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雨の花海棠(3)

「奥様が輿入れをした日、公爵様に出したお酒……喜酒(きしゅ)は強いものだったのです。しかも、仕入れ先が少し特殊でして」

 瑛は少星から聞いた酒の話を思い出した。

(普段より強いもの…まさか…さすがに婚礼の日に小細工をする姨娘が…?なら、宣戦布告を隠れてされたようなものだわ)

 夏荷は目を真っ赤にして続ける。春蘭と冬梅は彼女を見つめる。いつの間にか瑛は前のめりで話を聞いていた。

「お屋敷の食材やお酒は張姨娘が管理していますが、婚礼の日に出した喜酒は董姨娘が後宮から特別に取り寄せたものだったんです」

「それで?」

尚食局(しょうしょくきょく)の女官が丁重に届けてくれてたんです」

「尚食局といえば…食事の他にお酒も扱っているときいたことがあるわ」

 尚食局は食事、調味料、また新薪(たきぎ)の供与などを管理する。上席の女官は尚食と呼ばれて、正五品を与えらた。

 尚食局で酒を扱う部署は司醞司(しんうんし)で責任者は正六品の女官、司醞が担当する。

(董蓉の姉がただ贈ってきただけなのかも…でも、強いお酒をなぜ?しかも後宮の喜酒…)

「奥様、実は公爵様は強いお酒が苦手で。管理している張姨娘もご存知なはずです。潭国公の親類の婚礼には董修儀から喜酒は贈られてきませんでした。奥様がご正室として嫁いだからだと思っていましたが、わざわざ後宮のお妃様が喜酒を贈るでしょうか?」

 春蘭と冬梅は顔を見合わせた。瑛の頭の中で仮説が組み立てられていく。

(董蓉は董修儀に依頼して後宮から強いお酒を…でも、何のため?長く仕えているのなら公爵様の好みはしり尽くしている。もしかして…私と過ごさせないため?つまり、嫡子を産ませないってこと?)

「話してくれてありがとう。夏荷、この話を誰かにした?」

 夏荷は首を横に振った。潭国公府の中でこの話を知られたくない妾は必ずいると瑛は睨んだ。使用人は消されるか人買いに売られれば真実はうやむやになる。この話をしたことで夏荷がそのどちらかの末路をたどることも考えられる。夏荷は何かに繋がる「証言」をした。彼女を守るのは当たり前のことだ。瑛が囁くように夏荷に言った。

「夏荷、この話は他の姨娘や使用人らに知られてはいけない。あなたが人買いに売られてしまうかもしれない……夏荷、しばらく貞観軒で働いてもらえる?」

「お話はありがたいのですが、わたくしめは卑しい身分です。売られるのも買われるのも慣れています。ですから、今まで通り厨房にいさせてください」

 夏荷はそう言うと頭を下げた。すると春蘭が瑛に向かってこう言ってきた。

「夏荷を厨房で働かせていた方が利点があるかもしれません。わたくしめや冬梅が厨房に行ったら、古株の下女に追い出されてしまいます。夏荷が厨房にいたら、そのお酒の話の解決に繋がるかもしれません」

 冬梅も春蘭の話しに頷いた。そして付け加えた。

「仮に董姨娘が絡んでいたら、これは正妻の妨害したことになります。嫉妬を原因に正妻を害することに正当なものはありません。これは董姨娘の背後に何か隠れているかもしれませんね」

「2人の話はごもっともだわ。夏荷、あなたの好きなようにしていいわ。ただ、喜酒の話はしない。お願いね」

「かしこまりました」

「でも、どうしてわたくしに話してくれたの?」

「さぁ…わたくしめも分かりません。ただ、直感で奥様が優しくて良い方のように思えたからかも知れません。少し耳に入ったのです。罰した侍女に生姜湯を……」

 夏荷はどこか恥ずかしそうに小さく言った。

(聞かれてたんだ……!)

「冬梅、夏荷を厨房まで送ってきて。春蘭はお茶を持ってきて」

 瑛が命じると3人は揃って部屋を後にした。1人になった瑛は目をつぶり息を大きく吐き出した。これが董蓉や陳姨娘の仕業なら分かりやすいが、他の妻妾の誰かだったらと思うと潭国公府で誰が味方で敵だか分からない。

 もしかしたら、食材を管理する張姨娘が絡んでいるかもしれない。ただ、見慣れない品物を婚礼の食事に出すだろうか。何か異論が認められずに食事に出た可能性もある。

「董蓉か陳姨娘か…」

(冬梅が言った通り、董蓉の背後には何かが隠れている。董修儀?それとも雁門郡公?)

 ふと、目を開く。先程まで聞こえていた雨音が消えていることに気づく。それに気づかないほど夏荷の話に耳を傾けていたのだと瑛は思った。椅子から立ち上がり、扉を開けると冷たい風が吹き付けてきた。

 貞観軒から潭国公府を見渡すと実家の宛国公府より広いことに気づいた。輿入れの際は全く気に止めていなかった。この広いお屋敷で味方を見つけるより、敵を見つける方法がないかと頭を働かせてみるも、ただ、良い方法は見つからなかった。

(陳姨娘はあからさま過ぎるから分かり易い。秦姨娘と張姨娘は子どもはいるけど娘だけだわ。嫡子が生まれて困ることは今のうちはなさそう……ただ、董蓉には長子の桓がいる。この先、私が嫡子を産んだら?困るのは董蓉だわ…董蓉の息子が潭国公の爵位を継いだら…董修儀の後ろ盾になる……ってこと?)

 瑛は柱にもたれながら内心で思っていた。すると急に疲れを感じた。でも、しばらく風を浴びていたい気持ちが強かった。

「とんでもない縁談だわ…お父様……!!」

 そう小さく呟いた。瑛は父親の宛国公に念を送ってみた。そこに春蘭がお茶を持って現れた。彼女の顔は引きつっている。瑛は柱から離れて再び椅子に座った。

「春蘭、どうしたの?」

「先程、臨香軒から笑い声が聞こえたんです。すごく大きな笑い声でした…奥様の前では泣いていたのに」

 瑛は鼻で笑った。

「これは奥様への当てつけですよ!」

「いいわよ。これに反応するのを董蓉は待っているはず。こちらが反応して動揺したり、怒ったりするのを見て楽しむつもりね」

 そこに冬梅が戻ってきた。何も持っていかなかった冬梅の手にはお盆が握られている。そのお盆には点心がのせられていた。冬梅は春蘭とは反対に明るい表情をしている。呆れたように春蘭がいう。

「随分、明るい表情ね…こっちは悲しい気分なのに」

「厨房の女中から点心の差し入れをもらったの。春蘭こそ、どうしたのよ?」

「臨香軒の前を歩けば分かるわ」

「何よそれー!」

「2人とも静かにして」

 春蘭と冬梅は瑛に向かって頭を下げた。

「夕食が出来るまで休むわ…なんだか疲れたの」

 すると冬梅は点心を差し出してきた。

「奥様、一口食べてみませんか?きっと召し上がれば疲れも消えますよ」

 春蘭は差し出された点心を見て笑った。その点心は瑛の大好物である芝麻球(チーマーチュウ)、訳すと胡麻団子だったのだ。

「胡麻団子が食べれるなんて…よく乳母が作ってくれてたやつ……!」

 瑛は胡麻団子を頬張った。甘い餡子に胡麻の香ばしさが口に広がる。潭国公府の胡麻団子は美味だったが、瑛には実家の乳母が作ってくれた胡麻団子の方が美味しく感じられた。あの胡麻団子は懐かしく二度と味わえないものになってしまったのだ。

「誰がわたくしの好物を?」

 春蘭と冬梅は首を傾げる。胡麻団子は偶然なのだろうか。それでも、この胡麻団子は嬉しかった。

 冬梅に言われた通り、胡麻団子を食べたら疲れが吹き飛んだ。春蘭は見計らってお茶を差し出す。

「このお茶は茉莉花(ジャスミン)じゃない!良い香り…」

銀毫(ぎんごう)入りの上物だそうです」

 春蘭が得意げに言った。茉莉花の爽快で華やかな香りが部屋中に広がる。心がほだされるようだった。

「実家の茉莉花より上物かも…」

 功臣の宛国公府では贅沢は嫌悪されるものだった。上物は他の家では中の上くらいで、食材は傷みはないが新鮮ではないという感じだ。

 皇帝の姉である長公主(ちょうこうしゅ)から下賜された簪は滅多に表に出ることはなく、宝物庫に厳重に保管されていた。ちなみに皇帝の姉妹は長公主と呼ばれる。おばは大長公主(だいちょうこうしゅ)と呼ばれ、大主(だいしゅ)とも呼ばれた。

 その長公主から下賜された簪を嫁入り道具として持参させる話が出たが、父である宛国公は首を縦に振らなかった。簪の件で瑛の母は父と口論したと後から聞かされた時は父の「恐れ多い」という精神が吝嗇家(りんしょくか)、ケチに思えて笑うしかなかった。

 ただ、潭国公府より実家は白に近い家風であったことには間違いはなかった。ただ、真っ白ではない。祖母は妾の子どもたちには厳しく、正妻の子どもたちと明らかに差別をしていたからだ。それゆえが妾たちは祖母に怯えていた。祖母が亡くなった時、妾たちは安堵したはずだ。そう思うのは瑛自身も安堵したからである。

 瑛は実家での思い出を記憶でしか懐かしむことしかできなかった。そして祖母がしたことが心に暗い影を落とした。


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