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謀りの百合の花(5)

「お父様、仰ってる意味が」

 宛国公は瑛を手招いた。瑛は恐る恐る宛国公の前に歩み寄る。瑛は皺が目立ち始めた宛国公の顔を見つめた。どこか冷たく、不気味な表情を浮かべている。

「ここに入れたのはお前を闘争に加えるためだ。潭国公に嫁がせたのはそのためでもあるし、元妃様の意向だ。思ったより、董姨娘と陳姨娘が厄介だが……いずれ、潭国公とも対峙するときもあるだろうな」

 瑛は潭国公が敵か味方かのはっきりとした線引きはしていなかった。ただ、潭国公は夫であり、董蓉と陳姨娘以上に厄介な存在であるのは確かだった。彼は情に弱く、そして愛の分配が非常に下手であった。

「公爵様と?」

「このまま、潭国公が董一族についたら元妃様や我々にとって分が悪い。向こうには表に出ないだけで味方が大勢いるはずだ。話を戻そうか」

「はい」

 瑛は返事をすると口を噤んだ。宛国公夫人は2人の様子をただただ見つめているだけだった。宛国公は咳払いをすると小さく話し出した。

「太子妃様は金城伯の姪で微州出身の貴族から支持を得ている。だが、選侍様に皇太子殿下は心を向けているだろう?これは選侍様が元妃様のお気に入りだからだろう。それに選侍様を愛しているのだと思うのだ。元妃様と我々が思う以上に皇太子殿下は選侍様を寵愛している。」

「お気に入りだから寵愛を?」

 瑛が尋ねると宛国公の表情が曇る。

「それもあるだろうが……選侍様を寵愛をすることは我々や北趙出身の貴族たちの支持を得るためだろう」

「純粋な気持ちはないのですね」

 瑛は自分に向けられたことのない純粋な愛情を静樂は与えられていたと思い込んでいた。そして、皇太子が盲目的に彼女を愛していたのだとも思い込んでいた。

「瑛、一介の公爵家でも妻妾たちに諍いがあるように、後宮ではもっと熾烈な諍い……いや、争いがある。お前は政治や後宮には疎いだろうから、今のうち学ぶといい。そうすれば、選侍様のことも分かってくるだろう」

「はい」

「2人とも座りなさい」

 宛国公にうながされて瑛と宛国公夫人は腰を下ろした。瑛は政治と後宮、そして潭国公府のお屋敷で起きる様々な出来事を繋げて考えようと決めた。確かに瑛は政治や後宮に疎い。太子妃がなぜ、静樂を虐げているのかも単なる嫉妬だと考えていた。しかし、太子妃の行動の裏には何か邪な思惑や謀りがあるのだと宛国公の言葉で気づいた。政治と後宮は繋がっている。それは歴代の皇帝たちが嫌ったことである。拓跋氏(たくばつ)が建てた北魏では「子貴母死」のように子どもが立太子されたら、その生母が死を賜わるという慣例があったように生母やその一族が外戚として政治に関与させない事があった。

 大衡国では皇太子の生母が死を賜わることはないが、皇太子以上に能力のある皇子を産んだ妃嬪らを排除する動きはあった。そして殉死させられることもあった。

 政治に妃嬪、そして女人の感情は不要なのだ。そして後宮には政治でもたらされる自身への利益が必要である。その利益とは皇帝からの寵愛だった。

(お屋敷での一挙手一投足が政治、後宮に関わるわけね……)

 瑛はおもむろに2人に尋ねた。

「お父様、お母様、実は気になることが……」

「どうしたの?気になることって?」

 宛国公夫人が優しい声で尋ねる。

「私の婚礼に出された喜酒のことです」

 宛国公夫人と宛国公は顔を見合せた。その様子から何か知っていると瑛は踏んだ。

「静樂のことも気になるのですが、こちらも気になって……喜酒のことも全て後宮に繋がっていると思うのです。「酔寝」をご存知ですか?」

 その問に宛国公夫人はゆっくりとした口調で答えた。瑛は何を言われても良いように色々な答えを内心で用意していた。

「董修儀様が用意したのよ。それに婚礼の品物もね」

「そうですか……」

 予想した答えだった。やはり、董蓉は後宮と繋がっていた。董修儀が用意したということは何かの思惑があるに違いなかった。

「おかしいと思うのよ。なぜ、修儀様が皇族の(たしな)む物を婚礼の品物に出したのか」

「瑛、お前は何か知らないか?」

 宛国公が瑛に尋ねると、厨房係の夏荷(かか)の話と秦姨娘の話を2人にする。

「確か……後宮の女官が届けにきたとか。医術に詳しい秦姨娘の話では「酔寝」にはおかしなところは見当たらないと。この話は私の杞憂でしょうか?」

 次に口を開いたのは宛国公夫人だった。

「喜酒におかしなところがないなら……婚礼の品物に何かあるのではないかしら?」

 宛国公夫人のその一言に瑛は思い当たる全てを考えた。

(婚礼の品物には鴛鴦(おしどり)の置物、屏風、羅紗の帳、金縷(きんる)の枕、玉珮(ぎょくはい)……何か細工できるものは……)

「秦姨娘と調べます。彼女は信頼できます」

「わかったわ」

「話せてよかった……お父様、お母様、さっそく調べてまいります」

 瑛は立ち上がり、2人に向かって1回ずつ頭を下げると書斎を後にした。書斎の前には宝海と胡ばあやが控えていた。瑛は宝海に少し頼みたいことがあった。

「久しぶりね、宝海」

「お嬢様、いえ潭国公夫人、お久しぶりです」

「あなたに頼みたいことがあるの」

「何でしょうか?」

 宝海は表情を変えずに瑛に目を向けた。無表情で無口な彼は宛国公一族に忠実であり、その有能さで彼らを助けていた。胡ばあやから聞いたが、彼は幼い頃に宛国公に命を救われたそうだ。そして宛国公府の管家(かんけ)である蕭海(しょうかい)の養子となり、今では宛国公の右腕になったのである。(管家とは執事のこと)

「太子宮の女官に静樂へ差し入れを願い出てほしいの」

 彼女は銀子の入った小さな銀子を宝海に手渡すと彼はやんわりとそれを受け取らなかった。

「太子宮の女官に銀子は通じません」

「そんな……」

「大丈夫です。何名か宛国公様と石邑侯様(せきゆうこう)の息がかかった者がいます」

 瑛は父親の用意周到ぶりに感心した。それと同時にあの吝嗇家の宛国公は銀子を使わない方法を考えたのだと感じた。

「石邑侯……あ、(もう)伯父様だわ」

「さようです」

 石邑侯は宛国公夫人の兄であり、生母は皇族であった。石邑侯は瑛の幼い頃の記憶ではいつも仏頂面で難しい本を何冊も読んでいた。そしてよく碁を打っていた。彼は武官として先帝である康泰帝(かんたいてい)に出仕すると北方の戦いに駆り出された。そして大衡国には目障りだった北方の沮渠氏(そきょ)を追いやると「石邑侯」に封じられたのである。

「なら、大丈夫ね」

「はい。ご心配なく」

「本当に抜かりないわ……また、訪ねるわ」

 宝海は静かに彼女を見送った。歩き出した瑛に付き従うように胡ばあやも歩き出した。胡ばあやは何か言いたげだったが口を固く結んだままだった。瑛はそれに気づいていたが、あえて声をかけられるのを待った。しばらく廊下を歩くと背中から胡ばあやが声をかけてきた。

「お嬢様!」

「どうしたの?」

 瑛が振り向くと胡ばあやは驚いたのか、後ずさりした。

「静樂がどうなるのか知りたいのでしょ?」

「お、お嬢様?!」

 昔、胡ばあやは静樂の世話をした事があった。静樂は身体が弱かったせいか宛国公府で療養していたのだ。その時に同伴していた世話係のばあやが亡くなってしまう。そして後任として瑛たちの世話をしていた胡ばあやが選ばれた。彼女は愛情深い性格だったから静樂を心から可愛がり、世話をした。そして3歳になった静樂は熱を出すことも少なくなり、吏部尚書のお屋敷へと帰って行ったのだ。その時に胡ばあやは信用できる世話係を遣わしたのである。だから、静樂の身を一番、胡ばあやが案じていたのであった。


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