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紫の繍球花(1)

 その日、瑛は潭国公と夕食を共にしていた。

 潭国公と夕食を共にしたのは初めてだった。瑛は伏し目がちに潭国公を見る。精悍な顔で切れ長の瞳が彼を魅力的に感じさせた。肌も色白に近いし、身長も高くてすらりとしている。

(私の顔じゃあ、潭国公には相応しくないわ…)

 そう思いながら、粥を頬張る。この美男子に相応しいと思うのは、悔しいが董蓉だと思うのだった。

(陳姨娘との件で使用人たちには腫れ物扱い…お祖母様やお母様みたいなことをしてしまったから……)

 彼女の母である宛国公夫人は早めに男子を産んだことで姑である太夫人に優遇されて可愛がられていた。宛国公夫人も太夫人に信用されようと毎朝、挨拶に行ったり差配や家政に尽力したりした。それが実を結び主母(しゅぼ)、一家の母として認められた。姑の信用と嫡子を得た正妻は強かった。他の姨娘たちをいじめようが、いびろうが背後に姑の太夫人がいた為に彼女たちは何も出来なかった。

 一方で太夫人は姨娘たちや庶出の孫たちは厳しかった。特に庶子である鄭琇(ていしゅう)には厳しいどころか冷たくあしらっていた。なぜなら、生母が卑しい身分であったが、生まれつき聡明で嫡子の鄭珣(ていしゅん)より早く千字文や詩経を覚えたからだ。宛国公も彼を賞賛していた。

 面白くなかった宛国公夫人は太夫人と計画して珣と生母を別邸へと追いやり、宛国公府には入れなかった。

 ふと、異母兄の琇は元気だろうかと脳裏を掠めた。そんな時だった。潭国公が居住まいを正して瑛を神妙な面持ちで見つめてきた。

「夫人、3日後に弟を迎える」

「えっ?」

 瑛は潭国公に弟がいることに驚いた。事前に聞いた時に潭国公には兄弟がいないと聞いていたからである。

「異母弟だ。私には同母弟はいない」

「あ、だから…」

「ん?どうした?」

 潭国公の「兄弟」とは同母の「兄弟」のことで、異母兄弟は「兄弟」に含まないらしい。

「いえ。初耳でしたから」

「弟は身体が弱いからと生母と都を離れていたのだ。実際は違うと思うけどな」

(どこのお屋敷も庶出の子どもたちに厳しいのね)

 潭国公が離れ離れの異母弟について知っているのは名前と生母くらいだった。

 名前は馮昕(ふうきん)と言って生母は鮑氏(ほう)という。潭国公は言葉を発することをやめて食事を続ける。瑛が何かを尋ねなければそのまま食事を終えてしまって、貞観軒から出ていくだろうと強く思った。

 そして、どこか希薄な兄弟の関係は彼らが生まれる前の段階から決まっていたのだろうとも思ってしまう。嫡子、庶子、その違いだけで人生が変わる。

 董蓉の息子である、桓は潭国公の唯一の男子であるから、庶子であっても待遇は良かった。宜寧たちの待遇は良い方だが、かなり良いという訳ではなかった。それは潭国公が奥向きを董蓉に任せていたからだ。董蓉は彼女たちに教育を与えて、環境をよくすることで良い縁談が持ち込まれるようにしたかったからだ。

 董蓉は潭国公を支持する強い姻族を求めていた。それは後宮にいる姉、董修儀の後ろ盾になるからだと考えていたからである。董蓉は頭が回る。それは瑛にはない頭脳だった。

「どちらの棟にお迎えなさいますか?ちょうど南院が空いていますから、明日、下女たちに掃除させます」

「南院は手狭だろう」

「っと、おっしゃいますと?」

「鮑氏……鮑姨娘も迎える」

「そ、そうでしたか……」

(正妻の私が庶母(しょぼ)……先代の妾にどう仕えれば…正妻は庶母より立場は上だけれど。姑のいないお屋敷からしたら年功序列で鮑姨娘の立場は上?とりあえず、相手の出方次第ね)

 それ以上の会話はなくなり、2人は無言で食事を終えた。潭国公は今夜は1人で休みたいと自室に戻って行った。

 瑛が下女たちに食卓を片付けさせていると、董蓉の侍女である采容(さいよう)が現れた。瑛の前に来ると作り笑いを浮かべて一礼すると矢継ぎ早に告げる。

「董姨娘が奥様にお会いしたいとの事です。お越し願えませんか?」

「なぜ、妾の部屋に正妻がで向かなくてはならないの?」

「姨娘は病です。外には出れません」

「そう。それなら仕方ないわ」

 これ以上、何を言っても采容は同じことを言うと感じた。平行線をたどるなら妥協した方がよいだろうと考えて瑛はそう言った。

(絶対、仮病か何かだわ)

 こうして瑛は春蘭を連れて董蓉が住む臨香軒に向かった。2人の前を歩いていた采容が臨香軒の前までやって来ると、くるりと身を翻して自慢げに言った。

「臨香軒は先々代の貴妃様がお休みになった部屋です。董姨娘が厚遇されているのが分かります」

(何かと思えば自慢?董蓉も鼻持ちならないけど采容もだわ…)

「采容、自慢げだけれど貴妃様(きひ)妃嬪(ひびん)でしかないのよ?尊い身分の貴妃様だけれど……側室よ?」

 瑛と春蘭はくすくすと笑った。采容は顔を真っ赤にしている。そこに董蓉に仕える采容の姉である、采玉(さいぎょく)が慌てて部屋から出てきた。

「奥様、ごきげんよう。姨娘がお待ちです」

「分かったわ」

 瑛が部屋に入る間際に采玉が采容に、「姨娘に恥をかかせてはいけないでしょ!」っとたしなめているのが聞こえたが、仲違いでもすればいいと何も反応せずに董姨娘の部屋へと入っていった。

「董姨娘、具合はどうかしら?」

 董姨娘は帳をゆっくりと捲った。そして寝台から降りると寝間着姿で瑛に弱々しい声で答えた。

「わざわざ、ありがとうございます。ご足労をおかけしましたわ。冷えからくるものだと秦姨娘が言っておりました」

「座って話しましょう。秦姨娘は医術の心得があるのね」

「お屋敷の女人たちは皆、秦姨娘が診察にあたってますの」

 そう言うと董姨娘は寝台の縁に座った。顔色は少し悪いように見えたが、どこか艶かしいと美貌は健在だった。柳の葉のような細い眉、柳葉眉(りゅうようび)がよく似合っている。髪も艶やかで細身の身体は何とも繊細だ。

(趙飛燕(ちょうひえん)も嫉妬する美人…そこは負けを認めてるから悔しくないけれど)

 趙飛燕とは漢王朝の成帝の皇后だ。細身の美人であったが、性格は悪辣であった。

「なぜ、わたくしを呼んだの?」

「実は雁門郡公夫人がわたくしめに信件(てがみ)をくださいました」

「それで?」

「奥様にご立腹のようでしたわ。きっと……如真(にょしん)、いえ陳姨娘が雁門郡公夫人に信件でも出したのでしょう」

「つまり、泣きついたってことね。雁門郡公夫人は説教をにでも来るのかしら?」

「勘の鋭い奥様ですわ。まさにその通りですの」

「雁門郡公夫人は暇な方なのね。陳姨娘も暇なのね……お屋敷の内情を信件にしたためるなんて。董姨娘、あなたも言っていたでしょう?身から出た錆っと。その錆を送り付けたようなものよ。浅はかね」

「さようですね」

「何をおっしゃるの?あなたも浅はかよ。雁門郡公夫人はこの件について私には内緒にしたかったはず」

 瑛の言葉に董蓉は表情を変える。一瞬、彼女の言葉の意味を理解できなかったが、その刹那で理解した。

「わたくしめがお喋りでしたわね」

「そうね。雁門郡公夫人の中では董姨娘が奥向きの窓口っていうことも分かったわ」

「奥様が嫁がれる前までわたくしめが奥向きを仕切ってきましたから……雁門郡公夫人にお伝え……」

 瑛は董蓉の言葉に被せるように言った。

「董蓉、あなたは正妻ではないのよ。わたくしを呼び出したのは信件の話をしたかったから?雁門郡公夫人に伝えて。個人的な信件には目をつぶるけれど、奥向きに口を出さないように、っと」

「……はい。そのようにお伝えします」

 董蓉は悔しさを噛み殺していたが、握っていた拳には爪がくい込み、そして震えていた。その様子を見た瑛は溜飲が下がる気持ちだった。彼女は立ち上がるとそのまま部屋を後にした。董蓉は瑛の背中を睨みつけた。

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