第39話 バチッ、そして倒れる
「はぁ~、風呂はやっぱいいっすね~」
「それにしてもクータン!さっきはマジ焦ったからな」
湯船につかりながら、俺は向かいでちゃぷちゃぷと浮かんでるクータンをじろりと睨む。
「はて、何ゆえ焦ったと申すか?」
とぼけた表情で耳をぴくっと動かす。
「姉上だよ、あ・ね・う・え!アリスをそう呼んだろ!?」
「ほんそれ!ラクターさんから秘密って言われたばっかっすよ!」
クータンは湯にぷかぷか浮かびながら、まるで反省の色もなく涼しい声で言う。
「我は予言する者として、その力を先に得た存在を姉上と呼んだまでのこと」
「いや、だから!その呼び方がぁ……」
「やれやれ……」
(まぁ、あれだけでクダンの姉だなんて分かるわけないけどさ)
俺が肩をすくめたその時だった。
「てんぱい、背中流すっすよ!」
玄太がにっこり笑って手ぬぐいを手にしていた。
「おう。悪りぃな」
玄太はタオルを湯に濡らし、俺の背中に泡を立てながらゴシゴシと心地よくこすってくれる。
「てんぱい、ちょっと力強くしますねー」
「はあ~……お前に背中流してもらうのも久々だな」
「たしか、みんなでおやっさんち別荘に行った時っすよね。温泉入る前にスイカ食って!」
「はは!そうだったな。すでに懐かしすぎるだろ!」
ふたりでクスクス笑っていると、玄太の手がふと止まった。
「……あれ?てんぱい、ここ。こんな痣ありましたっけ?」
「ん?どこ?」
「ほらこの、背中の……肩甲骨の間らへん。ちょっと黒くて、でもなんか模様っぽい……」
「模様?」
俺が少しだけ振り返ろうとした、その時だった。
玄太の指先がその痣に触れた瞬間、“バチッ”という静電気みたいな音が弾けた。
「わっ……! 今、ビリッときたっす!」
「お、おい……なんだ、今の……?」
「っつ~。静電気?っすかね?」
玄太が指をぷるぷる振りながら、俺の背中を覗き込む。
「……ま、たまにあるよな。乾燥してるときとか」
そう言いながら、玄太は俺の背中の泡を流し、俺も笑ってその場を流す。
「今時男子はちゃんと保湿っすよ?てんぱい、そういうの疎いからなぁ……」
「黙れって!」
桶の水をぶっかけたら、玄太が「ひぇぇっす!」ってかわして逃げた。そんなやりとりの中で、なんとなくさっきの違和感も忘れていく。
そう、俺たちはまだ知らなかった。
そのバチッが、後にどんな異変を呼ぶのかなんて。
*********
「てんぱい!飲むっすか!」
「ナイス玄太!やっぱ風呂あがりは牛乳に限るな」
パカッとふたを開けて、一気にグビリ。
くぅ〜……沁みる!どの世界でも、風呂のあとは牛乳が正義だ。
「てんぱい、口に白いヒゲついてるっすよ!」
「ふぉっふぉっ!ワレはミルタン。おぬし、もう一本飲む気じゃな?」
「当たり前っす!そんなの予言じゃないっす!!」
「ふむ。我は今から甘乳パンを食らうじゃろう」
「お前まで乗っかるな!クータン!」
そんな感じでいつも通りのバカやりながら、ソファでひと休み。
「おかわり持ってくるっす!」
玄太は笑いながら立ち上がり、いつものように軽やかにキッチンへ向かったはずだった。
バターン!!
突如、玄太の体が床に崩れ落ちた。
「……おいおい!玄太〜、大丈夫かぁ〜?」
俺は冗談半分の声で呼びかけながら立ち上がる。
でも玄太は、返事もしない。
「……え、ちょ、おい……?」
思わず駆け寄って、玄太の肩を揺さぶってみても反応がない。
「玄太!おい、玄太!?」
何度呼びかけても、いつもの「っす!」は返ってこない。目を閉じたまま、ぐったりとしていて、呼吸が……おかしい。
「…ぁ、て……ん……はぁ……ぁ…」
かすれた声は弱々しすぎて、今にも消えそうだった。
「おい!しっかりしろ!今部屋で寝かしてやるからな!」
俺は玄太をなんとかおぶって、必死に部屋へと運んだ。数分後、騒ぎを聞いたアリスとラクターさんが、バタバタに駆け込むように現れた。
「玄太さん、どうしたの!?」
「わ、わかんねぇ!とりあえず寝かす」
「おい、アリス!シーダを呼べ!」
「はい!お父様!」
その後、玄太を部屋に寝かせると、ラクターさんが急いで玄太のおでこに手を当てた。
「熱はない……脈も大きな乱れはないな。外傷も見当たらん。毒ではないな」
首をひねるラクターさん。
(玄太……どうしちまったんだ?)
そこへ、アリスがシーダを連れて戻ってきた。
「天貴さん、場所を空けて!……彼の波動を視ます」
そう言って、シーダが静かに玄太の額へ手をかざした。
「…………」
「どうなんだ!病気かなんかか!?」
焦る俺の声に、シーダが顔をしかめたまま答える。
「原因は分かりませんが、体内の魔力が……恐ろしく濁ってます」
「魔力が濁ってる……?」
「はい。まるで、無理やり流し込まれた魔力が拒絶反応を起こしているような」
「じゃ、じゃあその場合、どうすりゃいいんだよ!治す方法はあるんだろ!?」
思わず声を荒げる俺に、シーダは一度目を伏せ、そして静かに口を開いた。
「魔力の流れを正常化する導流晶という魔道具があります。それがあれば、身体に馴染む魔力の流れを再構築できるかもしれません」
「そ、それはどこにある!露店か?王宮か!?」
「うむ。王宮の研究室にもあるだろうが、今は……」
「そうね、ゲドと帝国の目が光ってるわ」
「っくっそ……肝心な時になんで王国が堕ちてんだよ!」
こうなりゃゲドも帝国もぶっ飛ばして、ぶんどってやろうかと考えたその時だった。
「導流晶は晴れ知らずの山で発掘できると聞く。洞窟の奥なら確実に手に入るだろう」
ラクターさんの言葉に、空気がわずかに重くなる。
「晴れしらず……洞窟?」
「うむ。その山は常に豪雨が降りしきっている。例え洞窟の中でも五里霧中だ」
「聞いたことあるわ。その山の上空は絶えず雨雲の集まるらしいの」
「ああ。天貴のスカイリンクで一時的に散らしても、長くは持たないだろう」
「っち、また止まない雨かよ……」
そのときだった。
「……てん、ぱい……」
「天貴!玄太さんの意識が……!」
かすかに聞こえた玄太の声に、アリスがいち早く反応した。
「玄太!?聞こえるか、玄太!」
俺は慌てて駆け寄ると、玄太がうっすらと目を開けていた。熱はないのに、顔色はひどく青ざめている。
「大丈夫か!?どっか痛いとこあるか!?」
「……ん、へへ……なんか、変な夢見てたっす……ごめんっす……みんな、心配かけて……」
苦笑いを浮かべてそう言った玄太に、俺は言葉が出なかった。
「……ばか、何言ってんだよ」
ほんのわずかに安堵が広がった、その矢先。
「っ……う、あ……」
玄太の眉がひそまり、呼吸が急に浅くなった。体がぴくりと痙攣する。
「玄太っ!?」
シーダがすぐさま駆け寄り、玄太の額から胸元にかけて手をかざした。
「……あら?なに、この波動……」
シーダが目を細めた。
「胸のあたり……これ、体内からじゃないわ」
彼女が指差した胸ポケットをまさぐると、出てきたのは小さな赤い石だった。取り出した瞬間、石がかすかに光を放つ。
「……ん、なんだっけ、これ」
手の中の石を見下ろして、俺は思わずつぶやいた。
「……これは、晴れ呼びの石じゃないか!なぜこの子が!」
弱った玄太の目に赤い石が映る。
「こ、これ……スイカ畑に埋まってて……」
そういや玄太、昨日割れたスイカ片付けてたっけ。
「分かった、玄太!もうしゃべるな!」
「しかしこれは、ゲドが持っていたはずだ……」
「はっ、まさか!襲撃のとき、急に天貴さんが雨を呼べなくなったのって……!」
シーダが何かに気づくと同時に、アリスの声が震えた。
「農場を火で襲って、雨を呼べないように仕組んだってことね……ほんと、卑怯なやつ」
手の中の赤い石が、今は静かに光っている。
「……皮肉だよな」
俺はゆっくりと立ち上がり、石を握りしめながら口を開いた。
「ムカつく野郎だけど、今回はゲドに感謝しなきゃ」
「……え?」
アリスが振り返ると、俺はほんの少しだけ呆れ混じりに笑った。
「こいつがあれば、晴れ知らずの洞窟に入れるんじゃねぇか?」
その言葉に、みんなの視線が一斉に集まる。
「スカイリンクでも晴れは長く持たないって場所だろ?でも、この石を埋めればこいつが勝手に雨を止めてくれるじゃねえか!?」
「あ……!」
**********
リビングではアリスと俺が出発の支度をしていた。
「……すまん、今は農場を空けるわけにゃいかねぇ」
コンバインさんが俺に申し訳なさそうに呟いた。
「いえ、当然です。玄太の事、頼みます!」
「玄太の事はまかせて安心して行ってこい!アリス嬢を頼むぞ」
俺はコンバインさんに頷くと、ソファにいたクータンに声をかける。
「クータン、なるべく早く戻る」
「ふむ」
あいかわらず表情に出ないけど、多分あいつなりに心配してくれてるんだろう。クータンに別れを告げ外に出ると、ラクターさんが馬車を用意してくれていた。
「ラクターさん、よろしくお願いします」
「よし。アリス、天貴!出るぞ」
そして馬車が動き出す。
馬車に揺られながら、ソワソワする俺はたまらずアリスに話しかけた。
「なぁ、その洞窟って広いのか?見つけられそうか?」
「導流晶がある場所は未来視でだいたい把握してる!心配しないで」
「おぉ!カッコつけて出て来たけどさ、ちょっと心配だったんだ!……アリスのチカラ、頼もしいな」
「ふっふっふ!まかせなさい!」
「でもさ、視える未来と視えない未来って、どう違うんだ?」
「んー、そうね……」
アリスは少し考えてから、言葉を選ぶように話し出す。
「天貴はこれから、何時間かかっても導流晶を探す。見つけようとする、じゃなくて……必ず見つける気でしょ?」
「ああ。死んでも持ち帰ってやる」
「うん。だからこそ、“手にしてる未来”が視えたのよ」
「なるほど。ってことは、俺はいま、やり切った未来に向かってんだな?」
「そう。天貴がそこに辿り着く未来があるから、私はその場面を先回りして視えたって感じ、かな」
ラクターさんが、手綱を操りながらうんうんとうなずいているのがチラッと見えた。
「で、そのビジョンが逆に私たちの手がかりにもなるっていう……言葉にすると不思議な感覚」
「なるほど。タイムリープじゃないけど、未来の結果を前借りしてる感じか」
「結果を前借りかぁ。おもしろい言い方ね」
「じゃあさ、玄太が助かるかどうかは視えないのか?」
「分からないわ。見たい未来が視えるわけじゃないもの」
そうか。アリスの意志で視ているわけじゃないんだ。これ、前にも聞いたような気がするな。
「でも、導流晶を手にした瞬間ならひょっとすると……。だから今はそれを目指すしかないわ」
アリスの言葉に、俺は黙ってうなずいた。
そして、馬車の速度がゆっくりと落ちていく。
「見えてきたな」
手綱を引きながら、ラクターさんが前を見つめる。
「……あれが、晴れしらずの山」
馬車から見える空の向こう、霧と雨にけぶる灰色の山が静かに姿を現していた。




