第37話 甘乳パンは、世界を救う
そして次の日の朝。
俺に手を引かれた玄太は、眠そうに目をこすりながらふらふらとついてくる。
「ふあぁ……てんぱい、朝から牛舎っすかぁ?」
「違う違う! お前の一番好きな場所に行くんだよ!」
「好きな場所ぉ……?フードコートすかぁ……?」
「っば!んなもんあるわけねえだろ!キッチンだよ!」
「ふぁっ!? キッチン!?」
キッチンの四文字で一気に覚醒した玄太。まるで犬が“おやつ”って聞いた時みたいにシャキッと立ち直る。
「おっはよお!!」
俺たちはキッチンの扉を開けると中ではアリスとシーダさんが朝食の準備中だった。
「おはようございます!」
「おはよ~!こんな朝早くからめずらしいね。どしたの?」
(玄太、今回の主役はお前だ!)
俺はニヤッとして玄太の背中をポンと押す。
「アリス!シーダさん!今日の朝飯、玄太に任せてくれないか!?」
「へっ?てんぱい!?」
玄太が目をまん丸にして俺を見上げると、すぐに得意そうな顔に変わった。
「よぉし!だったらてんぱいの好物を……!」
「ちっちっち!」
俺はピッと人差し指を立てて横に振りながらニヤリ。
「玄太!俺たちの甘乳パン、作ろうぜ?」
数秒の沈黙。
玄太の顔が、じわじわと笑顔になっていく。そして、目をきらきらと輝かせて、コクンと大きくうなずいた。
「は、はいっっ!任せてくださいっす!!!」
「よし!そうと決まれば、早速取り掛かるぞ」
そう言って、玄太とガッチリ腕を交わせる。
「楽しみにしてるね!」と笑いながら出ていったアリスとシーダさんを見送って、俺たちはキッチンモードに突入。
よし玄太!今日は俺たちの味で、この世界の常識に一発かましてやろうじゃないか。
「で、玄太。甘乳パンの決め手って、あの白いクリームだよな? あれ、作れるのか!?」
「もちろんす! それにはまずは練乳っす!」
さすが食いしん坊!即答だ。
「ふっふっふ……そこで気づいてしまったのだよ、玄太くん」
乳製品の工房を覗いた時だ。チーズとバター、ヨーグルトの存在は確認したけど、練乳っぽいものは無かったんだよな。
「んんっ!?」
「この世界。ひょっとしたら練乳って物自体が存在していない可能性が高いっ!!」
「ってことは……なるほど! 練乳を異世界でデビューさせてみんなをびっくりさせてやるっってことっすね!?」
「だな!ってか、クータンの主食も必要だしな!」
「昨日も、むぅむぅ言いながら仕方なくチーズのパン食ってましたもんね」
二人でニヤリと笑いながら、俺たちは調理台へまっすぐ向かった。
「いきますよぉ!てんぱい異世界練乳プロジェクト、スタートっす!!」
「玄太、違うぞ!」
「え?」
「玄太の異世界食いしん坊プロジェクトだ!」
*****
「まずはバターっとぉ。ペロッ………お、無塩バター発見っす!」
「バター使うんだな?中に塗るのか?」
「ちがうっす!これを今からガァァァって練って、クリーム作るためのベースにするんすよ!」
「へぇ、玄太やっぱすげえな……じゃぁ、牛乳もいるか?」
「はいっ!砂糖と牛乳を一緒に鍋にぶちこんでください!」
「よーし……っと、入れたぞ!」
「ナイスっす!じゃあてんぱいは、それをトロトロになるまでお願いするっす」
「おう!魔導コンロは強火でも焦げないから安心だぜ」
「マジっすか!じゃあ、分量増やしますんで大量に作れるっす!」
「ぅおぉ!えっ?えっ!?そんなに?マジかよ……! 」
そして1時間後──。
ドンッ!!
「てんぱい!練乳クリームできましたっす!!」
玄太が持つ鍋の中には、つやつやの、とろりとしたあの白い液体。
「おぉ、これがあの!?」
指ですくって舐めてみると、少し懐かしい甘さが口いっぱいに広がった。
「間違いない、これだ!お前すごいぞ、玄太!」
「えへへ……うれしいっす!!」
次々とフワフワのパンにそれを挟み、大量の甘乳パンが積みあがっていく。
「よし、完成だな!アルカノア農場初、玄太印の甘乳パン!」
*****
キッチンから立ち上る甘い香りは、いつの間にかリビングにまで届いていた。香ばしいような、やさしいような、幸せの予感がする匂い。
「じゅる……な、なんだ?このよだれもんの匂いは!?」
「玄太さんがなんかすごいもの作ってくれるみたいですよ!」
「モッ!モッ!モッ!早く食べたいモ~!」
「べェェェェ~~!待ちきれないべ~!」
ぞろぞろと、農場の面々がリビングのテーブルに集まり始める。
気がつけば農場オールスター状態。まるで祭りの前の騒がしさみたいに、ちょっとそわそわしていて、ちょっと楽しみで、みんな目をキラキラさせていた。
「時、来たれり!」
その中央には、甘乳パンを誰よりも待ち望んでいるクータンの姿があった。
「お待たせしましたっす!!」
「み、みんな待ちわびすぎだろ!」
そしてリビングのテーブルに、ドンっと置かれた大量の甘乳パン。
クータンはその短い前脚でポフッと一つ手に取ると、まるで、伝説の料理人の最終審査が始まるかのように誰もが、固唾を呑んだ。
————ぱくっ。
クータンが、ひと口食べた瞬間。
「…………はっ……」
「…………は?」
皆が息を呑んで見守る。
「………母の味、ここに極まれり!」
その言葉が放たれた瞬間──。
「うおぉぉぉぉぉ玄太!大成功だ!!!」
「クータンが認めたっす!間違いないっす!!」
歓声が爆発し、農場のみんなが一斉に手を伸ばす。
次々とみんなの口に運ばれていく甘乳パン。
「ちょっと……な、なにこれ……!?」
「やっば、うんまっ!!」
「んんんん!!初めて食べるのに、懐かしい味がする……!」
笑顔と驚きが、ぱぁっと広がった。
「もぐもぐ……んぐ。美味なり……美味なり……」
数日ぶりに味わう甘乳パンに、クータンはぷるぷると震えながら目を潤ませた。
「ぬしらよ……我はまたもぬしらに命を救われた。この甘乳パンある限り……この農場は未来永劫栄えるであろうぞ……!」
「ぶはっ!クータン!大げさっすよ!」
その言葉に笑いが起きる中、コンバインさんは本気で泣いていた。
(やったな、玄太!)
この世界に、練乳が初めて誕生した日だった。
「みんな!この玄太印の甘乳パン、いつか農場で売り出しましょう!」
「天貴、ナイスアイデア!また城が建つわ!」
「みんな!玄太はまだまだ美味いもん生み出しますよぉぉぉ!」
甘乳パンを片手に、俺は派手に宣言してみた。
「おぉぉぉぉぉぉ!!」
期待通りに湧く歓声。
「おお!俺はこれを毎日食べたいぞ!玄太ぁ!!」
「ライラも、お手伝いさせてください!」
リビングにいるみんな大歓迎の満場一致だ。
「みんな、それって……おれの“好き”が役に立つってことっすか?」
皆は黙ってうんうんとうなずいた。
これが、玄太の“うまっ”から生まれた、この世界でたったひとつのチカラだ!
「ありがとっす、みんな……ありがと……てんぱ……」
その様子を俺は嬉しく見守りながらも、玄太だけを“特別枠”にして守ってる自分に気づく。
(これで、めでたしめでたしってか?)
理不尽なこの世界の在り方を否定しながら、自分の価値観で玄太を優遇してる。
(それって結局、この理不尽な世界を認めてるって事じゃねえか?)
テーブルの向こうで、玄太がこっちを見て手を振った。口の端にパンくずつけたまんまで、嬉しそうに駆け寄ってくる。
「てんぱ~い♪」
「ん?なんだ?」
油断した一瞬、俺の口にガボォッと甘乳パンを突っ込まれた。
「久々の、目覚めの一本っす!」
「もがぁっ、おま!」
エヘヘと笑う玄太の笑顔が、すっと胸に落ちる。
(モグモグ……ごくっ……そうか)
たとえこれがエゴでも。正しさに背を向けていたとしても。
「玄太が隣で笑ってくれるなら、俺はそれでいい!」
なんだか今日は、背中が軽い。
*****
皆で甘乳パンを楽しんでいると、リビングの扉がキィっと開いた。
「お父様ぁ!」
アリスがぱっと声を弾ませる。
現れたのはラクターさん。アルカノア農場の屋台骨だ。
「ちょうどよかったわ。これ、玄太さんが作ってくれたの。ぜひ食べてみて!」
にこっと笑って差し出すアリスの手には、出来立てホヤホヤの甘乳パン。
なんか、娘が父親に100点のテストを見せるみたいなノリ。
「……なぜかすごく懐かしくって、大好きな味なの!」
「ほう?それは旨そうだな」
ラクターさんは目を細め、静かにパンを受け取った。そして、俺たち全員の視線が集まる中でひと口、そっと噛みしめた。
「ゴクッ……こ、これは懐かしいな!練乳か!?」
「練乳?お父様、この味を知ってるの!?」
(いや、ラクターさんサラッとすごいこと言ったぞ?)
そして、次のラクターさんの言葉は、アリスの驚きをさらに上回った。
「うむ。赤ん坊のころのアリスが唯一、口にしたものだ」
「私が?」
アリスがぽかんと口を開ける。
その声にラクターさんがハッとしたように一瞬目を伏せた。次の言葉を飲み込んだように、ピタリと口をつぐんでしまう。
(何だって?じゃあ、なんで練乳のレシピが無かったんだ?)
ラクターさんはパンを見つめそのまま黙り込むと、リビングにしんとした空気が流れる。
(……ど、どした!?)
あまりの真剣さに、場が妙な緊張に包まれたその瞬間だった。
「……しかし、これは美味いな!」
短く、けれど確かにそう言って、もうひと口パクり。その食べ方は豪快で、ちょっとだけ嬉しそうに見えた。
「うへへ!ラクターさんに認められるとは、光栄っす!」
玄太がくしゃっと笑うと、空気がふわっと和らいでみんなの談笑が戻ってきた。
「玄太印の甘乳パン、アルカノアの名物おやつだな!」
襲撃でボロボロだったはずのこの場所に、また一つ、笑い声が増えた気がした。




