寂寞に揺れる冬柳(6)
瑛は博平郡侯と正妻との娘として記載されている戸籍があるなら、一介の妾にするのは忍びないと考えた。
そして、後宮にあるように明確な序列をつけることを思いついた。そこに漁陽長公主が声をかけた。
「潭国公夫人、何か考え事でも?」
「いえ、大したことでは……」
「なら良いのだけれど……」
漁陽長公主はどこか落ち着かない雰囲気を出していた。瑛は疑問を抱いて思い切って彼女に尋ねた。
「落ち着かないご様子ですね。長公主殿下、憂いでもあるのですか?」
彼女の問いかけに長公主の隣に座っていた斉国公も反応した。2人は顔を見合わせる。そして斉国公が小さな声で告げる。
「実は莫云という女道士を招き入れてしまって。後から聞いたら随分といかがわしい噂があったのです。何でも太子妃に近づきたいからっと言われて」
そこからは漁陽長公主が話し始めた。
「莫云は裏で巫媚薬の製造をしていました。それを殿方に使うのでなく……女人に」
「もうおやめになってください」
すかさず張姨娘が漁陽長公主の話を遮った。これ以上、話すのは彼女にとっては辛いことだろうと感じたからである。しかし、瑛たちに漁陽長公主や斉国公が莫云の話をしたのか。瑛は意図がつかめなかった。その疑問に切り込むように張姨娘が2人に尋ねる。
「なぜ、私たちにそのようなお話を?」
斉国公が遠慮しがちに答える。
「我が家は蘭斉殿と確執があるし、元妃様を支持する一人です。蘭斉殿は何としてでも元妃様を潰したいらしい……潭国公は元妃様の身内ですし、我々は同士として考えています。それに蘭斉殿は……」
斉国公は漁陽長公主の顔を見つめながら続けた。
「先帝を恨んでいましたからね」
「もしかして……」
瑛は漁陽長公主が再婚していたことを思い出した。前夫は蘭斉の身内に当たる殷家の息子である。
似た者同士だった蘭斉と殷家の息子は好色で貪欲で汚い人間だった。それに見かねた先帝が漁陽長公主を離婚させたのである。そこから殷家は陰口の矛先となり、今では没落の一途をたどっていた。
「安心してください。誰にも口外しません」
瑛が力強く言うと漁陽長公主と斉国公はどこか安心したのか表情が明るくなった。
「潭国公夫人、丹芍、耳に入れたいことが」
斉国公が2人に向かって囁いた。
一方で蘭斉がなぜ、先帝を恨んでいるか。それは蘭斉は殷家から小遣いをもらっていた立場であったからである。殷家が完全に没落したら小遣いが入らなくなる。金に執着と借金のある蘭斉にとっては小遣いが入らないことは死活問題に近かった。
長公主は甘やかされている!二夫に仕えるなんて恥だ!
そう蘭斉は思い込み、幸せになった漁陽長公主と斉国公を賜った張謹(ちょうきん)に対して強い妬みと恨みを抱くようになっていった。
そんな中で微州と北趙の争いが続いていた。蘭斉はいかにも裕福そうな尚書令や金城伯らと懇意にすることにした。使えそうな役人を尚書令に紹介して賄賂をもらうこともあった。その賄賂で高利貸しも始めている。
蘭斉は朝廷のまさに「害」の部分であった。これには尚書令も呆れていた。尚書令は世間の目を気にする部分があっからか、蘭斉よりも金城伯を重要視していた。
それに蘭斉は気づいて有能な下級役人を斡旋、それから自身の愛妾までも差し出して歓心を買うことを徹底に行っていた。
長公主に一喝されて退散した蘭斉はお屋敷に憤慨しながら戻った。椅子に腰をおろすなり扇を壁に投げつけた。そこに笑いながら娘の婉児がやって来て投げつけてあった扇を拾い上げた。
「お父様、長公主を陥れることが出来なかったのですね」
婉児の大きな瞳が蘭斉を見つめる。どこか見下したような目つきだった。
「婉児!」
「はいはい。差し出がましいことは分かっていますが、もう長公主に執着なさるのはおやめになってください。別に殷家のことは良いではありませんか。それに、お父様は私を入宮させてくださるんでしょ?」
婉児の言葉に蘭斉は驚いた。入宮させるということは後宮で妃嬪になるか、女官になるかである。妃嬪になることを大衡国では選妃と呼んだ。女官、宮女として入宮する場合は選秀女と呼ぶ。
「お前はまだ、そんなことを……」
「蘭家は妃嬪を輩出する家門と言われ続けています。ですが、陛下の後宮には蘭家の妃嬪はいません」
「お前を芳名録に入れて何の足しになるんだ。入宮となれば金がいるだろう!」
婉児は高い声で笑った。
「そのお金を私が入宮して倍にしてみます。商売には危うさも必要ですよ。お父様は目先の利益ばかり考えていらっしゃるのね」
彼女は蘭斉の前に歩み寄ると拾い上げた扇を手渡した。蘭斉は娘の話しも一理あると考えた。それに婉児は器量も良い。寵妃になれる可能性は十分にある。
だが、選妃は終わっており、正式な手順で妃嬪になる道はなかった。これに蘭斉は頭を抱えた。
しかし、婉児は余裕そうにいた。どうやら彼女には考えがあるらしい。
「お父様は修儀様とは懇意になさっていないの?」
婉児の言葉で彼の悩みは消えた。董修儀という最大の伝があれば、どんな手順を踏んでも妃嬪になれる。婉児はそれを見越していたのである。
「だから余裕だったなのだな」
「はい。元妃様より董修儀様の方が味方はおりますし、微州出身の妃嬪はこの先、必要になるはずです。修儀様もいつかは枯れる牡丹ですもの」
確かに蘭斉たちには微州出身の妃嬪は必要であった。婉児が言った通り、董修儀がいつまでも寵妃でいるとは限らない。皇帝の心には元妃と修儀しかいない。その修儀が失寵した時に備えなくてはならなかった。
今、後宮にいる微州出身の妃嬪たちには修儀を上回るほどの容姿の者はいないし、彼女が得意とする舞踊も出来るものはいない。
婉児は詩書はさっぱりだったが、琵琶が弾けるだけではなく舞踊もできる。それに蠱惑な美しさも持ち合わせていた。だが、嫉妬深い修儀に婉児を直に紹介して下手に恨みをもたれても困る。
「婉児、修儀様には絶対に従え。分かったな?修儀様を敵に回すことはするんじゃないぞ」
「わかっております」
そう婉児は答えた。彼女はつけくわえるように言った。
「誰かが、あの事を上奏したら……私兵を持つことを禁止されているはずなになのに長公主のお屋敷を包囲していたと陛下の耳に入ったら」
婉児はくすりと笑った。
「お父様、これは一大事ですよ?早く修儀様にお願いしてきてください。私がお父様を救う日が来るのですね」
婉児はそう言うと部屋から出て行った。
こういう経緯があり、蘭斉は董修儀に婉児を芳名録に加えて欲しいと願い出たのである。
芳名録には妃嬪、女官、宮女の名前が記載されている。これに名前が加われば後宮の女人になったことになる。芳名録を管理しているのは尚宮局であり、冊封の儀式を行うのは尚儀局だ。
だが、冊封の決定権を握るのは皇太后、皇后、そして皇帝であった。皇后と同格である元妃ですら冊封の決定権は持てなかった。しかし、楊充媛の晋封は元妃が強行突破した。
故端妃のこともあってか、礼部尚書、尚儀局、内侍らは冊封の儀式に向けて皇帝の最終決定を待っていた。
新たな妃嬪 、もしくは皇子、皇女が位を賜ることを冊封と呼び、既存の妃嬪の位をあげることを晋封と区別した。そして妃に晋封されると冊妃と区別されて、儀式も盛大であった。
元妃、賢妃を除く妃嬪らは晋封されて、新たな妃嬪らは冊封された。しかし、それは董修儀にとっては納得いくものではなかった。