第42話 おかえり、ゲンタ
「ラクターさん!もう少しスピード上げられますか!!」
「目一杯走らせてるが……!!やってみるか!?」
「一時的でいい!奴らより少しでも速度を上げて下さい!!」
「よぉし、お前ら…!帰ったら人参たっぷり食わせてやる!全力でいけぇぇぇ!!」
ヒヒーーーーン!!!
ラクターさんの期待に応え限界まで加速した馬車。
時間稼ぎで矢を無造作に打つアリスが、肩越しに叫ぶ。
「天貴!もう矢が残り少ない!いったい何を…何が起こるの!?」
その声に、俺は必死で集中を保ちながら返す。
「いや、正直よく分からない!」
アリスが思わず絶句した気配がする。
「わ、わかった!もう思いっきりやっちゃって!!!」
「おっしゃ!クータン!いくぞ!」
『我は特に何もせんがの』
両腕を広げて大きく照準を作り、奴らの頭上へ向かって意識を集中する。
「後輩の~、んーなんだっけな!くそ!」
『荒廃の大地が生んだ千の刃じゃ』
「そ、それだ!荒廃の大地が生んだ千の刃よ!!」
「天の支配をもって命ず……」
「異常気象!!!サンドストーーーーーーム!!!!!」
ピュルルルルルルル………
聞きなれない、甲高い風切り音が響く。
すると兵士たちの周囲の地面から、突如として風が唸りを上げて立ち上がる。
「なっ……!?風が……地面からっ!?」
その風は、まるで空が地上の砂を吸い上げるように渦を巻き、兵士たちの馬の足元から螺旋を描いて空へと伸びていく。
「おい……前が見えねぇ!?ぐっ、目が……!」
「ひ、ひるむなっ……ぐっ、いっ!ギャァ!」
馬車の後方は視界が一気に茶色に染まり、世界がざらついた風音に包まれた。
そして、巻き上げられた砂粒が鋭利な牙となって、奴らの装備の隙間を切り裂き、露出した肌を容赦なく削り取っていく。
「ぐああっ!?痛ってぇ!!な、なんだこの砂ァッ!?」
馬が悲鳴のような声を上げて暴れ、鞍から投げ出された兵士が転がり落ちる。
「くそっ、馬が暴れて!ぐあぁぁぁぁ!」
敵の隊列はバラバラに崩れ、砂嵐の中へ次々と飲み込まれていった。
「ははっ……これやべえな…!どうだ、サンドストームの威力はっ!!」
『っふぉ!ぬしのチカラ、もはや人にあらずじゃの』
俺は馬車の上で叫んだ。
アリスは隣でポカンとしていたが、次の瞬間にはしっかりと弓を構えていた。
「……追尾なし」
「やったか…!?」
「やったわ、天貴!お父様!」
荒れ狂う砂の嵐を置き去りにして、俺たちを乗せた馬車は加速を続ける。
背後で敵が次々と視界から消えていくのを感じながら、俺は濡れたツナギでガッツポーズを握った。
(……パンツの犠牲は、無駄じゃなかったな)
「ラクターさん!やりました!」
「おっしゃぁ!このまま農場まで突っ走るぜ!」
「はい!!お願いします!」
*******
ようやく見慣れた防護柵の影が見えてきたころ、馬車は少しスピードを落とした。
「戻ったな……」
ラクターさんの声が、いつもより低くて優しい。
俺はツナギのポケットの中、濡れたままの導流晶をそっと握りしめた。
(玄太……待たせたな)
農場の正門が開くと同時に、駆け寄ってきたシーダ。
「天貴さん!玄太くんが!」
「まだ間に合う!!」
俺は飛び降りるように馬車から転がり、濡れたままの服も気にせず屋敷の中へ飛び込んだ。
部屋の扉を開けると、そこには額に汗を浮かべてベッドに横たわる忠犬がいた。
「玄太……!」
「うぅ……てん…ぱい?」
ぼんやりと目を開けた玄太が、かすかに微笑む。
「……おれ、死ぬんすか…?」
「……ばか!間に合ったんだよ!だから、もう喋んなって!」
俺は駆け寄って、濡れた手で胸元から導流晶を取り出した。
「アリス!シーダ!これ、これ頼む!!」
シーダはすぐに俺の手から結晶を受け取ると、玄太の体の上にそっと置いた。
「導流晶を伝って玄太さんに流れる魔力を正常化します!」
その声と同時に、彼女は両手をかざす。
掌から淡い光がふわりと広がり、導流晶が優しく共鳴しはじめる。
玄太の体が、わずかに震えた。
「っ……!」
導流晶の内側から、小さな光の脈動が生まれ、玄太の胸へと吸い込まれていく。
それはまるで、止まりかけた心臓に再び火が灯るように、温かな光を送り込んでいた。
「う……てんぱい……あぁ、すごい楽になってきたっす……!」
「玄太!治ったか!!」
部屋にいるメンバー全員から「っほ」という声が聞こえてきそうな安堵感が漂った。
「……この石……おれのために取ってきてくれたんすか?」
そう言って玄太は腹の上の導流晶を握る。
その声にいつもの力強さを感じた瞬間、俺は思わず笑った。
「……当たり前だろ、バカ。お前が俺の忘れ物なら、何があっても守るに決まってんだろ」
俺がかっこよくキメた、ちょうどその時だった。
ぐぅ~~~~………ぐぅ~……ぅ~っ…。
「……ん?」
なんか今、鳴ったよな。
いや、明らかに鳴ったぞ。
それは玄太の腹のあたりで、見事なまでに導流晶に共鳴した空腹音。
「…………」
「……っぷ」
「ふっ……はははははは」
次の瞬間、俺たちは耐えきれず吹き出してた。
「……えへへ。だって……すっごいお腹減ったんすもん……」
「ぶはははは…バカ!笑わせんなよ!!」
ホッとしたのと可笑しいので、涙がもう何の感情だかわかんねぇ。
全くコイツは……!完璧なタイミングだな。
「はぁっ……おい!回復した途端それかよ!」
「だ、だってぇ……」
ふにゃっと笑った玄太に、アリスが微笑んだ。
「じゃあ、何か作ってくるわ。消化のいいものがいいわよね?」
「あ、ありがとうございます……!」
そしてアリスとシーダは玄太の額の汗を拭ってから、静かに立ち上がった。
「天貴も、ツナギ着替えて!洗っちゃうから!」
「あっ、そっか!サンキュ」
みんなが部屋を出ていき、扉が閉まると玄太と俺はふたりで残された。
「……なんか、騒がしかったのに、急に静かになったっすね」
「ま、俺らの部屋だし、いつも通りって事で。飯ができるまで寝てろよ、玄太!」
「……はぃ…、うっ…」
「げ、玄太!?また悪くなったか!?」
「え、えーとっ。てんぱいがちょっと一緒に添い寝してくれたら良くなる、かなぁって……」
玄太は俺をチラッと見て恥ずかしそうに言った。
「ったく…、しゃーねーなぁ」
やれやれって感じで玄太の横に寝転がると小さなベッドはいっぱいいっぱいだ。
「ほら!これでいいだろ…?」
「…はい!3…いや、5分くらいしたら治るっす!」
(やった…!!言ってみるもんすね…♪)
満面の笑顔で俺に抱きついてくる玄太からしっかりとした体温を感じる。
「…ツナギ、まだ少し濡れてるから冷たいだろ?」
「いえ!てんぱい、すごく暖かいっす!」
「お、おぅ…そっか」
(なんか恥ずかしいな、こういうの。でも、あったけぇな……)
少しの間、時間がゆっくりと流れた気がした。
そして、玄太がゆっくり目を閉じるのを確認してから、俺はようやく腰を上げる。
(あぶねっ…マジで寝落ちするとこだったぜ…)
「さむっ…、とりあえず着替えっか」
濡れたツナギのチャックをずるっと膝まで落とし、替えのツナギに手を伸ばす。
そして、ばさっと勢いよく脱いだ、次の瞬間。
「ててて、てんぱい!!!」
「ん?起こしちゃったか?」
振り返った俺に、玄太が枕から半身起こしかけて目を丸くしている。
「っぷ…ははは!てんぱい、なんでお尻まるだしなんすか!!」
「……あ?うお!?」
俺はあわてて新しいパンツを探す。
「ち、ちげぇんだ!!これは地底湖で流されて!ってか別に恥ずかしがることじゃねえだろ!」
「ぷぷっ!てんぱい、さっきかっこいいこと言ってたけど……ノーパンだったんすね……!!」
「ノ、ノーパンでもかっこいいんだよ!俺は!」
(……パンツ一枚、守れなかったけどな)
「……はい!てんぱいは、なんでもかっこいいっす!!」
「お、おう……っ!」
自分で言ってたくせに、コイツに言われると急に照れるってなんだこれ。
だけど、こうして玄太が元気な声で、いつものリアクションが返ってくるなら…さ!
「パンツ一枚くらい、くれてやるさ」
*********
次の日の朝。
夜明けとともに目を覚ましたアリスは、農場の見回りがてら、ひとり静かに歩いていた。
「ふぅ……今朝は、穏やかね」
少し肌寒い風が通り過ぎる中、アリスの視線がふと農場の片隅の小さな用水路に向く。
なんとなく足を止めて、しゃがみ込む。
水面をぼんやり眺めていると、視界の端に何かが流れてくるのが見えた。
「……あら?」
そっと手を伸ばして拾い上げると、しっとり濡れた布がぴろりと広がる。
「……え?」
それは、明らかに見覚えのある青い下着。
「ちょ、これ……まさか……!」
昨日、天貴が地底湖で流された、あの青パンツ。
アリスは一瞬、息を呑み、それからこらえきれずにぷるぷると肩を震わせた。
「ふふっ……あの地底湖、まさかここに繋がってるなんて……!」
晴れしらずの山がある北の空を見上げると、まるで“運命の再会”でも果たしたかのようなその奇跡に、いたずらっ子みたいな笑みを浮かべるアリス。
彼女はそっと青パンツをハンカチでくるみ、ポケットにしまい込んだ。
「……さぁて、天貴がどんな顔するか、楽しみにしておこうかしら」
朝の農場に、小さないたずらな笑い声が、静かに溶けていった。