その4 大人になるにはまだ早い
★第五話『ハロウィン・シンドローム』
その4 大人になるにはまだ早い
teller:New supporter・1
血の、匂いがしていた。
彼が纏う血の匂い。
彼がおれの腕に嚙みついているせいで流れるおれの血の匂い。
絶対の敵意と殺意をもって牙が肉に食い込む。
でも、こんな痛みどうってことなかった。
――だって彼が、泣いている気がしたから。
瘦せ細った体、無造作に伸びた髪、服とも言えないボロボロの布切れを身に纏った、幼い幼い子ども。
おれに噛みついて、おれに引っ掻いて、時折唸って、言語化できていない叫びを喚いて。
途中で気付いた。
彼は、人間の言葉すらも知らないのだ。
「……大丈夫だよ」
何だかおれまで泣きたくなってしまって、誤魔化すようにおれは彼を抱き締めた。
おれの大きな身体ですっぽり包み込めてしまうくらい、彼はやはり小さな子どもで。
まだ大人に正しく守られるべき存在の筈で。
「大丈夫、だよ」
何が大丈夫なのかはわからなかった。
こんな無責任な言葉、他にないと思った。
それでもおれは、大丈夫だと言いたかった。
この子どもを、抱き締めて、守ってやりたかった。
牙がおれの肌から離れ、視線がようやくかち合って。
彼の子どもらしい大きな瞳は、やっぱり涙で濡れていて。
吠えるように泣き叫ぶ彼を、おれはただ、抱き締めることしかできなかった。
◆
teller:New supporter・2
ああ、くらやみだ。
それが、彼を初めて見た時の僕の第一印象だった。
くらやみで構成された少年だと思った。
弱々しくて、世の中全てに怯えていそうな顔をしながら、彼の瞳は悪意で淀んでいた。
他の同年代の少年よりは、何ならそこらの異性よりも可愛らしく庇護欲を呼び起こすような容姿。
だけどそれら全てが、彼の計画の内なのだろうとすぐにわかった。
彼の瞳は、真に救いを求める者のそれじゃなかったから。
意図的に、強い者に自分を庇護してもらうよう誘導し、安全圏を常に確保しているような、自分を作っているような少年。
それが僕にはくらやみに見えた。
くらやみのような少年。
なんて弱くて、なんて歪んで――なんて、かわいそうな子どもなのだろう。
その姿は、僕の脳に不思議と焼き付いて。
「……大丈夫?」
手を、差し伸べる。
そして、彼が望んでいるかもしれない言葉を贈る。
「僕が、君を守ってあげるからね」
その言葉を聞いた彼の瞳が一瞬揺れた。
そこに見えた感情は、感動とか、嬉しいとか、救われたとか、そういうものではなく――きっと、僕を疎む気持ちだった。
だけど、それでも。
その日から彼は、僕の全てだ。
◆
teller:New supporter・1
「君も、大変だねえ」
「いやいや、トモさんには負けるよ」
寮の共同スペースで、おれ――友風=スタンバーグことトモさんは湯呑みに注がれた緑茶を啜る。
隣に居るのは、同い年の相世=ディアーベントくん。
黒髪天然パーマとアンダーリムの黒縁眼鏡が特徴的な、物腰柔らかそうな青年。
あとシュッとしている。
トモさんぽっちゃりしてるからなあ。羨ましくなっちゃうなあ。
トモさんも相世くんも、サポーターとしてこのカーバンクル寮に暮らしている。
しかもどっちも同い年の上に、パートナーであるファイターも同じく13歳の幼い男の子だ。
偶然それを知って意気投合してこうしてのんびり寮で二人でお茶を飲んでいるわけだけど、まったりしすぎて老化していってる気分になる。
まあ、トモさんはまったりしてるの結構好きだけど。
トモさんのパートナーは、宝羅=バーネットという男の子だ。
森に捨てられて獣に育てられた幼年期を過ごしたせいで、出会った頃は完全にこちらを警戒していたし人語も満足には喋れない、四つん這いの歩き方しか出来ない状態だった。
今も喋ろうとするとぎこちない言葉になってしまうし礼儀作法とかはまだまだ難しいけど、今の宝羅はとても明るく活発な男の子に育ってくれた。
最近はセントラルエリアの街中を探検するのが楽しいらしく、今もどこかに遊びに行っている。好奇心が尽きない、元気いっぱいの男の子。
日に日にすくすく育ってくれる宝羅を見守れるのが、嬉しくて仕方ない。
だからおれは、優しい『トモさん』になったんだ。
彼の兄でも父でも何でもいい、保護者になれるあったかい大人になりたくて。
相世くんのパートナーは、智空=グリオムという男の子……なんだけど、この子がなかなか難しそうな男の子で。
いつもおどおどびくびくしているかと思ったらとても被害妄想が強く、結構な毒舌家。
その非社交的な性格から寮生活においても他のペアと関わろうとせず普段はサポーターの相世くんに頼りきり……なんだけど、相世くんに過保護に接されるのはそれはそれで鬱陶しいみたいで、たまに相世くんを追い出して自室に引きこもってしまう。
ちなみに今もそういう状況だ。
だからこそトモさんは相世くんとのんびりお喋りしていたわけで。
相世くんは別に智空くんに友達を作ってほしいというわけではない……ようだけど、心配なものは心配らしい。
トモさんだってそうだよ。
宝羅が心配で、宝羅に健やかに育って幸せに生きてほしい。
だから。
「じゃあ、お互いどっちもおんなじくらい大変だねってことで」
「……うん。そうだね。でも僕は、トモさんみたく優しくないんだ」
「えー? そんなこと……」
どこか貼り付けたような笑顔を浮かべながら相世くんがそんなことを言うものだから、もう少し話していたかったんだけど。
それを遮るように――というか空気全体をぶち壊すように、扉が勢い良く開く音と底抜けに明るい声が聞こえた。
「トモさーん! 相世ー!! みんなでテーマパークエリア、遊びに行こうぜー!!」
「行こうぜー!!」
真顔のまま明るい声を出すホープ=ラッセルくん。
ホープくんの横で、便乗するように大声を出してはしゃぐ陽輔=アイバッヂくん。
後ろからは、呆れたような逢良=シャーウッドくんと何やらぐったりしている安澄=ジョンストーンくん。
安澄くんがこういう集まりに居るのは珍しいな、と思いつつ。
カーバンクル寮男子19歳組がほぼほぼ揃ってるこの状況がなんだか新鮮で、面白くて。
テーマパークエリア、かあ。
興味がなかったわけじゃないんだけど。
一番近くに居る存在が幼すぎるから忘れてたけど、そういえばトモさんってまだ19歳なわけで。
まだまだ、はしゃいで羽目を外しても許される年齢かもしれなくて。
楽しそう、という誘惑に勝てず笑顔で誘いに応じ、差し伸べられた手を取ったトモさんは――おれは。
きっと、まだまだ完璧な大人にはなれていないのだろう。
相世くんはどうだか、まだわかっていないけれど。
いつかわかる時が来ればいいな、と頭の隅で思った。
 




