第1話 てんぱい、仔牛を拾う
『父ちゃんと母ちゃんが死んだ日に、おれはプロポーズされたんす』
幼かったおれは、その言葉のちゃんとした意味なんて分かんなかったんすけど……。
―――十三年前。
火葬場の煙突を、十歳の玄太はボーッと眺めていた。
「これも食べるか?玄太」
「玄太、ご飯おかわりは?」
ついこの前まで、一緒にご飯を食べていた父ちゃんと母ちゃんが、あっという間に白い煙になっていく。
「交通事故ですって!」
「あらやだ!まだ小さいのに」
集まった近所の人たち。
泣き止まない姉ちゃんと玄太に「可哀そうに」とか「何かあったら言ってね」なんて言葉を投げてくれる。けど、その言葉はどれも胸に届かなかった。
そんな時、玄太の手を無言で握った一人の少年がいた。近所に住んでて、天貴兄ちゃんだ。
「……おい」
彼はそっとしゃがみ込んで、玄太の目の高さに顔を合わせた。
「おれも母ちゃんいねぇから。一緒だ」
その一言に、幼い玄太は息を呑んだ。
「あとさ。どうせ人はいつか死ぬんだって。だからそんなに泣くな」
子供に言うにはあまりにもぶっきらぼうで、乱暴な言葉。
「どうせ死…?ぅあぁぁ…」
突然突き付けられた現実に泣き出しちゃったけど、玄太にはそれがどんな優しい言葉よりも真実に聞こえた。
「わわ!ほ、ほらじゃあさ!俺がお前のお父さんになってやるから」
慌てながら天貴兄ちゃんはそう言って、玄太をそっと抱きしめた。
(今このお兄ちゃん、オトウサンって言った?)
どう考えても適当な言葉だったけど、それは玄太の胸の奥に刺さった。涙は止まらないままなのに、不思議な感情がこみ上げてきた。
(うちの母ちゃん、父ちゃんの事『オトウサン』って呼んでたから……)
その瞬間からだった。
(それって。ぼくとこの兄ちゃんが、ふうふになるってこと?)
玄太の中で、彼はただの近所の兄ちゃんではなくなった。
―――そして時が過ぎた現在。
「てんぱ~い! おはよーございまーすっ!!」
「ふぁ!?な、なんだ!」
窓の外から突然聞こえたのは、朝の静けさをぶち破る爆声ハイテンション。寝起きで半裸のまま農場の寮から顔を出すと、見慣れた緑のツナギ姿が手を振っている。
「おう、元気すぎんだろ!まだ六時半だぞ!」
勝手に俺のモーニングコールを担当してる後輩の玄太だ。昨夜も遅くまで二人でオンラインゲームで夜更かししたっていうのに、こいつってばどうなってんの?
「てんぱいを起こすのは、おれの使命っすから!」
「わーったよ、すぐ降りる!」
バタバタと青いツナギに袖を通し、ペンキで白くなった部分をはたく。そして片手にはいつもの朝飯、農場特製のミルクフランス。ふわふわのパンに、練乳クリームたっぷり。朝からハッピー確定の逸品。
……なんだけど。
「おい。お前見すぎだろ」
横に並んで歩くす玄太の視線は、俺の口元にロックオンしていた。
「今日も最高にうまそうっすねぇ…じゅるっ」
「…しゃーねぇなぁ。ほら!半分やるよ」
「うっしゃあ!てんぱい最高っす!」
パンをちぎり、いつもどおり少しだけ大きくなった方を無意識で玄太に渡す。まあ俺のいつもの癖だ。玄太はそのパンを受け取ると、突然俺の口にそのパンをぐいっと突っ込んできた。
「はい!目覚めの一本っす!」
「んぐっ!?おまっ!」
「じゃあ、俺はこっちをっと……ぱくっ!」
嬉しそうにパンを頬張る玄太を見て、思わず俺も吹き出しそうになる。
「うんま~!これで今日も頑張れそうっす!」
ほんと、毎朝これだ。いや、別に嫌じゃないけどさ。
玄太は近所に住んでた歳下の幼馴染だ。小さい頃はよく公園で一緒に遊んでたけど、俺が学校の友達とつるむようになってからは自然と疎遠になってった。
で、こいつが中学卒業の時に突然、俺に進路の相談に来たっけ。
「あ、あの、兄ちゃん!おれ、進学とか興味なくて…相談する人いなくて、そんで……」
「あー、うん。そっか。じゃあ農場で俺と一緒に働いてみる…?なーんて」
「はい!!すぐ行きます!来週、いや明日、いや……今日からでも!!」
「お、おう……」
てな感じで、被せ気味でゴリ押し即決。いや、お前ちょっとは考えろよな?
ちなみに、てんぱいって呼び方は、俺の名前の天貴に先輩をくっつけただけ。本人曰く「てんき先輩だと長いから、てんぱいでいいっす!」らしい。
最初はふざけてんのかと思ったが、毎日そう呼ばれてるうちに、もう定着しちまった。そんなこんなで、今じゃまるで忠犬みたいに、毎日こうして俺に張りついている。
「ふぅ。ごちさまっした!ってか来週、崩壊王国アプデっすよ!あ~楽しみすぎ!」
「ああ!アプデ前になんとか最終領域まで滑り込んだな」
マルチプレイのネットゲーム、崩壊王国オンライン。玄太のお誘いで始めたけど、今では二人してどっぷり沼ってる。
「やっぱ、水樹Pのゲームははずさないっすよ!てんぱいの次の次くらいに信頼出来る男っす!」
「落ち着け。牛たちがビビるだろ」
そう言って牛舎の扉を開けた、そのときだった。いつもと空気が違う…気がする。
「てんぱい?」
「しっ。なんか変だ。匂いっていうか、気配が」
牛たちは草をもしゃもしゃ食んでる。普段と同じ。けど、その奥。
「あれ……はなこ?」
そのそばに、仔牛の影がピクリ。
「嘘だろ!?予定日、まだ三か月以上先のはず!」
天貴は食べかけのパンをツナギの右ポケットに突っ込んで、はなこに駆け寄った。
「玄太!おやっさん呼んできてくれ!」
「はわわわ……が、合点っす!!」
玄太は慌てて牛舎を飛び出していく。その背中を見送りながら、俺はうずくまる仔牛の前に膝をついた。
「はなこ!産んだのか?おい?仔牛やーい!」
動かない。反応がない。目も開いていないし、呼吸の気配もない。
「おーい……生きてるか?」
ダメ元でもう一回声をかけてみる。
少しの沈黙……。
けれど次の瞬間、ハッキリと返事が返ってきた。
「……生きておるぞ?」
「うわぁぁぁ!」
俺の心臓が跳ね上がる。
「いやいやいや!? 喋った!? 今喋ったよな!?」
飛びのいて後ずさりする俺を、仔牛…いや、真っ黒い体の何かが、ぱっちりした目で見つめていた。白い顔に短い脚。ぴょこっと立った小さな2本の角だけが、かろうじて牛らしさを保っていた。
「お、お前は…何者だ!?」
するとそいつの小さなお口が、ふわっと開いた。
「Qü'dhân」
(は?今の日本語?)
「えっと、もう一回いいか?」
「ふむ。我は件。未来を告げる者にして、現在空腹である」
「なんだ普通にしゃべれるじゃねえか……!」
(って、そもそもそれがおかしいんだけど!)
「要するに予言する仔牛じゃ」
「はぁ?なんだそりゃ」
まったく、今日は変な朝だぜ。そんなふうに軽く思ってけど、俺はまだ気づいてなかった。この出会いが、俺の未来をまるごとひっくり返すなんて。ところでこの仔牛。ふわふわしてるのに、やたらと堂々としてる。すると突然スッと立ち上がった件が、ギラリと目を光らせた。
「ときにおぬし。右ポケットに何か仕込んでおるな?」
「はぁ?なんのことだ?」
やつの目がじぃっと俺のポケットのふくらみに釘付けになってる。
「我はそれを所望する。まず栄養補給である」
(…おい、こいつまで俺の朝飯狙ってんのかよ)
「お前、なんでここにミルクフランスがあると分かったんだ!?まさかこれが予言…?」
「否!匂いである。それはもはや予言でもなんでもない」
いや、どんな予言者だよ。
「…ったく、ほら。食えよ」
パンを渡すとクダンは短い前脚でそれを受け取り、モフッと一口。
「む、これは…!」
ひと噛みして、硬直する仔牛。
「これは…母の味であるな」
「練乳の原料は牛乳だし、まあな?」
「やわらかく、あたたかく、甘い…。まさしく、母の乳を彷彿とさせる!」
「ってか、いつの記憶だよ!? おまえまだ授乳してねーだろ!」
クダンはうっとりと目を閉じた。
「これは、甘乳パンに命名する他あるまい」
「いや。既に世の中がミルクフランスって命名済みだから!」
パンをぺろりと平らげたあと、満足げにポスンと座り込み、急にキリッとした顔に戻る。
「さて、予言じゃ」
「き、切り替え早すぎだろ!」
と、その時。外からガヤガヤと声が近づいてきた。玄太か?まずい!おやっさんも一緒だ!
「おい仔牛!ここにいちゃまずそうだ。とりあえず俺の部屋に!」
「ほう。旅立ちの支度か?」
いやコイツ、自分のヤバさに気づいてないのがいちばんヤバい。会話してる場合じゃねぇ。俺はクダンをひょいっと抱きかかえ、そのまま寮の部屋へダッシュ。
「お前、見つかったらやばいんだよ!」
「それは、いかほどの禍事か?」
「お前みたいなヤバい仔牛は、下手すりゃ殺処分だぞ!?」
口にしてから俺は一瞬で後悔。仔牛とはいえ、産まれたての赤ちゃんに向かって言うセリフじゃなかった。
すると俺の腕の中で、クダンがふわっと軽くなった気がした。
「心配は無用。我が命、もとより三日の定め…」
「…は?」




