その9 正義の味方・特別講義
★第六話『暴走暴発暴虐ガールズ!』
その9 正義の味方・特別講義
teller:ダリア=リッジウェイ
ことの次第を今まで密かに静観していたらしい先生は、私をカーバンクル寮のロビーのベンチに座るよう促した。
手元に、私の好きな缶のジュースが渡される。
私はその缶をぼんやり眺めたあと、小さく息を吐いた。
ドロッセルと笹巳から、拒絶された。
彼女たちの瞳が、脳裏に焼き付いて離れない。
だってあれは――どうしようもない殺意と、嫌悪感が宿った瞳だったから。
『正義の味方』に、なりたかった。
困っている人に、苦しんでいる人に手を差し伸べ、守り抜き、心を救い、そしていずれは世界を、この星の全てを救う、そんな理想的な『正義の味方』に。
子どもが夢見るような、颯爽と現れて全てをかっこよく、完璧に解決し人々を救済する英雄。
そんな存在に、私はずっと憧れていて。
だからこそ、私の心はいつも正義の炎に燃えていた。
だけど今の私はどうだろう。
同い年の女の子たちから少しきつく当たられただけで、普段なら絶対揺るがない炎が、心に宿る炎が、風前の灯火みたいにゆらゆらしている。
気持ち悪い、な。
宙ぶらりんの状態は、中途半端な状態は、嫌いだ。
「――別に俺の教えとか、授業とかではないから聞き流してくれても構わないんだがな」
ふと、先生が口を開く。
その時、先生の手元には特に飲み物などは握られていないことに気付く。
ただ私を気遣い、私に何かを伝えるべく彼は今、ここに居る。
そんな師の心遣いを無駄にできるわけがない。
先生は聞き流してくれてもいい、と言ってくれたけど。
それはだめだ。違う。
私は今から、学習する。
大切な言葉を私の一部分として吸収する。
先生の言葉には、大抵は何かしら私の未来に繋がる『中身』がある。
私は彼の弟子としてーーどこまでも尊敬している彼の前では、誠実な人間として、彼の声を自分の中に留めていきたい。
ぐらり。
消えかけた炎が、私の中で輝きを少し取り戻した気配がした。
私があまりにも真剣な顔をして見つめるからか、先生はおかしそうに笑って、言葉を続けた。
「出会ったばかりの頃だったかな。俺はお前に言っただろう。『救う』って言葉は、傲慢なんだと」
「……はい。覚えています」
「それと同じなんだよ。『守る』とか、『正義』とか、他人の命の価値を重んじる行為もそうだ。当たり前に綺麗なことを当たり前に綺麗だと受け入れられない人間が、世界には大勢居る。『綺麗事』なんて、捻くれた言葉を使って相手の綺麗な心を否定し、拒絶してしまう人間がこの世界には多すぎるんだ」
先生の言葉の意味が、今この瞬間なら私の全身に染み入るようにわかる。
ドロッセルと笹巳が、そういうタイプの人間だったから。
だけど。
反抗ではなく、純粋な疑問として言葉が口をついて出た。
「……綺麗な言葉の、何が悪いんですか」
「悪くはないよ。事実、お前はとてもまっすぐで誠実で、俺にとっては誇らしい弟子だよ。だけどこればかりは難しい。価値観の違いだけじゃない。文化の違い、生い立ちの違い、人格形成の過程の違い。多様性に溢れたこの世界では、お前がありったけの誠意をもって発した『正義の味方』としての言葉にすら耳を塞ぎたくなる者が大勢居る。そしてその平行線なぶつかり合いは決してなくならない。だからこそ今この星は争いに満ちているんだろうしな」
誇らしい弟子。
そんなこと、先生は滅多に言ってくれないから普段なら飛び上がって喜んでいたところだった。
だけど、だめだ。
現在私たちに課せられている寮生活の目的の一つが地区ごとの異文化交流なのは、わかっているつもりだった。
でも、わかっているつもり、と感情の問題は、別で。
自分の声が、言葉が、想いが、誰にも響かないのは辛い。
それなのに諦めたくない自分はまだ残っている。
だからまだ、私の心の炎は、消えていない。
消えちゃ、いないんだ。
ぎゅ、とスカートの上で缶ジュースを持っていない方の手を握り締める私を見て、穏やかな微笑を浮かべた先生が優しく言った。
「俺はダリアの一番の長所は、欲張りすぎるところだと思うんだ」
「よ、欲張り!?」
急に、なかなかなワードが出てきて思わず素っ頓狂な声が出てしまう。
だってそれは、普通ならば『短所』のカテゴリーに入れられるべき部分じゃないだろうか。
それでも、先生は言う。
「そう、欲張り。――だって、お前は全部助けたいと思ってしまうんだろう? 世界も、命も、心も、全部だ」
先生の言葉にはっとする。
そうだ、私は、そういう人間だ。
『全部』を助けたいんだ。
このちっぽけな手で。
全部を守って、全部に穏やかな平和を与えたい。
そんな『正義の味方』に、ずっとなりたくて、なりたくて。
「普通なら葛藤するんだ。取捨選択ってやつだな。何かを救いたいなら何かを諦めなければいけない。それがこの世の常識なのに、お前は全部救うことを求め続けているだろう。……まあ、さっきみたいにどっちも助けたいばかりに二人のどちらかを選んで追いかけられず結局一人で立ち尽くしてしまった、なんてケースもあるけど」
「う゛っ」
痛いところを突かれて、とても女子とは思えない声を出した私に、先生は少し吹き出すように笑う。
けど、それも一瞬だった。
「それ、悪いことじゃないんだ。人によっては悪いことかもしれないけど、お前がそうだとは思わない」
「私が? 私なら、それを望んでもいいんですか……?」
「ああ。だってお前、根性だけは誰にも負けないだろう? ……俺は、お前なら本当に欲張って全部丸ごと救える気がしているんだ。弟子には甘いから、贔屓目で期待しているのかもしれないけど」
少し悪戯っぽく笑ってから、先生はまたいつもの温厚極まりない微笑を浮かべ、私の前で人差し指を一回振った。
「ダリア。お前に一つ、俺からの魔法を贈るよ。お前が助けたい二人の女の子たちは、正義の味方としてのお前の言葉は激しく拒絶した。だから……ダリア=リッジウェイとしてのお前の言葉を、伝えてごらん。一方的に『救う』、『助ける』と張り切るのは傲慢だ。まずは対等な立ち位置で話さないと、反感が先に来てしまう。本当の意味で誰かを救いたいなら、まず相手と分かり合うのが大切なんだ」
「私の……言葉……」
ダリアとしての、私の言葉。
正義の味方という夢もアイデンティティもかなぐり捨てて、等身大の私で、あの二人にぶつかれば。
そうすれば、いつかは――。
先生が、ベンチから立ち上がる。
「さあ、俺の魔法はここまでだ。行っておいで。セントラルエリアの爆発物は、湊くんを初めとしたサポーターが総出で機能停止に追い込んでいる。今ならどこを歩いても危険は無い。お前はまっすぐだから、がむしゃらに走っても、どこに辿り着いても希望を見つけられるはずだよ」
私は、少し目を閉じて、ほんの少し、思案して。
缶ジュースの中身を一気に飲み干し、それを近くのゴミ箱にカランと音を立てて捨ててから、勢い良く立ち上がった。
どこまでも、真っ直ぐに。
「――ありがとうございます、先生! 私、行ってきます! どこまでも走って、どこまでも全力を出して――ぜんぶぜんぶ、欲張ります!」
「ああ、行ってらっしゃい。……小さなヒーロー」
先生にぺこりと頭を下げ、私は寮を飛び出すように走り出した。
足取りが軽い。
さっきまでのモヤモヤが嘘のようだ。
先生がかけてくれた魔法。
励ましの言葉という名のおまじない。
それは今の私には効果てきめんで、私の心臓からごうごうと正義の炎で燃え盛る音が聞こえる錯覚すら覚える。
ダリア=リッジウェイとしての、ただの18歳の小娘としての私。
『正義の味方』に憧れる未熟な見習いの子どもとしての私。
それら全てを『私』としてひっくるめて、ただ前を向いて、青空の下を走り抜ける。
――この道の先は、私に希望をくれる。
確証なんて何もないくせに、私は足を止めず、ただただ走った。
私の為に。
私が私でいる為に。
世界を愛する、私でいる為に。




