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熱血豪傑ビッグバンダー!  作者: ハリエンジュ
第七話『水の底の誓い』
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その14 王子様と生ける屍

★第七話『水の底の誓い』

その14 王子様と生ける屍

 


teller:聖歌(せいか)=フォンティーヌ



 ――きっかけは、『可愛い』と言われたことだった。


 私が直接言われたわけじゃなくて、私の容姿を『ミイラ』や『ゾンビ』と揶揄していた人たちに向かって怒って、その人は、私を指して『可愛い』と述べてくれた。

 その声を、言葉を、偶然聞いた。


 男の人に可愛いと言われたことなんて初めてで、可愛いとかそういう、華やかものを自分なんかが求めちゃいけないと思っていたから、最初はとにかく困惑して。


 でも、きっと。

 きっと私は、嬉しかった。


 初めて可愛いと言われたことが、まるで自分の存在を丸ごと肯定されたかのように思えて。


 きっかけは、それだったけれど。

 理由はもう一つあって。

 彼は、一度も話したことすらない私なんかの為に、怒ったのだ。


 私は、優しい人間でありたいとは思っている。

 でも、人に怒れない。

 怒りの感情が欠落しているのではないかと疑いたくなるくらい、怒りを覚える前に強い躊躇いや戸惑いが先に来てしまう。


 それが正常でないのはわかっていた。

 だけど私には、無理だった。


 怒るのではなく、叱るというコミュニケーションもある。

 でも、叱ることすら私は無理だった。


 私如きが、なんて思ってしまうのだ。

 怒ることで、叱ることで、他人を不快にさせてしまうことが恐ろしくて恐ろしくてたまらなかった。


 私が優しくありたいのは他でもない私の為だとはわかっていたつもりだけど、これに関してはひどく歪で醜い防衛反応だった。


 本当に優しい人は、他人を想ってはっきり自分の言葉を言える人だ。

 時には大切な相手に嫌われるリスクを冒してでも叱れる人だ。


 私には、それができない。

 気弱で臆病な私は、結局のところ本当の意味での優しさを持てなかった。


 だけど彼は違った。

 彼は他人の為に怒りを表に出せる人間なのだ。

 その怒りをぶつける相手が、自分の親しい人間であろうと。


 彼の中にあるであろう正しさに従って強く優しく生きれる彼が、凄く、眩しく見えた。

 その光に、強く焦がれた。


 彼を、愁水さんを好きな理由は日に日に更新されていく。

 好きなところばかり、毎秒毎秒増えていく。


 ――だけど愁水さんに恋に落ちた最初の理由は、その二つだった。





 その日、私の心臓はとんでもないことになっていた。


 ずっと想いを寄せていて、運良くパートナー関係になれた愁水=アンダーソンさんに一緒に水族館に行こう、と誘われた。


 ああ、この時はまだ彼を『アンダーソンさん』と呼んでいたっけ。


 最初は何を言われているのかわからず、情けなくも固まってしまった。

 そんな私に、彼は幼子に言い聞かせるように優しく、二人で水族館に行きたいのだと言ってくれた。


 どうして、私なんかと。

 頭の中は疑問符でいっぱいだった。

 困惑も混乱もしていた。

 顔はきっと、これ以上ないほど真っ赤になっていたことだろう。


 だけど大好きで大好きでたまらない彼の望みは何でも叶えたかったから、私は目をぐるぐるさせたまま頷いた。

 これは私が単純で現金なやつだから、というのも大きいけれど。


 約束を交わしてから私は、『どうしよう』と養成学校のサポーターコースの友人たちに泣きついた。

 彼女たちは一斉に色めきだって『絶対デートだよ』なんて言ってくれたけど、アンダーソンさんとデートなんて人生で起こり得る筈がないイベントだと思っていたから、私はますますパニックに陥った。


 そんな私を他所に、私の優しい友人たちは楽しそうに私をあちこちの店に連れ回して、色々な服を鏡の前で合わせてくれて。

 気が付けば、私はいつもの作業着姿と違うカーディガンとロングスカート姿で、アンダーソンさんとの待ち合わせ場所に立っていた。


 ああ、そう言えば。

 スカート、久しぶりに履いたなあ。

 そんなことを、今更のように思った。


 少しは、可愛くなれているだろうか。

 アンダーソンさんの思う『可愛い』私でいられているだろうか。


 デートの準備に付き合ってくれてエールも送ってくれた友人たちに後でお礼をちゃんと改めて言わないと、と手鏡を取り出した時、私は息を詰まらせた。


 鏡に映るのは、服装こそ取り繕ったけど、醜い存在だった。

 前髪をみっともなく伸ばして顔半分を隠して、これだけ前髪を伸ばしても隠し切れない、色気のない包帯を顔の大部分に巻いた私の醜い姿。


 ミイラと呼ばれても、ゾンビと呼ばれても仕方のない、傷の残った、いつもの私。


 ――馬鹿だな、私。


 何を勘違いしていたんだろう。

 私が『普通の女の子』を望んではいけないのに。

 『可愛い』なんて、求めてはいけないのに。

 何を、思い上がっていたんだろう。

 もっとへりくだらないと、もっと自分の醜さと向き合わないと、私は――。


「聖歌!」


 ――大好きな、声が聴こえた。


 はっとして顔を上げると、いつもと少し違うジャケットを着たアンダーソンさんがこちらに駆け寄って来ていて。

 慌てて手鏡をしまい、私は深く深く頭を下げる。


「お、おはようございます」


「おう、おはよ。わりぃ、待ったか」


「い、いえ、そんな、全然、あの」


 アンダーソンさんとパートナー関連の作業以外で、プライベートで二人きりという状況に動揺しすぎてひどくどもってしまう。

 私がどもりがちなのはいつものことだけど。

 アンダーソンさんの前でまともに話せた試しはないけど。


 彼の言葉が返って来ないことに不思議に思って恐る恐る顔を上げると、ばちりと目が合って私の方が先に視線を逸らしてしまう。

 アンダーソンさんの三白眼は、いつだって真っ直ぐに物事を映している。


 数秒経って、頭上から遠慮がちに声が降ってきて。


「……その、私服初めて見たから。……可愛いなって思って」


 ぼんっと音が出る程に自分の顔が赤くなるのがわかった。

 喉が一気に渇いて、声が上手く出なくて、そのあとの『可愛い』に主語がなかったことを思い出して。


「え、と……この服、可愛い、ですよね。友達が選んでくれて。あの、私には似合わないんですけど、でもこういう服ってやっぱりデザインとか」


「……おまえが可愛い、って言ったつもりなんだけどよ」


 ――どうして。

 どうして、だろう。


 私が『可愛い』を求めちゃいけない。

 何度も戒めた筈なのに。


 この人は息をするように簡単に、私に『可愛い』をくれる。


 あ、そうだ。

 彼に直接『可愛い』と言われたのは、これが初めてだ。


 そう思うと、赤面の限界値なんてとっくに越してしまっていた。


 息が出来ない。

 心臓が止まりそう。

 倒れてしまいそう。

 頭がくらくらする。


 使い物にならなくなった私の手を、アンダーソンさんは攫うように握った。


 手と手が触れている。

 愛しい人に、触れられている。

 愛しい人と、私は今、手を繋いでいる。


 その事実は、私を更なる混沌に追い込むには十分すぎた。


「あ、の、手……えと、え……」


「人多いから。はぐれると困んだろ。嫌かもしれねえけど我慢してくれ。……あと俺こういうの雑だから、あんまり強く手ぇ引いちまったら悪い」


 彼はそう言ったけど、彼の行動は、仕草は、彼に恋する私からすれば充分『王子様』だった。

 彼は私に恋を教えてくれた王子様であって、私に沢山の言葉を、呪文をくれる魔法使いだった。

 魔法にかけられたように、心が『好き』の気持ちで埋まっていく。

 彼が私を連れ出すようにして歩き出した時、まるで白昼夢の中にいるような気分だった。

 

 アンダーソンさんが優しい人なのは、知っていた。

 でも、水族館を歩いていた時のアンダーソンさんはずっと優しかった。

 いつもは大股の歩幅を、その日は私に合わせてくれて。

 彼との身長差を気にして初めてヒールなんてものを履いた私を気遣って、時々屈んでくれて。

 緊張で上手く話せない私をリードしてくれて、色々と声をかけてくれて、話題を振ってくれて。


 水で彩られた世界を、アンダーソンさんと共に歩いた。

 デートスポットとしても有名な場所だったようで、所々カップルの姿も見受けられた。

 家族連れの姿も多く見かけた。


 そんな温かい場所に、広い水槽を色とりどりの魚が泳ぐ幻想的で綺麗な空間に、彼は私を連れて来てくれて、導いてくれて。


 与えられてばかりだと思った。

 彼はどれだけのものを私に与えてくれるんだろうと不思議に思った。


 情けないことに緊張していたから、彼との会話内容ははっきり覚えてない。


 ただ、私の彼への想いは一秒ごとに更新されていった。

 一秒ごとに深く、重く、体積を増して行った。


 この人が好きだと、心から思えた。

 自分に自信がない私が、唯一自信を持って言えるのが、彼が素敵な人であるという事実だった。


「――少し、休憩しようぜ」


 ある程度館内を見て回ったあと、アンダーソンさんが私の手を引いて人混みから外れた。


 会話内容は覚えてないけど、彼と見た景色は覚えている。

 美しかった。

 透明感があるのに、色彩に溢れて、この世の色と光を全て掻き集めたように、賑やかで華やかな世界だった。

 命に溢れた、世界だった。

 大勢の魚の生命力が感じられる世界。

 水の底を間近で見られた経験だった。


「なあ、楽しかったか?」


 アンダーソンさんが、少し改まった態度でそう訊ねてきて。

 緊張していた筈なのに、その答えは決まり切っていたからか、彼への好きがこの時すでに溢れていたからか、私はその日初めて自然に笑えて、頷いた。


「……はいっ。凄く、楽しかったです。ありがとうございます」


「……そっか」


 アンダーソンさんが、緩く笑う。


 その直後、だった。


 彼の纏う空気が、急激に昏いものに変わった。


 私が『え』、と小さく声を漏らすうちに、彼は必要最低限のものしか入れてないのであろう鞄から、ファイルを取り出した。

 数枚の紙製の資料が入ったそれを、彼は無言で突きつける。

 その内容を確認した時――私は、心臓が凍りつくんじゃないかと錯覚しそうになった。


 さっき自然に笑えていたのが嘘のように、赤くなっていた自分の顔が急速に青ざめていくのがわかる。


「ど、して……」


 辛うじて、そんな声が喉の奥から漏れた。

 アンダーソンさんは私に資料を突きつけたまま、淡々と私に詰問した。


「なあ、これ、何だ?」


 逃げ場を許さない言い方の質問だった。

 彼から、決して私を逃がさない強い意志を感じた。


 だけど私は答えられなかった。

 黙っていることしか出来なかった。

 私は逃げを選んでしまった。

 だって、なんて答えればいいかわからなかったのだ。


 アンダーソンさんが持っている資料は、私が個人的に設計していたバトル・ロボイヤル用の装備の資料だった。

 と言ってもビッグバンダー用の装備じゃない。

 サポーターが、つまり私が有事の際携帯する特殊装備の資料。


 内容は、ひどいものだった。


 ――使用するサポーターの絶対的な生命反応の消失と引き換えに、触れた生体の生命反応をも絶対的に消失させる装備。

 対アンノウンを想定して設計した、捨て身の装備。

 私の命と引き換えに、ファイターを、アンダーソンさんを害するアンノウンを確実に消滅させることができる装備。


 人生で一度きりの攻撃。

 人生で一度きりの殺人。

 たった一度で、二つの命を確実に奪う恐ろしい武器。


 ずっと、考えていたことだった。

 アンダーソンさんのサポーターに選ばれてから、ずっと。


 彼に恋して、私の人生は満たされてしまった。

 だから私の残りの命は全て、彼に捧げようと誓った。


 アンダーソンさんはこの先の未来で、様々な戦いに晒される。

 この星の未来がどうなるかはわからないけど、単純なバトル・ロボイヤルの戦闘だけじゃなくて彼は未知の生物アンノウンをも相手にしなければならないのだ。


 私の彼への想いは、刻まれていく。

 重くなっていく。


 彼の幸せばかり毎日毎日、気が狂うほどに祈る日々を過ごしていた。


 生きていてほしかった。

 この人だけは絶対に失ってはいけないと自分に誓いを立てていた。


 一秒でも長く生きて、いや、人間が生命体として生きるべき寿命を幸せに全うしてほしいと思った。


 その方法を、その為の手段を、考えに考えて。


 いつかもしもの時が来たら、この装備を造って、使って、私がこの人を守ろうと思った。

 私の命と引き換えに彼の命が延びるなら、安いものだと本気で思えたから。


 だけどそれをこうして彼に直接知られるのは、怖かった。


 アンダーソンさんは優しい人だ。

 強く優しい人。

 良く知っている。

 だから彼を好きになった。

 彼に恋に落ちた。

 彼を、愛した。


 重過ぎる私の感情は、きっと恋という段階を飛ばしてしまったかもしれないけど、それでも彼が私にとって誰よりも愛おしい人なのは事実だった。


 私は自分の命に価値なんてないと本気で思っている。

 でもアンダーソンさんは他人の命を軽んじる人ではないことも、私はとっくに知ってしまっていたのだ。


 しばらく、お互いの呼吸音だけが、静かで人気のない空間に響いていた。


 何も言えなかった。

 何を言っても、言い訳にしかならないと思った。


 彼の生を想って簡単に自分の命を捨てる選択は取れるくせに、彼の優しさを想うと後ろめたさがあって、何も言葉が浮かんで来なかった。


 私も彼も何も言ってないのに、自分の弱さを、醜さを突きつけられている気分だった。

 じわじわと首を絞められている錯覚がした。


 ようやっと、アンダーソンさんが長い溜息を吐き出した。


 彼は資料を雑に私に押し付けると、養成学校のファイター用の装備の短剣を、ホルスターから抜き出した。


 短剣。

 養成学校出身ファイター候補生なら平時でも常備していることが多い装備だ。

 ファイターはビッグバンダーとの『感覚共有システム』のこともあって、学校である程度の体術や戦闘の訓練も受けている。


 でもどうして彼は今、短剣を抜いたのだろう。

 私が目を丸くしていると。


 ――アンダーソンさんは、短剣を、自分の片手の甲に思い切り突き刺した。


 世界が、止まった気がした。

 彼の鮮血が勢い良く傷口から溢れ出る。

 赤が、視界を染める。


 私があの日、幼年期、戦場で嫌と言う程見た色。

 赤い。アンダーソンさんの、赤。

 血。傷。

 彼の、命の色、が。


「……あー、くそ。思ったよりやっぱ痛ってえなこれ……」


 アンダーソンさんは苦い顔をして、短剣が刺さった自分の手の甲を、滴り落ちる血を見ている。


 そこでようやく、私は我に返った。


「っ、な、なんで……あ、アンダーソンさん、怪我……っ! 手、ぁ、止血、だめ、早く手当て、しなきゃ」


「なあ、今どう思ってる?」


「え……?」


 アンダーソンさんの目が、真っ直ぐに私を映した。

 先ほどと同じ、いや、先ほどよりも逃げ場を許されない状況だということが肌で伝わってきた。


「俺の今の行動見て、どう思った。辛いか? 苦しいか? 悲しいか? 心配か? 血ぃ見て嫌な気分になったか? それとも、その全部か?」


 そんなものじゃない。その程度の言葉だけじゃ、言い表されない。


 アンダーソンさんが傷を負うことは、私の世界にとっては絶対に許されないことで。


 痛い。

 自分が怪我をしたわけでもないくせに、心が痛い。

 心臓が痛い。

 身を切られるような幻痛が、私の全てに広がっている。


 痛くて痛くて苦しくて、相変わらず言葉を奪われた私に向かって、アンダーソンさんは容赦なく私に、彼の言葉を突きつけた。


「おまえは今俺が、おまえの前でやったこと以上にひでえことを、俺に向かってやろうとしてたんだよ」


「……ぇ……」


 目を逸らすなとばかりに、短剣が刺さったままの手の甲を私に近付け、彼は声を張り上げた。

 彼が私に怒鳴ったことは、初めてのことだった。


「てめえの命を捨てられてまで生き延びて、それで俺が幸せになれるとでも思ったのかよ!? ふざけてんじゃねえぞ!! なあ、今この瞬間も言えるのかよ、この傷見ても言えんのかよ、『死んでもいい』なんて残酷な言葉、今のおまえに言えんのかよ!! 言ってみろや、やってみろや!! 出来るもんならよ!! なあ!!」


 ――ああ。

 私。最低、だ。


 その時脳裏に浮かんだのは、アンダーソンさんだけじゃなかった。


 今日の為に服を選んでくれた親しい友人たち、普段お世話になっているカウンセラーさん、様々な、私の人生に関わってきた人たち。


 私は確かに一度孤独になった。

 でも、家族がいないだけだ。

 今の私には、私の世界がある。

 大切な人達がいる。

 私を想ってくれる人達がいる。


 最低だ。

 へりくだったつもりになってた。

 この命を捨てれば償えると思ってた。

 形の見えない罪悪感に縛られて、その苦しみから逃れる方法ばかり考えていた。


 そんなの、悲劇に酔っているのと同じなのに。


 自分が優しくないのはわかってたつもりだった。

 でも、まだ足りなかった。

 私は、こんなにも弱くて、自分勝手で、ひどくて。


「ご、めんなさい……」


 ようやくはっきり口に出せたのは、謝罪の言葉だった。

 ゆっくりと身体から力が抜けて、私は膝から崩れ落ちる。


「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさいっ……」


 もはや、誰に謝っているのかもわからなかった。


 アンダーソンさんに対して? 

 友人たちに対して? 

 私が今まで抱えてきた罪悪感に対して? 

 亡き家族に対して? 

 この世界に対して?


 何もわからない。

 わからないのに謝るのは最低なことなのに、叱られて泣きじゃくる幼児のように私は『ごめんなさい』を繰り返して、繰り返して。


 アンダーソンさんが何の迷いもなく屈んで、私を抱き締めてくれて。

 彼のタバコの匂いがして。

 彼が生きている証を全身で感じて。


 どうしてこの人はこんなに優しいんだろう。

 優しくて、誰かの為に怒れる強い人。

 本当の意味で優しい人。


 私が恋に落ちたあの日から、この人は何も変わっていなかった。





 少し落ち着いた私が彼の手の甲の傷に包帯を巻いている途中、アンダーソンさんはぽつりと言った。


「遺書を生きてるようなやつだなって、思ったんだよ」


「遺書……ですか?」


「ああ。ずっと何かに謝ってるように見えた。善良に生きて、悔いのない善行を残して、何かに償って勝手に満足して死んじまいそうなやつだなって、ずっと思ってた」


 何一つ、言い返せなかった。

 どうして彼は私のことをこんなに良く見てくれるのだろう。

 どうしてこんなに、心を読み取ろうとしてくれるのだろう。


 こんな時なのに、また彼を好きになる自分が、浅ましい。


「なあ」


「……はい」


「俺は、おまえの未練になりたい」


 真っ直ぐ視線を合わせて言われた言葉に、私は上手く反応できなかった。


「おまえが死んでもいいと思える理由になんてなりたくない。おまえが全部にしがみついてでも生きたいって思える理由になりてえんだよ」


 遠くの水槽で、暖かな光が放たれたのがわかった。

 あそこには確か、クラゲが居たはずだ。


 柔らかな光の中、彼は言った。


「この星の未来なんてわかんねえし、俺もおまえもこの先の戦いでどうなるのかはわからねえ。……けど、今の俺の一番の未練はおまえなんだよ。だからおまえも、俺を未練にしてくれよ」


 手当ても途中だったのに、手を掴まれて強く握られる。


「……一緒に生き抜くぞ、聖歌。この戦いを。……一応、相棒なんだからさ」


 一度涙腺が緩むと、もう駄目だった。


 また性懲りもなく涙が零れて、私は何度も何度も必死に頷く。

 こんなに優しさを、温かさを貰ってしまったら、私の想いはもうどうしようもない。


 この人が、好き。愛しい。

 傍に居たい。

 一緒に生きたい。


 想いがまた重くなる。想いなんて、綺麗な言葉じゃなくなってしまいそう。


「――ああ、そうだ」


 アンダーソンさんが何かを思い出したようにまた鞄を漁る。


 ちなみにさっきの装備資料は、アンダーソンさん監修の元破り捨てさせられ、帰宅したらシュレッダーにかけられることになっている。


 ぼんやりそんな先ほどの怒濤の出来事を回想していたら、アンダーソンさんが取り出したのは長方形の箱だった。

 丁寧にラッピングされたそれを、アンダーソンさんはやはり丁寧に剥がそうとして、でも途中で諦めたのか雑にばりばりと包装を剥がして。


 ふいに、彼は私の頬に触れた。

 正確には、髪に触れた。

 顔半分を覆っていた長い前髪を、優しく掻き上げた。


 それから彼は手に持っていたものを私の顔に当てる。

 布製の物体の正体は、片目だけの視界じゃ上手く視認できない。


「……センス最悪かもしれねえけど、おまえ可愛い顔してっから、できるだけ顔隠さないでほしくて。こんなん買ってみた」


 ぐいっとやや乱暴に押し付けられたそれは、リボン型の眼帯だった。

 白いレースのリボンが可愛らしくて、包帯を巻いているよりは『女の子らしい』とも言えるそれ。


 あ。

 また、可愛いって、言ってもらえた。


「気に入らねえなら突っ返してくれてもいいけど……そんなに嫌じゃねえなら、使ってほしい。おまえの顔もっと見てたいし、片目だけでも目線合ったら嬉しいんだよ」


 そこからの記憶は、数分飛んでいる。

 また泣いたことだけは覚えている。

 ひたすら嬉しかったことは覚えている。

 アンダーソンさんがあまりの私の泣きっぷりに流石に狼狽えてしまっていたのも、覚えている。


 その日は、私の人生で忘れられない日だ。


 私が、生きる理由を貰った日。

 私と――愁水さんがお互いの未練になった日。

 私が長いこと作って来た装備資料をシュレッダーにかけると同時に、長年伸ばしてきた前髪を切った日。


 貴方を、もっと好きになった日。

 ――貴方に、『私』を貰った日。





 サポーター用のコンピュータと向き合って、息をつく。


 敵の迷宮型アンノウンが水族館を象ってるからって、集中力を乱されちゃいけない。

 みんな真剣に戦いに臨んでるんだ。

 私も、より多くの人を支えないと。

 何より、愁水さんを守らないと。


 あの日から数年経った今も、私の中に長年根付ききった罪悪感は完全には消えてくれていないけど。

 未だに私は自分が嫌いで、自分に自信がない弱く醜い存在のままだけど。


 彼の言葉は忘れてない。


 私に『可愛い』と言ってくれた人。

 私に恋を教えてくれた人。

 私を女の子にしてくれた人。

 生きていてもいいのだと言ってくれた人。

 私に生きたいという意思をくれた人。

 沢山の優しさを、沢山の言葉をくれた人。


 私の王子様。

 私の魔法使い。

 ううん、そんなものよりずっとずっと素敵な人。

 

 愁水さん。

 貴方が好きです。

 貴方が好き、貴方が好き。貴方が、大好き。


 貴方は私の『世界』そのもの。

 私の命は、貴方の人生と共に数字を重ねていければいい。


 だって貴方が私を未練だと言ってくれたから、貴方が私の未練になってくれたから。


 生きたいって、思えるかな。思いたいな。

 ううん、思うんだ。


 共に生き抜くと、私は私の世界そのものと誓い合っている。

 私は私の世界を滅ぼさせない。絶対に。


 想いを証明する為に、彼のような優しい人である為に、私は戦いに備えてコンピュータに指を滑らせた。


 ――今日も、愛しい貴方の心臓の鼓動が一つ鳴る度に、あの日の戦場に囚われたままの醜いゾンビ()が、少しずつ息を吹き返すのだ。

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