第2話 告げられた神託
一方そのころ、玄太はおやっさんを引っ張るように牛舎に向かっていた。
「おやっさん、急いで急いで……って、あれ?てんぱい?」
戻った先では、天貴が何かを小脇に抱えたまま牛舎から猛ダッシュしていた。
「てんぱ~い!?おやっさん呼んできたっすよ~!」
玄太は慌てて少し追いかけながら、呼びかけたが、天貴は振り向きもしない。いや、むしろ速度が上げて去っていく。
「なんかあったんすか!?ちょ、待って、てんぱ~い!!」
少し遅れておやっさんが息を切らしながら追い付いた。
「んぁ?天貴の奴どうしたんだ?」
「さ、さぁ……」
走り去る天貴の背中を、ポカンとしながら見つめる玄太であった。
————バタン!
自分の部屋の扉を、バタンッと勢いよく閉める。
「ふぅ……」
適当な座布団を引き寄せ、その上に仔牛……いや、クダンとやらをちょこんと置く。
「とりあえず安全圏には入った、はずだ」
(今日は朝っぱらからなんなんだ)
そのまま床にドサッと腰を下ろすと、向かい合ったクダンが、きょとんとした目でこちらを見ていた。
「先の藁床も風情はあったが、ここはことさらに居心地が良いのう」
ふにゃっと座布団に体を預けて、幸せそうな顔をしている。こいつ、今さっきまで自分の命がどうこうって話してたはずなのに。
「それよりお前、なんなんだよ!三日の命ってあれ、本当なのかよ」
産まれたばかりの存在が、自分の死期をさらっと口にするなんて前代未聞だ。
(いや、なにもかもが前代未聞なんだけどな)
「案ずるな、それもまた天の巡り。我はただ、使命を全うするのみ」
どこか誇らしげに、遠くを見つめるクダン。
言ってることの重さのわりに、やたらと晴れやかな顔。しかも微妙に誇らしさすら感じるのがちょっと鼻につく。
「なんか……本当っぽいけど、どう考えても胡散臭い」
俺はツナギのポケットから滅多に使わないスマホを取り出し「クダン」と入力した。
「検索っと」
すぐに、それっぽい情報が出てくる。
──未来を予言し、三日で死ぬ──
(マジかよ)
「ってかお前って、ほんとに実在した奴だったんだな?」
クダンがふいっと視線を寄越す。
「これは奇なり。実際におるこの我を前にして、なお“おったのか”とは。ふむ、人間とは実に不思議な種じゃ」
(言われてみれば確かにそうなんだけど)
トントン。……トントン!
突然、部屋のドアをノックする音が響いた。
「てんぱ~い!いるんすかぁ?さっきは無視して行っちゃうなんて、ひどいっすよ~」
(やばい、玄太だ)
「おい、仔牛!俺はとりあえず仕事行くから!お前はここで大人しくしてろよ」
そう言いながら立ち上がろうとすると、クダンが急に口を開いた。
「その前に、我が身ただの仔牛にあらず。未来を告げる者として、予言を口にせねばなるまい」
えっ、今?っていう俺の空気を一切無視して、クダンは続けた。
「三日目……我が命尽きるとともに、おぬしはこの世界との縁を断たれる。否応なく、じゃ」
「……………は?」
「これは、異界渡りの予兆なり。ぬしよ、その刻まで備えを怠るでない」
その瞬間、扉がガチャッと開いた。
「お、おおぉ!玄太くんかぁ!気づかなかった、どうした?」
咄嗟に、部屋の中の仔牛を隠すように立ち、自然な動きで視界をふさぐ。
「どうしたじゃないっすよ!はなこの仔牛もいないし!てんぱいは急にどっか行くし、ちんぷんかんぷんっすよ!」
「わりぃわりぃ…べ、便所。急に行きたくなってな!」
「どんだけ必死だったんすか!おやっさんには寝ぼけてたんだろって怒られるし!」
なるほど。おやっさんには、玄太が仔牛を見間違えたってことで片付いたらしい。これは好都合。
(ならこのまま、玄太にもマボロシ路線で押し通すか)
にこっと笑いながら、俺は玄太の肩をぽんと叩いた。
「お前、寝不足だったんじゃねーか? 気をつけろよ。今の季節、疲れやすいからな」
「え~?てんぱいが仔牛が産まれてるって言ったからおれ、呼んできたんすよ」
ぷんすかと怒る玄太を「はいはい」ってなだめながら、俺はそっと部屋を後にした。
*********
「ふぅ、暑いな」
そう言ってツナギの上半身を脱いで腰に巻く。白いTシャツには牛のマークのワンポイント。
牛舎の掃除と餌やりに没頭していたらあっという間に時間が過ぎる。はなこは何事もなかったかのように、いつも通り草をはんでいる。
(本当に、はなこから産まれたのか?あいつ)
ゴーン……ゴーン……。
農場内に昼休憩を告げるベルの音が響いた。
「ふぅ、腹減ったな!」
「はい!そろそろ昼飯っすかねぇ?」
そう言って二人で食堂に向かう。何を食おうか悩みはじめた玄太を横目に、俺の頭の中に聞き覚えのある声が響いた。
(我、栄養補給の刻来たれり。甘乳パンを所望する)
「あいつ! テレパシーとか使えるのかよ!!」
「てんぱい!?なんすかテレパシーって?」
(やばい。思わず声に出してしまった)
「いや、玄太は……かつ丼とか食いたいのかな~って、テレパシーってやつ?」
「えっ!?すごいっすね!おれ、今日はかつ丼かなぁって!」
「だ、だろ~?はは」
(こいつ週イチでかつ丼食ってるから、そろそろかなって思っただけだけどな)
食堂の手前で、俺はふと思い出したふりをする。
「やっべ、スマホ忘れてきたわ。玄太悪いけど先に食っといてくれ!」
そう言って食堂に背を向けるが、当然のように付いてこようとする玄太。自然な笑顔を浮かべて、くるりと玄太を180度方向転換させて、食堂へ送り出す。
そして、玄太の背中が見えなくなった瞬間、俺も方向転換して購買へダッシュ。
(よし、バレてねぇ!)
俺は購買で買ったミルクフランスを三本握りしめ、忍者か何かのようにササッと部屋へ戻った。
*****
「母の味が五臓六腑に染みわたる。まさに、口福の極みじゃ」
ソワソワしている俺とは裏腹に、座布団の上のクダンが、とろけたような顔で甘乳パンをゆっくりと食べ終え、口をぺろりと舐めた。
(本当に五臓六腑とか、ちゃんと揃ってんのかよ?)
そんなツッコミが頭をよぎった。それよりも、今朝のあの一言。
「今朝言ってた、俺がこの世界との縁が切れるって、どういうことだよ?」
するとクダンは、甘乳パンの余韻を引きずるように、ふわっとした声で答えた。
「そのままの意味じゃ。この世界との縁が切れ、新たな世界との縁が始まるのじゃ」
「それって、俺は、えーっと、し、死ぬのか?」
いちばん口にしたくない事だったけど、気づけば口が勝手に動いてた。
ドクン、ドクン、ドクン……。
天貴の心臓がドラムロールみたいに高鳴る。
クダンはぺろっと唇を舐めながら、さらっと答えた。
「否じゃ。 ぬしは我と違い死にはせん。ただ、この世界から去るだけじゃ」
「ほっ……っじゃねえ!ここから去るって簡単にいうけどなぁ、どこへ行こうってんだよ!?」
バンッ!!
その時、部屋の扉が思いっきり開いた。そこには、目に涙をいっぱいためた玄太が立っていた。
「て、てんぱぁぁぁぁぁっ!」
ドドドドドッと駆け寄ってきて、ドンッ!!
「てんぱい!農場やめちゃうんすかっ!?」
そのまま思いっきり、俺に抱きついてきた。一瞬気をやりそうになったが、何とか持ち堪える。
「うっ……げ、玄太!? ちょ、おまっ、痛てててて!!」
「やだっすよ~! てんぱいがいなくなったら、おれ、おれっ……!」
(ど、どういう展開だ、これは!?)
「ちょっと待て、な?玄太」
「だって今、ここから去るって聞こえてきて……グス」
その部分を聞いていたのか。
しかし、俺の背後には今、あの仔牛が普通にたたずんでいる。さすがにこの距離、この状況ではもう隠し通せそうにない。
「玄太。落ち着いて聞けよ。ちょっと説明するから」
そう言って俺は、今朝から始まった奇妙ないきさつを順番に語り始めた。




