第51話 てんぱいの背中 前半
「おれの肩、良い枕になるでしょ?」
肩に感じる重みに、じんわり浸る玄太。
「ずっとこうしてていいっすよ!てんぱいの専用肩なんで!」
でも、突然スッと立ち上がったその後ろ姿が、一人で暗いほうへと歩いていく。
「あ、行くんすか?よぉし、おれも行こっと」
しかし、その背中は玄太を待つことなく、どんどん進んで行く。
「え、あれ、立てない!?ちょっと待ってて!」
何も言わないその背中は、一度も振り返ることなく、やがて見えなくなった。
「あれ、なんで?ちょっ……」
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「待って!!」
玄太はハッと部屋の中で目を覚ます。心臓がバクバク言っている。
「あ、玄太さん」
声をかけたのはアリスだった。
「あれ……おれ……?」
「天貴の看病中に、玄太さん寝ちゃったから…」
玄太の横ではクータンがくっついてスヤスヤ眠っている。
「………夢、かぁ……良かった…」
「怖い夢、見た?」
アリスの声は優しかったけど、玄太は答えなかった。
さっき見た夢の、てんぱいの後ろ姿が引っかかって、言葉にしたくなかった。
「あ!!!てんぱい!てんぱいは!?」
アリスはうつむいて小さく首を横に振った。
「天貴、まだ眠ってる……」
「……はぁぁぁぁぁ……」
これでもかってくらいのため息をついて、玄太はベッドから立ち上がる。
「クータァン……てんぱい、どうなっちゃってるんすかぁ…?」
そう聞きたくて、思わずクータンのお腹に手が伸びる。
するとその時、勢いよくドアが開いた。
「ごめんなさい!遅くなりました!」
入ってきたのはラクターさんとコンバインさん、そしてシーダさんだった。
「シーダ、はやく天貴の背中を…!」
そう言うと、ラクターさんはてんぱいのツナギに手を伸ばした。
「ラクター隊長!お、おれがやります!」
玄太は慌ててベッドの前を陣取り、ツナギのチャックを緩めて肩の上からツナギを脱がせる。
その背中に浮かび上がるのは、天秤のような形をしたほんのり赤みを帯びた痣。
「その痣には……触れるなよ?」
シーダさんは頷くとベッドに駆け寄り、真剣な表情でその刻印に手をかざす。
小さく息を吸い込み、アストラの気配を探るように目を閉じた。
「なに?これ、玄太さんの時に感じた違和感に似てる……でも、なんか違う…」
言葉を濁すシーダさんの顔が、少しだけ険しくなる。
「じゃあ、玄太君が倒れた事となにか関係が!?」
ラクターさんの声に皆が玄太をまっすぐ見つめる。
「あ、あの……おれ実は……」
玄太は少し手を挙げて、脱がされた天貴の背中を見つめながら静かに呟いた。
「おれが倒れる前、その痣に触っちまったんです。そしたらバチってなって…」
「なるほど……嫌な予感がしたが……まさか、な」
「おれ、知らなくて!」
「うむ、だろうな」
「でもてんぱい、前はこんな痣なかったのに…」
誰よりも近くにいたはずの自分が、てんぱいの異変に気づけなかった。
その悔しさが、言葉の端ににじんでいた。
「でもよシーダ。玄太ん時と同じように導流晶で治らないのか!?」
「似たような気配は感じるの。でも全然違う…」
「どういう事?」
アリスも、理解できないという顔でシーダに問いかける。
シーダさんは軽く咳払いをして説明を始めた。
「玄太さんの魔力は透明な緑色。でも、倒れた時は濁った赤い魔力が少し混ざってて、マーブル模様だった。それが、玄太さんの症状」
「マーブル……こわ…」
自分の魔力の症状を言葉で聞いて、なんとなく怖くなる玄太。
「でも天貴さんのは違う。魔力は濁っていない、むしろ澄んでいるわ」
「え!?じゃあ、問題ないんじゃぁ…?」
申し訳なさそうに首を振るシーダさん。
「ここからは予想の域を出ないけど…いい?」
玄太は覚悟したように頷いた。
「天貴さんの魔力がもともと青色だったとする。でも、今は…」
ラクターさんもアリスも固唾を飲んで聞き入っている。
「紫……綺麗に澄んだ、葡萄色よ」
シーダの言葉に、玄太が目を見開く。
「でも!それって、混ざってるってことなんすか?おれの時みたいに?」
「違うの。混ざってるんじゃなくて、溶け込んでるっていうのかな。魔力そのものが変色している気がする……」
言葉の意味が、じわじわと胸の奥に冷たい悪寒を走らせる。
「でもでも!てんぱいの魔力の色が最初から紫なのかもしれないっす!高貴な男って感じっすから!!」
「う、うん……そうね。でも、違うの玄太さん。魔力の色ってだいたい決まってるのよ」
「男性なら青色~緑色、女性なら黄色~橙色、俺はそう聞いたことがある…」
ラクターさんの言葉に静かにうなずくシーダさん。
「じ、じゃあ、てんぱいはもう透明なBlueに戻れないんすかぁ?」
そう言った玄太の声は、泣きそうに震えている。
「いえ、元に戻るというより……」
その言葉にラクターさんが腕を組み、低く唸った。
「近づいているのか?その天秤が示す、神に匹敵する存在に……」
その言葉に、玄太がきゅっと拳を握った。
「てんぱいは……そんなの、望んでないっす」
玄太が見つめる天貴の背中の痣が、ぼんやりと赤く脈動した気がした。
「視えない…この件、結末がなにも視えないわ…」
無言だったアリスが珍しく動揺する。
「でもよ?別に天貴は天貴なんだろ?強くなるのは悪い事じゃねぇ!……のかも」
空気を切り替えようとコンバインさんが景気のいい一言を言い放つ。
「古い文献には、こうあった。神と対話し、神の力を行使し、何かを成し遂げる存在と…」
「それだけ聞くと、まるで……」
皆が次の言葉を待った。
「英雄?いや、勇者っすか?」
玄太の見透かすような言葉に、部屋の中はしばらく静まり返った。
その時だった。
「否」
玄太のベッドから突然聞こえたその声に、皆が振り返る。
「勇者ではない。カラミティ・トリガーじゃ」
クータンが布団にくるまったまま、顔を出して言った。
「クータン!?寝てたんじゃ……!」
「ちょっとクータン!なんすか、その辛味?鳥みたいな名前!」
「ふむ。それ以上は我の口からは言えぬ」
「てんぱいは緊急事態なんすよ!そんなケチはやめるっす!」
「ケチとは否じゃ。言いたいが言えぬ、そう縛られておる」
「縛りって……。クータン、あなた何者なの…?」
アリスが意を決したように問う。
「我か?」
その場にいる全員が、クータンの次の一言に意識を集中する。
「我は、件。神託を告げる存在……」
「え、クダン……?」
「神託って…神の遣い、的な……?」
今まで何も聞かずに受け入れてきた‟ふわふわの仔牛”の正体に、誰もが言葉を失った。
だが、その静寂を破ったのは玄太だった。
「神託を告げる存在……『だった者』っすよ!」
玄太が前に出て、クータンをかばうように立ちはだかる。
「件は三日で死ぬ運命……でもクータンは、もうずっと生きてるんす!」
拳をぎゅっと握ると、玄太のまぶたがジワッとにじむ。
「クータンの中の件はもういない!でも、おれとてんぱいが一緒にいたから、クータンは生きてくれてるんす!」
「もう、“神託”とか“運命”とか、そんなの関係ないっ…大事な家族っすから!!」
玄太の声が響いた瞬間、静まり返っていた室内で椅子が音を立ててラクターさんが立ち上がった。
「……その通りだ。クダンであったかどうかなんて関係ない」
「アリスが俺の娘であるように……お前たちも、かけがえのない家族だ!」
「お、お父様……?」
ぽかんとするアリス。誰もが一瞬、言葉を失う。
「うぅぅっ……俺は今、隊長を抱きしめたい…!」
コンバインさんはすでに感動して泣いていた。
すると、クータンはゆっくりとまぶたを閉じて、ぷしゅっと鼻を鳴らす。
「むぅ。家族、か……それはちと、ずるいのう……」
その声に、少し涙の音が混じっていた気がした。
……鼻水かもしれないけど。
「そんで、てんぱいは!!」
ダダッとベッドに駆け寄る玄太。
「おれにとって家族以上の存在!!」
そう叫ぶと同士に、寝ているてんぱいにガバァッとしがみつく。
「うわっ、玄太っ!?痣に触れるぞ!!」
慌てたコンバインさんが引きはがそうとするも、玄太は意地でも離れない。
「ぐぬぬぬ!離れるもんかぁぁぁ!!!ずっと一緒って言ったもん!!」
玄太の腕が、より一層強く――まるで、てんぱいの命まで抱きしめるように締めつけられる。
そして、その瞬間だった。
「……ぅ……」
わずかに、天貴の喉から声が漏れた。
「て、てんぱい!?」
玄太が叫ぶ。
「天貴!」
「今、反応した!聞こえたっすか!?ねぇ、返事して!!」
思わず全員が駆け寄るなか、俺はゆっくりとまぶたを開けようとしていた。