寂寞に揺れる冬柳(4)
董修儀の太監で金銀に貪欲な呉堅はあっさりと主である彼女を裏切った。元妃と楊充媛の思惑は当たり、 彼はことある事に修儀に故端妃の話をして不安を煽った。
妃であったお方でも追封されないのですね
皇子をお産みになった故端妃様が追封されなければ、前例ができて追封されない妃嬪が……
あの故王貴嬪ですら、恵妃になれましたのに……
十二嬪でしたら、どうなるのでしょうか?
太嬪としてお寂しい余生をお過ごしなるのでしょうね……
太妃や貴太妃、皇太妃になればお子様にも箔がつくでしょう
董修儀は毎日のように呉堅の投げかける言葉に一抹の不安と焦りを覚えてしまった。貴嬪であった故王貴嬪は運良く恵妃となれたが、自分はどうだろうかと考えたからである。
商家出身で子どものいない彼女には皇帝が崩御したら、寺に入って尼になるか、それとも女道士になるかしかない。だが、「寵愛」があれば上林苑で「董太嬪」として敬意をもって何不自由なく余生を過ごせる。しかし、皇帝に見向きもされなくなったら後宮に留まれる可能性は低い。
(よく考えてみたら故端妃が追封されないのは晋王がいるからだわ。陛下と何かと対立しているし、でも彼の生母が追封されなかったら?)
董修儀は思い悩んでいた。呉堅の言葉も一理あるような気もしていたが、皇帝と対立する晋王の生母の話をし始めたことに疑問もわいていたからだ。
(故端妃は皇太妃として追封されたがっていた……晋王はその話を蒸し返しているはず。でも、呉堅は今頃、なぜ故端妃のことを?)
そんな中、朝廷では皇帝が礼部尚書とその配下を呼んで後宮の尚儀局で晋封を行うと告げた。先帝の妃嬪、そして自分の妃嬪らの品階をあげて仕えてくれた功績に報いたいというものだった。
しかし、それは隠れ蓑に過ぎなかった。楊充媛の貴嬪への晋封が反対されないためである。十二嬪の下位である彼女がいきなり貴嬪になることに難色を示す大臣もいるだろうと皇帝なりの考えだった。そして淳王を貴嬪の身分で迎えさせるためである。淳王が親王になった時を考えてのことでもあった。たかが、十二嬪の皇子が親王に冊封されることはないからである。逆に言えば、従一品の貴嬪の皇子ならば親王に冊封されてもおかしくはないのだ。
元妃が思っていた以上に皇帝は楊充媛に配慮をしていた。彼女からしたら、冷遇してきた楊充媛への罪滅ぼしにしか見えなかったが、それはそれでありだと感じていた。
そんなある日
董修儀が自室で様々な事を考えていると、侍女の芙渠が彼女に蘭斉が謁見を願っていると静かに告げた。
しかし、考え込んでいる修儀の耳には届いていないようだった。再び、芙渠は彼女に蘭斉の謁見を告げた。
「芙渠、どうしたの?」
「修儀様、蘭斉様が客間にお見えに……それにしても何をお考えに?」
「故端妃のことよ」
「おそれながら、蘭斉様もそのことでお見えになっているかもしれません」
「なら、好都合だわ」
董修儀は椅子から立ち上がると客間に向かった。表情はいつも通りにふてぶてしさを浮かべている。蘭斉に考え込んでいたことを感じさせないようにするためだ。
客間には蘭斉が深刻な表情を浮かべながら立っていた。修儀はそれを見て「嫌な予感」がした。しかし、それでも表情は変えなかった。
「蘭殿、待たせたわね」
「修儀様!」
修儀はゆっくりと背もたれ椅子に腰をおろした。蘭斉は彼女の目の前に来ると深々と頭を下げて、間髪入れずに言った。
「楊充華が貴嬪に冊封されると噂になっています。淳王の養母にするためとか。それを皮切りに大規模な晋封が行われるとか」
「淳王の養母に?まあ、これはこれで他の妃嬪から恨まれるわね。十二嬪から養母を選ぶとしたら木昭容かまいたのにね。ところで晋封がどうしたの?何か問題でも?」
「実は先帝の妃嬪への追封も行う方針かと」
董修儀は鼻で笑った。
「死んだ人間に今更、位を与えるの?陛下はいつから愚鈍になったのかしら」
「修儀様、聞いていませんか?故端妃のことですよ!」
蘭斉の言葉に修儀の心が激しく動揺し始めた。
「陛下は貴太妃になさるおつもりでしたが、晋王が猛反していましてね……兄弟が仲違いする勢いです」
「なら、皇太妃になさればいいのよ。簡単なことだわ」
「わたくしめも同じように思っております」
「尚書令と金城伯に上奏させて。妃嬪の追封は後宮の問題でもあるわ」
「わかりました。それと修儀様」
「なに?」
「今回の晋封ですが……」
蘭斉はしどろもどろしていて、はっきりは話さなかった。修儀はそういう煮え切らない態度が好きではなかった。
「はっきり言って」
「新しい妃嬪も迎えての盛大なものらしく……我が娘の婉児を芳名録に加えてはいただけませんか?」
「尚宮局と尚儀局に根回しはするわ」
「それと……」
蘭斉はその場に平伏した。董修儀は彼が何か自分に良くない話でも聞いたのだと悟った。
「蘭殿、何を言われても平気よ。私は陛下の寵妃、董修儀、怖いものはないわ」
「木昭容が昭儀におなりあそばされます」
(あの女が昭儀!)
董修儀は故端妃の追封の件より、こちらの方に動揺してしまった。公主しか産んでいない木昭容が十二嬪の主位になるのが悔しかった。それに修儀は自分こそが十二嬪の主位になるのだと思い込んでいたのだ。
「で、私は何の位を賜る予定かしら?」
恐る恐る修儀は蘭斉に尋ねた。
「昭容と聞いております……」
「下がって!」
董修儀は背もたれ椅子から立ち上がると怒鳴りながら平伏していた蘭斉の肩を蹴った。女人の非力な蹴りであったが、蘭斉に恐怖を与えるのには効果はあった。
鬼のような剣幕の董修儀に蘭斉は大人しく従うしか無かった。体を起こすと何度も彼女に頭を下げて客間を後にした。
「修儀様!」
董修儀の怒鳴り声を聞いた芙渠が慌てて客間に入ってきた。今まで見たこのない般若のような顔に芙渠は思わずたじろいだ。
「芙渠!陛下に会いにいくわ!」
「修儀様、お静まりください。今、晋封の正式な詔が出て……使者が待っております」
(もう正式な詔ですって?早すぎる……何、この違和感は……故端妃は?故端妃はどうなる?)
董修儀は一気に力が抜けて床に座り込んでしまった。そして芙渠に恐る恐る確認した。
「故端妃は?」
「貴妃に追封とされました。他の先帝の妃嬪は太妃や貴太妃に追封となりましたが」
「陛下は分かっていないわ。晋王を宥めるには故端妃を皇太妃にしないといけないのに。太妃、貴太妃にもなさらないなんて」
(故端妃は権勢を欲しいままにした……でも太妃にも追封されなかった。つまり、皇子がいても皇太妃になれない前列ができてしまう。私が妃になって、皇子を産んだとしても……皇子が産まれず太嬪で過ごすこともあるだろうけど、こればかりは陛下のお気持ち次第だわ)
「修儀様、その件は尚書令様たちがなんとかしてくださいます。今は詔を受け取りましょう」
「分かったわ……」
董修儀は芙渠の手を借りて使者の待つ正殿へと向かった。使者は尚儀局の女官たちであった。尚儀局は後宮の儀礼や書籍、音楽を司る部署である。
「修儀様のおなり」
側仕えの太監が使者たちに彼女がやってきたと告げた。
彼女を出迎えた太監の中には呉堅もいた。修儀は瞼を閉じて気持ちを落ち着かせた。
「楽にして」
そう言って瞼を開くと優雅な足取りで使者の前までやってきた。