第1話 てんぱい、仔牛を拾う
「てんぱ~~い! おはよーございまーすっ!!」
「ふぁ〜ぁ…な、なんだ!?」
窓の外から突然聞こえたのは、朝の静けさをぶち破る爆上げハイテンション。
勝手に俺のモーニングコールを担当してる、後輩の玄太だ。
寝起きで半裸のまま農場の寮から顔を出すと、見慣れた緑のツナギ姿が手を振っている。
「おう、元気すぎんだろ……!朝六時半だぞ!」
「だって~!てんぱいを起こすのはおれの使命っすから~!」
「わーったよ、すぐ降りる!」
バタバタと青いツナギに袖を通し、ペンキで白くなった部分をはたく。
そして片手にはいつもの朝飯、農場特製のミルクフランス。
ふわふわのパンに、練乳クリームたっぷり。朝からハッピー確定の逸品。
……なんだけど。
すでに玄太の視線が、俺の右手にロックオンしていた。
「今日も、最高にうまそうっすねぇ……じゅるっ」
「……しゃーねぇな。ほら、半分やるよ」
「うひょっしゃあ!てんぱい最高っす!」
パンをちぎり、いつもどおり少しだけ大きくなった方を無意識で玄太に渡す。
それも、まあ俺の癖だ。
玄太はそのパンを受け取ると俺の口にぐいっと逆輸入してきた。
「てんぱい!目覚めの一本っす!」
「んぐっ!?おまえ……!」
「じゃあ、俺はこっちを……ぱくっ!」
嬉しそうにパンを頬張る玄太を見て、思わず俺も吹き出しそうになる。
「うま~~!これで今日も一日元気いっぱいっす!」
ほんと、毎朝これだ。
(いや、別に嫌じゃないけど…)
玄太は近所の幼馴染で、中学卒業の時になぜか俺に進路相談。
この農場に誘ったら、就職即決。
今じゃまるで忠犬のように、毎日こうして俺に張りついている。
「ふぅ…ごちそうさまっした!」
「んじゃ、今日も牛舎からっすか?一緒に乳搾りっすか?」
「落ち着け。牛たちがびびるだろ」
そう言って牛舎の扉を開けた、そのときだった。
……空気が違う。
「……てんぱい?」
「しっ。なんか変だ。匂い…っていうか、気配が」
牛たちは草をもしゃもしゃ食んでる。普段と同じ。
けど、その奥!
(……はなこ?)
そのそばに、仔牛の影がピクリ。
「嘘だろ……予定日、まだ三か月以上先のはず……!」
食べかけのパンをツナギの右ポケットに突っ込み、一気に駆け寄った。
「玄太!おやっさん呼んできてくれ!」
「はわわわ……が、合点っす!!」
玄太が飛び出していく。
その背中を見送りながら、俺はうずくまる仔牛の前に膝をついた。
「はなこ!産んだのか?おい?仔牛やーい!」
動かない。反応がない。
目も開いていないし、呼吸の気配もない。
「……おーい、生きてるか?」
ダメ元でもう一回声をかけてみる。
少しの沈黙……けれど次の瞬間、ハッキリと返事が返ってきた。
「……生きておるぞ?」
俺の心臓が跳ね上がる。
「いやいやいや!? 喋った!? 今喋ったよな!?」
飛びのいて後ずさりする俺を、仔牛…いや、真っ黒い体の何かが、ぱっちりした目で見つめていた。
白い顔に短い脚。ぴょこっと立った小さな2本の角だけが、かろうじて牛らしさを主張していた。
「お、お前は……何者だ!?」
するとそいつの小さなお口が、ふわっと開いた。
「Qü'dhân」
(…は?今の日本語?)
「えっと、もう一回いいか?」
「ふむ、我は件。未来を告げる者にして、現在、空腹である」
「なんだ普通にしゃべれるじゃねえか……!」
(って、それもおかしいが!)
「要するに予言する仔牛、それが我、クダンなのじゃ!」
「予言する仔牛…?なんだそりゃ」
(今日はちょっと変な朝だぜ)
そんなふうに軽く思ってた。
でもこの時、俺はまだ気づいてなかった。
この出会いが、俺の未来まるごとひっくり返すなんて。
ところで、この仔牛。
どこかふわふわしてるのに、やたらと堂々としてる。
すると突然スッと立ち上がったクダンが、ギラリと目を光らせた。
「ときにおぬし、右ポケットに何か仕込んでおるな?」
「……は?なに?」
目がじぃっと、ポケットのふくらみに釘付けになってる。
「我はそれを所望する。まず、栄養補給である」
……おい、こいつまで俺の朝飯狙ってんのかよ。
「お前、なぜここにミルクフランスがあると分かったんだ!?まさかこれが予……」
「否!匂いである。それはもはや、予言でもなんでもない」
いや、どんな予言者だよ。
「……ったく、ほら。食えよ」
パンを渡すと、クダンは短い前脚でそれを受け取り、モフッと一口。
「む、これは……母の味、であるな?」
「練乳の原料は牛乳だし、まあな……」
「やわらかく、あたたかく、甘い……まさしく、母の乳を彷彿とさせる!」
「ってか、いつの記憶だよ!? おまえ、まだ授乳してねーだろ!」
クダンはうっとりと目を閉じた。
「これは……甘乳パンに命名する他あるまい」
「いや、ミルクフランスって命名済みだから!」
パンをぺろりと平らげたあと、満足げにポスンと座り込み、急にキリッとした顔に戻る。
「さて、予言じゃ」
(ちょ、切り替え早すぎだろ……)
と、その時。外からガヤガヤと声が近づいてきた。
(玄太か?まずい!おやっさんも一緒だ!)
「おい、仔牛!ここにいちゃまずそうだ。とりあえず俺の部屋に!」
「ほほう、旅立ちの支度か?」
(……いや、コイツ、自分のヤバさに気づいてないのが、いちばんヤバい)
会話してる場合じゃねぇ。俺はクダンをひょいっと抱きかかえ、そのまま寮へダッシュ。
「お前、見つかったらやばいんだよ!」
「それはいかほどの禍事か?」
「お前みたいなヤバい仔牛は、下手すりゃ殺処分だろ!?」
口にしてから、俺は一瞬で後悔……。赤ちゃんに向かって言うセリフじゃなかった。
すると俺の腕の中で、クダンがふわっと軽くなった気がした。
「心配は無用。我が命、もとより三日の定め……」
「……は?」