第30話 忘れ物、降り立つ
そして、おやっさん農場の天貴の部屋では、今まさにてんぱいの忘れ物が静かに旅立とうとしていた。
「姉ちゃん、おやっさん!ごめんっす。おれ、やっぱりてんぱいの側で生きます!」
玄太は、二人暮らしの姉とおやっさんへの置手紙を部屋の机に置いた。
(他はいらない。友達少ないと、こういう時に楽でいいや)
「整ったか?ならば、場の中央に立ち、身を委ねよ」
「すーはー……すーはー……」
玄太は小さく深呼吸しながら、ポケットに入れた小さなメモの存在をそっと確かめると、部屋の真ん中に立った。
(一応書いた事はだいたい覚えたけど。てんぱいの武器……消えねえでくださいよ)
自分の転移にどんな制約があるかは分からない。この一枚のメモだけでも……そんな祈りを胸に、玄太は魔法陣の上に立つ。
「その陣から決して出るでないぞ。転移が失敗すれば、その身が持たぬ」
「わ、わかったっす」
(ひぇ、こっわ)
クータンがすっと立ち上がり短い前脚を天井に掲げると、静かに呪文を唱えはじめた。すると、それに応えるように、床に浮かんだ牛の魔法陣が、ゆっくりと回転を始める。
「いよいよっすか……」
玄太が不安げにクータンを見つめると、クータンもじっと玄太を見返していた。
「ぬしを持ち主のもとに送れば、まことに我が使命は完了じゃな」
「……え?そうだ、ちょっと待って。俺が行っちまったらクータンはどうなっちゃうんすか!?」
「……我は元より三日で死す運命。案ずるに及ばん」
表情が分からないクータン。
「え……?そんなのって……」
しかし玄太には、そのいつもと変わらないクータンの無表情がどこか悲しそうに見えた。
「ダメ……」
クータンをここに置いていけば、そのうちおやっさんに見つかるだろう。そうなれば保健所か、てんぱいが心配してたように最悪、殺処分なんてことも……。
(どっちにしろ!このままほっといたら、寂しく腹空かせて……餓死しちゃう!)
「……それはダメだ!」
玄太は、魔法陣の光越しに揺れるクータンの姿を見つめながら、きっぱりと言った。
「死ぬ運命……?ちがうっすよ!」
「クータンはてんぱいに生かされて…、俺が命をつないだんすから!」
その瞬間、足元の魔法陣が何重にも重なって光を放ち、回転の速度を増していく。
「だからもう、クータンは運命から解き放たれてるっす!」
玄太は咄嗟に魔法陣の外へ飛び出し、傍らにいたクータンを野菜用の背負いかごにポンッと入れて、勢いよく背負った。
「――ん間に合えぇぇぇぇぇ!!」
吹き上がる光の奔流に、クータンを背負った玄太の姿が包まれていった。
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クータンを背負った玄太は見知らぬ小高い丘の花畑に倒れていた。異世界のそよ風に吹かれて、目を覚ました玄太は……。
「う、うぇぇぇ……」
頭の中をミキサーみたいに、ぐるんぐるんにかき混ぜられていた。身体全体がビリビリして、足元はふらふら。視界はぐらぐらするし、耳鳴りも止まらない。
「これ、地上……すか?無事に着いたっぽい?」
周囲は見渡す限りの草原と、見た事もないお花がいっぱい。
「わぁ!綺麗なお花畑」
「むぅ……我も、彼の地に降りようとは……」
背中のクータンが、背中の籠の中で小さく呻くように言った。
「ぬしも無茶をするのぉ……寿命がちじんだわい」
(寿命?もう何日も延長してるくせに?)
なんて思ったけど、今はそれどころではない。
「てんぱい!おれ、来ましたよ」
転移酔いでフラフラする体調を戻すため、異世界の空気を改めて深呼吸する玄太。
(す〜〜、はぁぁぁ……てんぱいと同じ空気、うめえぇぇ!)
そんな風に思ったら一気に正常を取り戻せる。
「…はっ!」
振り返ると、そこには今しがた自分が現れたと思われる魔法陣の残り香が、光の残像のようにかすかに揺らめいて、今にも消えそうになっている。
(もう、地球には戻れない……のかぁ)
そして、次の瞬間風向きが変わった。
「ん……?なんか、煙くないっすか?」
遠くの空に、うっすらと立ち上る黒い煙。どこかで何かが燃えている?
玄太はクータンを背負い直し、ゆっくりと歩き始めた。
「てんぱい、どこっすかね……」
見渡す限り、建物も人の気配もない。ただただ広がる静かな草原と所々の岩。風の音だけがやけにリアルで、異世界に来たという現実味が増す。
「ふむ、思念送りとは勝手が違うのぉ……」
「ま、足使って探すっきゃない」
クータンとそんなやり取りをしていた玄太の耳に、馬の蹄の音と小さく人の話し声が届いた。
(ん……?)
風に乗って運ばれてくる話し声。嫌な予感がして、玄太は慌てて大きな岩に身を伏せた。
岩陰からコソッと覗くと、青いマントをたなびかせた金髪の騎士が、一頭の馬にまたがって道を進んでいる。後ろには数人の兵士たち。
「農場の分際で私が来ねばならぬとは……どこまで行っても生意気な」
「ゲド様!申し訳ありません!ただの農具だと油断してました。まさか武器になるとは」
「ふん、こしゃくな。アリスの先見の力で襲撃に備えていたという事か……」
蹄の音で聞き取りづらかったけど、たしかに今……言った。
(――ゲド?)
玄太の目の奥がスンッと冷えた。
(ゲドって確か、てんぱいの妨害したっていう……おれの敵!!!)
脳裏をよぎるのは、第二回てんぱい異世界転生会議でまとめたホワイトボードに書いたゲドという名前。
聞き耳を立てるスパイ玄太に、さらに衝撃の一言が突き刺さる。
「農場など燃やしてしまえばイチコロなんですが……」
「変な小僧が雨降らせて消しちまうんです」
(変な小僧?まさか……てんぱいの事だったらぶっころ!)
「そのために私が来たのだ。農場を晴らしたかったんだろう?その希望、私が叶えてやろう」
「な、なにか秘策が!?さすがゲド様!」
「見物だな、墜ちた王国最後の砦が焼き尽くされる様が」
(え?なにそれ、どういう攻撃!?)
「よし皆の者、少しペースを上げるぞ!」
ゲドの指揮に一行は足早に農場に向かった。
「行ったっすね」
そっと岩陰の草むらを抜け出すと、黒い煙を見上げる。
「事は、急を要するの」
「ゲドってやつ、何か企んでるっす!早く、てんぱいに会わなきゃ……!」
玄太は、馬の進行方向をじっと見つめた。
(こいつらの進む先に、おれのてんぱいが!?)
そして、玄太の足は迷いなくその黒い煙に向かって進んでいた。
「てんぱい、おれが行くまで無事でいるっすよ」
目指すはただ一つ、アルカノア農場へ!




