺は湯船から上がって風呂椅子に腰かけた。
「ところで、てんぱいって……あのぉ…」
「ん?なんだよ?言えよ」
「あの…、キスって、したことあるんすか?」
「キッ……はぁ!?なんで今その質問なんだよ!!」
いつもの玄太のゴシゴシを背中に感じながら、俺は半ば叫ぶように言い返した。
「いや、なんとなくっす!……で、経験ありっすか!?」
「……ぇよ…」
言葉に詰まった俺を察して、玄太の手がピタッと止まった。
「え?なんすか?」
背中越しに伝わってくる、妙な沈黙。尋問されてるような圧が鬱陶しいから、思いっきり答えてやった。
「……ねぇよ!!」
「わぁ……そ、そっすか!」
叫ぶように言い切った俺の背中で、なぜかすごく嬉しそうに超高速ゴシゴシが始まる。
いや、さっきより明らかにスピード上がってんだけど!? 何で?
「……で。なんでお前、機嫌いいんだよ?」
「え?べ、別に、なんとなくっす!」
声がワントーン高ぇし、なんかニヤついてる気配あるし。
今の質問に、どこにそんなニッコリ要素あったんだ!?
「ふんふふ~~ん♪」
こいつ完全にご機嫌モードじゃねぇか。
「おい、ところで言っとくけどな!今日のアレ。人工呼吸だからな? 助けるための処置だからな?」
「ん!そっすね~!」
めちゃくちゃ素直だけど、なんか怪しいんだよな。
「ま、いいや。俺、このまま頭も洗っちゃうわ」
「はいはい!シャンプーどうぞっす!」
妙に反応のいい玄太をよそに、俺は髪の毛をワシャワシャ洗い始める。
「でも……後半、わりと普通にチュウでしたっすよね?」
頭のワシャワシャでうまく聞き取れない。
「んー?なんだってー?」
「いや、なんでもねぇっす!」
ふと背後から、控えめだけど嬉しそうな「ふふっ」がまた聞こえた。
「……二人とも初めて同士だったんすねぇ」
「ん!?なんだってー?」
「なんでもねぇっす!」
……ったく。
まあ、お前が元気でいてくれるなら、なんだっていいけどさ。




