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凌霄花の毒(3)

 元妃は宛国公に正殿で待つようにと侍女に申し付けた。

 そして元妃はもう1人の侍女の沁児(しんじ)を伴にして正殿に向かった。飛翔殿(ひしょう)の正殿には朝衣朝冠(ちょういちょうかん)の宛国公正殿の中を行ったり来たりと忙しい様子だった。元妃はその様子を見て微笑んだ。

(せわ)しないですね」

 元妃の言葉で宛国公は彼女の方に視線を向けた。宛国公は彼女に呼ばれた理由が深刻なものかと思っていたせいか、その表情を見て拍子抜けしてしまった。元妃は上座にある紫檀の椅子に腰を下ろす。

「元妃様、何かご用でしょうか?」

「少し相談したいことがあるの。どうぞ、お掛けになって」

 沁児が宛国公に椅子をすすめると、彼は少し遠慮しがちに腰を下ろした。そして元妃は単刀直入に切り出した。

「淳王の養母を決めようと考えていたの」

「恐れながら、わたくしめは立后の件かと思っておりました」

「立后の件はまだよ。尚書令と蘭斉がいるうちは無理ね。金城伯も蘭斉とつるんでいると聞くし」

「元妃様、わたくしめには分かりません。今更、淳王殿下の養母を決めるなど……それと……」

「ご令嬢の件なら安心なさって。それと、李選侍(りせんじ)にお礼を述べてきた方がいいわ」

「元妃様の相談が終わりましたら、李選侍様を訪ねます」

 李選侍とは静樂のことだ。小主から正式に選侍の位で呼ばれるようになったのだ。元妃の言葉で宛国公の悩みの種が一つ減った。そして胃痛が幾分、和らいだような気もした。

「話を戻しましょう。淳王の生母である王貴嬪は安城郡侯(あんじょうぐんこう)の庶女……安城郡侯は朝議では中立の立場とか」

「確かに安城郡侯は中立でいらっしゃいます。何か魂胆でも?郡侯の孫なら、十分に後ろ盾はありますから養母などいらないのでは?」

「養母は後ろ盾になるから必要よ。安城郡侯は孫の淳王の将来が気になっているはず。盾は何枚あってもいいわ」

 宛国公は顎髭を撫でながら元妃の話に聞き入っていた。淳王は皇帝の第七皇子である。生母の王貴嬪は元妃にも董修儀にも無関心であり、皆より一歩下がって行動する妃嬪だった。無関心と言っても冷たく、誰かをはねつけるようなものではなかった。諍いを起こして自分が傷つきたくなかったから他人と関わることを避けていた。淳王が生まれてからもそれを貫いていた。

 王貴嬪の父である安城郡侯は新興の貴族であった。北趙出身でも建国の功臣出身でもない彼らは微妙な立場にあった。北趙出身者につけば、国を乗っ取ると罵られてしまう。逆に功臣出身者につけば、北趙出身者から媚びを売っていると陰で噂された。

 彼らは自然と中立の立場にいることになった。だが、二つの勢力は彼らの勢いと何色にも染まっていない思想を欲しがった。多数の方が何かと良いこともあったからだ。そんな安城郡侯は一貫として中立だった。元妃の立后にも「出身が何であれ妃嬪の立后に妥協も何もありません。必要なのは陛下お気持ちだけです」と言って朝議を退出してしまった事がある。

「淳王に養母を与えて、尚且つ王貴嬪を追封するの。可哀想なことに貴嬪には諡号(しごう)すらつけられていない。貴嬪から妃に追封して、立派な諡号を与えれば安城郡侯は枕を高くして眠れるわ」

「元妃様は周到なのか大胆なのか。わたくしめには元妃様の心中をはかることができません」

 宛国公は白い歯を見せた。元妃はその様子を見て再び微笑んだ。宛国公の述べたとおり、元妃は用意周到でも大胆不敵でもない。かと言って、それを折衷しているわけでもなかった。

「宛国公、王貴嬪に恵妃(けいひ)の位と与えてから、礼部に諡号を選ばせて」

「礼部には蘭斉がおります。反対されるのでは?」

「蘭斉は賛成するわ。何としてでも皇子が必要でしょうから。それに中立の勢力もね」

「皇子を手中にしていれば、その皇子を皇太子に……おまけに勢力を伸ばす……ということでしょうか」

 元妃は深々と頷いた。尚書令は元妃の存在も皇太子の存在も忌々しかった。ならば、他の妃嬪を立后させようとしていた。そこで目をつけたのが寵妃である、董修儀であった。董修儀には雁門郡公の後ろ盾と豪商出身でなければ得られない莫大な財力がある。汚いことに尚書令や蘭斉はその財力にも目をつけていた。権勢と財力を見返りに求めようとしていたのである。

 董修儀は美貌と楽器の演奏、舞踏に精通していた。漢朝の皇后であった趙飛燕のような細身でありながら、才能は唐朝の玄宗の愛妃である楊貴妃を彷彿とさせると讃えれている。

 だが、皇帝は打毬(だきゅう)や狩りに随行できる元妃を愛した。北方で育った元妃は幼い頃から胡服(こふく)をまとって馬に乗ってきた。弓の腕も鍛えていた。男勝りではあるが、色白で水晶のように透き通った瞳には可憐さがあり、容姿もそれに準じていた。それから桃色の唇からは澄んだ声が発せられる。時折、彼女は北方の歌を口ずさんでいた。歳を重ねてからは瞳と容姿は可憐さというより、凛々しさに変わっていった。

「あの蘭斉なら考えるはずよ。あちら側の勢力にはめぼしい皇子はいないもの。だったら、寵愛を受けて見返りを期待できる修儀を推すわ。そこが蘭斉には気に入らないようだけれど」

「蘭斉は娘たちを皇后にさせたいでしょうからね。そのうち入内の話が出るでしょう」

「仮に蘭斉の娘たちの誰かが入内して、陛下が淳王に目をつけて養母にしたら?」

 宛国公は得意げな顔をした元妃を見つめた。彼女も蘭斉も水面下で工房を繰り広げていた。たかが、養母選びと思っていたが、そこには妃嬪と敵対勢力の闘争があったのだ。

「生母を亡くした皇子は何名かいますが、なぜ淳王殿下を?」

「安城郡侯の孫だからよ。安城郡公は人望の厚い方だし、中立の勢力では発言権があるわ。人脈を辿れば……陛下の伯母上様の……大主(だいしゅ)殿下にたどり着くわ」

 皇帝のおばは大長公主と称されるが、略称として「大主」と呼ばれる。蛇足だが、漢朝の景帝の公主でありながら、武帝の皇后の生母となった館陶公主(かんとう)太主(たいしゅ)と呼ばれた。彼女の生母の姓である「(とう)」を冠して「竇太主」と呼ぶ。

「大主殿下をこちら側に?」

「ただ、口添えをしていただければいいのよ。こちら側に引き入れるつもりはないわ」

「さようですか。元妃様、お聞きします。養母の候補はどなたでしょうか?」

 宛国公は襟を正した。元妃は沁児に目配せをして尚宮局から借りた妃嬪の名簿を彼に手渡しさせた。すると宛国公はまた白い歯を見せる。

「わたくしめを試すおつもりですか?」

「試すだなんて……宛国公がこなたなら分かるはずだわ……」

 宛国公は名簿を捲り、そこに記載されていた妃嬪の名前を指さして元妃にそれを示した。


 充媛楊氏


「しかしながら、充媛様は王貴嬪様より身分が低いではありませんか」

「こなたの権限で貴嬪に冊封するわ。それに充媛の父親には功績があるから、同時に昇任させるのよ。陛下は対になった慶事がお好きですから」

 皇太后のいない現在の後宮では元妃が副后として「皇后の印」を預かっていた。皇太后や皇后の出せる懿旨(いじ)の代わりに元妃には令旨(れいじ)と呼ばれる命令文を出せた。だが、元妃はそれを使うことはしなかった。通常の妃嬪たちがつかう「皇妃の印」を使った。

 功績を残した兄弟や父、そして祖父を持つ妃嬪を昇任させる例はある。元妃はそれに倣ったという形にして彼女を十二嬪より上位の品階に置きたかったのだ。また、元妃はこの昇任で楊充媛に戦う心構えをしてもらいたかった。元妃に従う妃嬪はいるが、彼女が信頼しているのは楊充媛だった。

「相談はこれくらいにいたしましょう。あなたは李選侍の元に向かうといいわ」

「かしこまりました。わたくしめはこれで……あ、それと……」

 宛国公は控えていた沁児を呼んで董修儀からの婚礼の品の話を耳打ちした。沁児はその場で元妃の座る席に歩み寄り、彼の言葉を伝えた。

「修儀が……調べておくわ。あと宛国公、この相談の内容は内密に」

「承知しております」

 宛国公は椅子から立ち上がり、会釈をして正殿を後にした。元妃は沁児に妃嬪の名簿を尚宮局に返すように命じた。

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