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花紺青の水袖(3)

 瑛の小産はお屋敷に暗い影を落とした。

 特に潭国公の落ち込みようは激しく、寝食もまともにできていなかった。それを心配した姨娘たちは持ち回りで潭国公の世話をした。しかし、誰ひとりとして彼の冷たくなった心を温めることはできなかった。

 その潭国公の態度に董蓉はいささか焦りを覚えていた。なぜなら、この機に寵愛を取り戻して差配に戻してもらおうと考えていたからである。

 今夜は陳姨娘が潭国公の世話をする日だ。

 陳姨娘はあえて質素な服装で含静堂に向かった。質素な服装には思惑があった。正妻・瑛の悲しみを自分も感じていると見せるためだ。

「旦那様、高級な人参を用意しました。奥様に飲ませてみては?もちろん、旦那様も」

「飲む気にならない」

「でしたら、茸の汁物は?」

「いらない」

 陳姨娘は力なく寝台に座り込む潭国公の隣に腰を下ろした。そして肩に手を回す。そして甘ったれた声で囁いた。

「肩をお揉みしますわ。お子なら……わたくしが懐妊してみせますわ……」

 その言葉が潭国公の逆鱗に触れた。陳姨娘の手を振りほどくと彼女を床に投げつけた。陳姨娘は何が起こっているのか理解が追いつかなかった。傍にいた緑袖は急いで陳姨娘を立ち上がらせた。潭国公は激しく罵っている。あまりの剣幕に陳姨娘は涙を流すより怯えることしか出来なかった。

「浅はかな女だと思っていたが、ここまでだったとは!お前とは休妻だ!雁門郡公にも絶縁を突きつける!」

「そんな……ですが、おじい様はお許しになりませんわ!」

「お前の撒いた種だろう!」

「誰が撒せたのよ!旦那様が少しでも、少しでも、わたくしに心を下さったら……!」

 陳姨娘はここでようやく泣き出した。

 彼女も張姨娘、秦姨娘のように孤独な夜を過ごしてきた身である。実家からは潭国公の子を成すこと、また自身は董蓉に尽くすことを求められた。

 陳姨娘の長い夜はまだ明けてなかったのである。暁を迎えない夜は冷たい。そして悲しい。

「この如真を少しでも愛してくださいましたか?雁門郡公の孫娘ではなく、如真としてです!」

 その言葉に潭国公は彼女の苦しみに目を向けてこなかったことに気づいた。いかに自分勝手に愛を振りまいていたのだろうと後悔するしかなかった。

「如真……」

「あと、旦那様にお話することがございます」

 陳姨娘は萌葱色の袖で目頭を拭った。袖に涙でびっしょりと濡れている。

「わたくしの従姉妹がお屋敷にやって来ます。従姉妹の名前は媚生(びせい)。そのうちにおじい様から正式な連絡があるでしょう。媚生が来たら、わたくしは御役御免ですわね」

 陳姨娘は吐き出すように言うと玉壺軒がある北の棟へと足早に戻って行った。彼女の背中を見ながら潭国公は深いため息をついた。そこで潭国公は涙を流した。

「瑛が小産したのは私の業なのか……?今まで姨娘たちを苦しめてきたのは私なんだな。今更、気づいても……気づいても……」

 潭国公は拳で何回も床を殴った。行き場のない怒りや悲しみを叩きつけるように何度もだ。その音を聞きつけて少星が駆けつけてきた。

「旦那様?!」

「少星、甘露寺で祈祷をしたい」

「それなら以前、奥様が道士を呼ぶと……鮑姨娘のことで、ですが」

「道士でも僧侶でもいい。救われたいのだ」

「でしたら、どちらも用意いたします」

 少星は拱手をすると潭国公の前から去っていった。一人残された潭国公はぼんやりと天井を見上げる。そして指で「瑛」と書いた。

「瑛……気づかなかったが良い名前だ。瑶林瓊樹(ようりんけいじゅ)……透き通って輝く宝石。珠江の碧水(しゅこうのへきすい)、瑤江を淘よなげ……誰が言ったか忘れたが、瑛は綺麗な言葉だ」

 潭国公は嗚咽を漏らした。彼の心は瑛への愛情と姨娘たちへ心を与えられなかったことの後悔であった。ただ、引っかかるのは董蓉の事だ。

 北趙の敵である微州出身の彼女に強く惹かれたことだ。彼女は差配も完璧であったし、何より有能であった。おまけに男子も産んだ。

 だが、自分は北趙の血が流れる人間だ。だが、微州が憎悪の全てではない。

 潭国公は長い夜を泣くことでやり過ごした。


 翌日


 陳姨娘は目を腫らしながら董蓉の元を訪れていた。心ここに在らずの陳姨娘に董蓉はすぐに察した。

(旦那様と何かあったのね。面白くなりそう……)

「如真、安慶県主(あんけいけんしゅ)が昕若様に嫁ぐそうよ。庶子なのに良い身分の妻を娶るなんてね」

「安慶県主も河南王の庶女ですわ……」

 董蓉は茉莉花茶(ジャスミン茶を一口飲んで優雅にそれを卓に置いた。陳姨娘は伏し目がちに告げる。

「董姐様……奥様の小産に関わっているのですか?」

「あははは!」

 董蓉の明るい笑い声に陳姨娘は目を丸くして驚いた。それと同時に底知れぬ残酷さを覚える。

「まさか!わたくしは少し助言しただけよ。わたくしは関与していないし、手をくだすわけがないじゃない」

「そうでしたね……」

(私は一生、この女と運命を共にするのね。でも、この女が奥様の小産に関わっていないと?では、誰が?)

 陳姨娘は董蓉に短くお暇を告げると玉壺軒へと帰って行った。董蓉はまた、茉莉花茶を飲んだ。


 宮廷では大きな騒動が起きようとしていた。


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