第10話 忠犬、歩き出す
天貴が転移し主を失ったその部屋で、玄太は布団にくるまりながら寝付けない夜を過ごしていた。
「クータンのこと、頼む」それが、てんぱいの最後のメッセージだった。
そのひと言を胸に、玄太はそのまま天貴の部屋で夜を明かすことにした。
だけど、眠れない。少し寝てはすぐに目が覚めて、の繰り返し。
「はぁ…なんでおれ、逃げちゃったんすかね…。最後に、ちゃんと話したかったっすよ…」
布団の中でポツリとこぼれた後悔が、夜の静けさに溶けていく。そんな自分にため息ついて、そのまま、いびきに変わる。そしてまた、ハッとして飛び起きる。
「クータン…生きてるっすか?」
てんぱいに神託を告げて、使命を果たして、明日になれば、産まれて三日目がやってくる。
それは、クータンの終わりを意味していた。
(なんで…なんでみんな、おれの前から去っちまうんすか…)
布団の中で、声を殺して泣いた。鼻をすする音が、夜の部屋に小さく響く。
──そのとき。
「……甘乳パンを…所望する…」
かすれた声に玄太はビクッとなったが、一瞬で涙がひっこむほど、あまりにもいつも通りのクータンだった。
「……まったく、これが最後の一本っすよ!」
そう言って、天貴の部屋に残ってた最後の甘乳パンの袋をバリッと破る。
これは天貴の部屋に残されていた最後の一本。
どうあがいてもクータンにとっては最後となる、その一本をクータンに渡す。
力なく受け取ると“もそもそ”と食べ始めるクータンを見ていられない玄太は布団に戻り丸くなった。
―――――朝日で目を覚ます玄太。
「はっ…ここは!って、てんぱいの部屋か…」
ボーッとした頭の中に、ふと何かが引っかかった。
(あれ……時間……)
時計を見る。
3日前にてんぱいがはなこの異変に気づいて、俺がおやっさんを呼びに行ったその時刻はもう、とっくに過ぎていた。
「……クータン!!」
布団からバッと飛び起きる。
視線の先、床に落ちていたのは、かじりかけの甘乳パン。
そして、まったく動かないクータン。
「クータンも行っちゃったんすね……」
知っていた。頭ではとっくに覚悟していた、つもりだった。
だけどそれでも、天貴に続いてクータンまで…旅立ちの現実に触れた瞬間、玄太は…ただ、そこに立ち尽くすしかなかった。
…皆が出勤する前にこの部屋の裏手にでも埋めてあげようか。
ぼんやりとそんなことを考えていると、少しの沈黙のあと、ハッキリと返事が返ってきた。
「‥‥生きておるぞ?」
「うわぁぁぁぁ!!」
驚きすぎて床に尻もちをついた玄太をよそに、のそのそと起き上がる白黒の物体。
転がっていた甘乳パンをヒョイッと拾い、定位置の座布団に戻っていつもの体制でちょこんと座る。
「昨夜、食してる間に眠ってしまっての。転送で力を使いすぎたか…」
そう言って、まるで何事もなかったかのように、モグモグと甘乳パンを食べ始める。
死んだんじゃなかったんすか!?と目を丸くする玄太。
「これは奇なり。実際に生存しておるこの我を前にして、なお“なかったのか”とは──ふふ、人間とは実に不思議な種じゃ…モグモグ」
(言われてみれば確かにそうなんすけど…)
――――トントン!!
突然、部屋のドアをノックする音が響いた。
「その声はー、玄太か!?天貴の部屋の様子を見に来たんだが…」
(この声は、おやっさん…やばいっす!)
クータンを見られないようにとっさに玄関へダッシュしてガチャッ!!扉を開けた瞬間、おやっさんと目が合う。「おぉっ……!?」っと、おやっさんが何か言いかけた、その前に!
「おやっさん!おれ、この部屋に住むっす!!」
「え?そ、そりゃあ構わねえが……!?」
めちゃくちゃ驚いた顔のままフリーズするおやっさんをよそに、玄太はにっこり笑う。
「じゃあ着替えるんで!覗かないでくださいね!!」
(クータンが見つかっちまいますからね!)
バタン!!!
「ば!誰が!お前なんか覗かねえよ!」
おやっさんは少し微笑んで冗談交じりに、「あいつに怒られちまうからな」っと呟いて天貴の部屋、もとい玄太の部屋を後にした。
ふんふんっと鼻歌交じりにタンスをガサゴソ。
天貴の置いていった服を広げて自分が着れそうなものを物色する玄太。
「あ!このTシャツ!!…ちょっとてんぱいっぽい匂いする…」
小声でそう言って、恥ずかしそうに笑う玄太。さすがは鼻の利く忠犬である。
「……これにしよ」
そんな様子を見ていたクータンが、甘乳パンをもぐもぐ食べながらぽそっと呟いた。
「ぬし、風向きが変わったの…昨日までかようにブーブー鳴いておったというに」
「誰がブーブーっすか!!」
いつものクータンの冗談にも“ふふっ”と笑って着替える玄太。
この部屋で、てんぱいが俺に託したクータンを守って生きていく。
そうすることで、てんぱいとのつながりを守れそうな気がして。
「てんぱい!クータンもおれも元気っすよ…!!」
今日の天気は玄太の心とリンクしたような澄み渡る晴れ空だった。