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凌霄花の毒(5)

「董謙は私を味方に引き入れたいのでしょう」

「なぜ?」

「私の考えですが……人が多すぎます」

 瑛が尋ねると、昕は彼女に人払いを頼んだ。

「皆、下がりなさい」

 使用人たちが客間から下がるとそこに残った昕と鮑姨娘は瑛に密やかに話し出した。

「まず、私の見解ですが屋敷に迎えられたのは董謙の意向です。お義姉様がご正妻になったからでしょう。今更になって父上の遺言が都合よく出てくるでしょうか?」

 すると鮑姨娘も昕に同意するかのように告げる。

「わたくしも都合が良いと思っていました。なぜ、今か、っと」

 瑛は昕の見解に一理あると思った。そして考えてみる。長い間、錦都を離れていた昕を董謙が見つけ出して、情に流されやすい潭国公に言葉巧みに屋敷に迎えさせたのであろう。それに先代の潭国公からの遺言書は偽装されたものかもしれなかった。ちまたには筆跡を真似ることに精通している者もいるくらいだ。

「お義姉様、私たちの件で兄は頻繁に董謙に会っているでしょう。董謙は私たちに恩を着せて、董姨娘を支持するようにしたかったのでしょうね。味方は多い方が有利ですから」

「わたくしは解せないわ」

 瑛の一言で昕の表情が神妙なものに変わった。

「昕様も鮑姨娘もなぜ、この話をわたくしにしたの?」

 すると昕は声を上げて笑った。さすがの瑛もそれには驚いてしまった。

「正直に言うと私はこう見えて意外と打算的なんです。董姨娘を支持するということは生まれるか分からない皇子に全てを賭けることを意味します。なら、宛国公の令嬢で兄の正妻であるお義姉様を支持した方が利益が見込めます」

 昕は意気揚々に、そして正直に話した。その姿に瑛は夫である潭国公とはまた違う何かを感じた。飄々としているわりには腹の中は黒いとも感じた。ただ、利益を見込めると断言した彼が味方になったのは有難かった。

「昕もわたくしめも董謙の手足にはなりたくありませんからね」

 鮑姨娘が静かに呟いた。

「董姨娘は手ごわい方よ?まだ、お屋敷の差配を任されているくらいですから。それに、わたくしに勝算があると?」

 瑛の言葉に昕は答える。

「勝算はあります。まず、元妃様に謁見をして信頼されること、そしてご懐妊されること……」

「そのことなのだけど」

 瑛は立ち上がり、昕と鮑姨娘の近くに寄ってひそひそと耳打ちをした。すると鮑姨娘が呆れ返ったように告げた。

「奥様、「酔寝」の件は元妃様はご存知で?」

「分からないわ……ただ、父上の耳入っていれば元妃様に自ずと耳に入るはず」

「ならば、ますます参内しなくては……!」

 昕が語気をいささか強めて瑛に言う。

「昕様、まずは父上に確認してからにしても?それにいきなり元妃様に参内したら董蓉は探りを入れてくるわ。元妃様に参内するより、再従姉妹の静樂に参内したほうが変な憶測は出ないはずよ。静樂は皇太子殿下の側室だし、動きやすいわ」

「わかりました。急かしてすみません。皇太子殿下もこちらに取り込めたら力強い…それと、私たちはそろそろお暇します。兄が訪ねてくると聞いたので」

 昕と鮑姨娘が椅子から立ち上がると瑛に向かって会釈をした。そして客間を後にする。入れ替わるように使用人たちが控え始めた。瑛は再び客間の椅子に腰を下ろした。昕たちが言っていることは分かる。元妃からの信頼は董蓉を牽制するためには必要だし、正妻として強固な立場を得るには懐妊しなくてはならない。

 今、潭国公には息子は1人しかいない。あとは全員、娘であった。息子の有無で妾たちの立場や見えない序列は変化した。その点から董蓉がいかに強い立場にいるかが分かる。姉は皇帝の寵妃(ちょうひ)で自分は潭国公の長子の生母……だが、元妃の立場で考えるとそれは些事(さじ)に過ぎないだろう。息子を、しかも跡継ぎを産むということは後宮にとってもお屋敷にとっても重要なのである。

「奥様、秦姨娘が起こしになっております。差し入れをお渡ししたいそうです」

 客間の外で控えていた冬梅が声をかけた。

「わかったわ。客間にお通しして」

 瑛がそう指示すると冬梅からの返事が聞こえてきた。しばらくして秦姨娘が客間に訪れた。彼女からは微かに薬草の香りがした。秦姨娘が連れてきた侍女は差し入れを携えている。

「昕若様たちとすれ違いましたが、何かありましたか?」

「内緒話をしていたのよ。それより、秦姨娘にお礼を言わないと」

 瑛が椅子から立ち上がると彼女に向かって深々と礼をした。秦姨娘は慌ててそれを止めさせようとする。もし彼女がいなければ、休妻(りこん)されていたかもしれない。それに危険をおかしてでも自分を助けてくれたのだ。瑛にとって彼女は恩人以上の恩人だった。

「奥様、わたくしは当たり前のことをしたまでです。それに昕若様が助けてくださったのです」

「昕様に会っていたの?」

「はい。奥様に頼まれて信件を出した時に」

(昕が助けた…?私側についてると確信していいのかしら?)

「そう……さ、かけて」

 秦姨娘はゆっくりとした動作で椅子に腰を下ろした。そして瑛が座るのを確認してから侍女の苓児に命じて携えていた差し入れを出した。薬湯の香りが客間中に広がる。

「血を補う薬湯です」

 そう言ったのは苓児であった。秦姨娘は苓児の話をし始めた。幾分、秦姨娘の声は弾んでいる。

「苓児も処方を手伝ってくれるのです。苓児の姉は後宮で司薬(しやく)として働いていますわ。林司薬(りんしやく)と言います。わたくしもたまに処方について相談するのです」

 司薬とは尚食局(しょうしょくきょく)の医薬品を管理する部署である。司薬の下に典薬(てんやく)掌薬(しょうやく)女史(じょし)があり、それぞれ品階を持っていた。

「司薬……ねぇ、苓児」

「奥様、何かご用でしょうか?」

 苓児はきょとんとしている。

「林司薬にお会いしたいの。取次できる?」

「奥様の身分なら簡単な手続きでお会いできるかと存じます」

「わかったわ。ぜひ、お近づきになりたいの」

「はい……」

 苓児は瑛の突然の申し出に戸惑っていた。そして秦姨娘はその意図がわからなかった。女官と繋がりを持ちたい貴族は少なからずいる。それは娘たちを皇帝のそばに侍らせたいがためだ。しかし、瑛には当たり前だが娘もいない。思いつくのは再従姉妹の李選侍こと静樂だ。静樂のために女官に近づくのかと思うと余計に秦姨娘は困惑した。

(奥様は何を考えているのかしら)

 瑛は「酔寝(すいしん)」のことを聞きたかったのと後宮での人脈作りの一つとして林司薬に近づくことにしたのだ。いきなり瑛が元妃に参内したら、董修儀も董蓉も何かに勘づいたと思うは図である。まずは女官から、こつこつと枝葉のように人脈を広げて、次に妃嬪に近づく算段だ。

「秦姨娘、この薬湯を今飲んでもいいかしら?」

「どうぞ。お口直しもお持ちしました」

 苓児が瑛の前に立つと薬湯が入った器を差し出した。

「いただくわ」

 苓児から器を受け取ると、瑛はそれに口をつけた。良薬は口に苦し。瑛は一気に薬湯を飲まなくて良かったと素直に思った。次に苓児は瑛の好物である胡麻団子を差し出す。

「あら、胡麻団子!秦姨娘の気配りは天下一だわ!」

 秦姨娘の気配りに瑛は感謝を述べる。その言葉を秦姨娘は美辞麗句とは感じなかった。率直な感想だと思ったのである。

「実は奥様の好物を事前に調べていたのです」

「そうだったのね……もしかして、以前にも胡麻団子を?」

「さようです」

「でも、誰がわたくしの好物を?」

 秦姨娘は柔らかな笑みを浮かべる。

「父の繋がりで宛国公夫人に聞いたのです」

 秦姨娘の父は太医院の侍医だ。幼い頃、瑛は彼に助けられたことがあり、それを彼女も宛国公夫人も忘れていなかった。宛国公夫人は秦姨娘の両親と今でも懇意していたのである。

(林司薬に会えたら、静樂にもお礼を言いにいかないと)

「秦姨娘、ありがとう」

「え?」

「もしかして今まで言われたことがないの?」

「董姨娘はわたくしを顎で使いますから。董姨娘からしたら都合のいい使用人なのです」

「そんな自分を卑下しないで。こんなに気配りができるのにお礼を述べないのは失礼だわ!」

 瑛の一言で秦姨娘の涙腺は緩んだ。心から瑛が正妻として迎えられたことに内心で感謝した。そして、彼女のために力になろうと思った。また、瑛も秦姨娘のために力になろうと考えていた。



クックドアさんの記事を点心の参考にしました。

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