その10 この道がきみに延びればいいのに
★第三話『仔猫の鳴き声』
その10 この道がきみに延びればいいのに
teller:湊=ローレンス
心臓が、壊れそうだった。
嫌な汗が噴き出る、喉がカラカラに渇く。
涙が溢れる。ぼたぼたと、とめどなく。
全身を急かすように、嘔吐感が覆う。
怖い、苦しい、気持ち悪い。
どれくらいこうしていただろう。
俺はメインコンピュータの前で崩れ落ち、床に縋り付くようにかひゅっ、かひゅっ、と浅い呼吸を繰り返していた。
俺は。
俺は、何をやっていた?
何もしていない、何もできちゃいない。
俺は花楓に、何もしてやれていなかった。
先日のメリィ遺跡での件が、頭の中でループを繰り返すように、俺の脳髄を責め立てている。
花楓がタナトスを放棄して堕ちて行った時、俺は何もできなかった。
花楓を守るシールドは展開したかもしれない。
でも、あまり覚えていない。
あの時俺はすっかりパニックを起こして、泣き喚いて吐いて、意識を失う寸前までいって、ひどい有様だった。
花楓が居なくなるかもしれない。
そう考えたら、恐ろしくて恐ろしくて。
結果的に花楓は居なくならなかった。
だけど花楓を救って、正しい大人として導いたのは、俺じゃなかった。
花楓の無事を心から喜んで、あの子を優しく抱き締めたのも、俺じゃなかった。
全部、愁水くんと聖歌ちゃんがやったこと。
俺じゃない。俺は何もしていない。
何がサポーターだ。
あんなに花楓を守りたいって、助けになりたいって、ずっと思っていた筈なのに。
どうして――どうして俺は、大人になれないんだろう。
床を這いずり回るように、扉へと向かう。
しばらく何も食べていないし泣いてばかりだったから憔悴している。
外の世界も、怖くて怖くてたまらない。
だけど俺は、少しでも俺の勇気のきっかけが欲しくて。
腰が抜けそうなほどの恐怖に怯えながら、震える手でドアノブを回す。
そうして、扉を開いたら。
目を焼き付くさんばかりの電球の明かりに、こもっていない廊下の空気に一瞬で圧倒されて、俺はキャパオーバーを起こしてげほげほと咳き込み、その場に嘔吐する。
ああ、だめだ。
俺はどうして。
怖い。気持ち悪い。片付けないと。ごめんなさい。助けて。
脳内が謝罪の言葉でいっぱいになった時、だった。
「――おやおや、お前さん、大丈夫かの?」
聞き慣れない声が聴こえて、びくりと身を震わせる。
目の前に、ふわふわの白い髭をたくわえた老人が立っていた。
最年長サポーターの、レッド=フィッツジェラルドさん。
間違いなく、大人な人。
レッドさんが柔らかく笑って、俺に手を差し伸べてくれたとほぼ同時に、俺は情けない声で叫ぶように言っていた。
「悲願……っ、大人のなり方、知りたい……。懇願、教えて……ください……」
レッドさんが手を止め、目を丸くする。
俺はこの言葉を言うだけで死にそうなほどに緊張して、闇に落ちかける意識を必死に保つ。
俺が、大人に――ううん、ちゃんと人間になるまでの物語が、ゆっくりと幕を開こうとしていた。
 




