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凌霄花の毒(1)

 馮元妃のもとに太監の洪公公(こうぐんぐん)がやって来た。太監とは高位の宦官のことで、公公(ぐんぐん)とは太監たちの敬称だ。洪公公は元妃付きの太監で、彼女からの信頼もあつい。洪公公がよく通る声で彼女に告げる。

「雁門郡公夫人が孫娘の陳如真を連れて拝謁を願っております」

「客間に通して」

 元妃は洪公公に伴われて客間にやって来た。西域風の椅子に元妃が深々と座ったところを見計らって、慎ましい身なりの郡公夫人と陳如真こと陳姨娘が目を泳がせながら彼女の前にやって来た。元妃は2人を見つめると、素っ気ない口ぶりで告げる。

「呼ばれた理由は分かっている?」

 雁門郡公夫人と陳姨娘は彼女の前で跪いた。そして床につくほど(こうべ)を垂れた。あれから、静樂が元妃に瑛の謹慎の件を伝えていたのである。

「元妃様!わたくめが愚かでした!」

 そう発したのは雁門郡公夫人だった。陳姨娘はその隣で泣きじゃくっている。元妃が求めていたのは郡公夫人の言葉ではなく、陳姨娘の言葉であった。もっと言うなら瑛への謝罪である。

「郡公夫人はいつまでも孫娘を庇うのかしら?陳姨娘、あなたはこの件に関わっているのよね?」

 元妃に名指しされた陳姨娘は狼狽している。

「……わたくしめは、わたくしめは……」

「たかが郡公の孫娘が国公の令嬢に対抗しないことね。郡公夫人も信件の内容を鵜呑みにして屋敷に乗り込むとはやり過ぎだわ」

 孫娘を守りたい郡公夫人が口を挟んできた。

「お言葉ですが、潭国公夫人が茶を受け取らなかったのが悪いのです。それに元妃様は潭国公夫人を贔屓なさってます」

「名門の潭国公の正妻を贔屓して何がわるいのかしら?あなた方は董修儀に肩入れしているじゃない」

 元妃の返しに雁門郡公夫人は何も言えなくなった。確かに雁門郡公は董修儀を支持しているからだ。だが、彼女には皇子も公主もいないため立場は元妃よりも弱かった。まず、大衡国の後宮における元妃という称号は妃位(ひい)の長であり、副后のことだ。一方、大衡国の修儀とは12個に分けられた十二嬪(じゅうにひん)の1人に過ぎない。十二嬪は名前の通り定員は12人で、正二品である。修儀は5番目の地位であり、十二嬪の中では上位であった。十二嬪は以下の通りである。


 昭儀(しょうぎ)昭容(しょうよう)昭媛(しょうえん)昭華(しょうか)

 修儀(しゅうぎ)修容(しゅうよう)修媛(しゅうえん)修華(しゅうか)

 充儀(じゅうぎ)充容(じゅうよう)充媛(じゅうえん)充華(じゅうか)


 これが十二嬪である。唐朝では九嬪、宋朝では十八嬪と時代によって位階の名前も数も違う。「嬪」単体となったのは明朝や清朝のころだ。明朝は「嬪」の前に賢や荘など予め決めてある封号を「嬪」の前につけていた。定員は9人だ。一方の清朝の「嬪」は定員は6人で吉祥や人柄を表した封号を与えらていた。「嬪」は魏朝の明帝の頃に「貴嬪(きひん)」というものもあり、意外と古い名称であり高位であった。

 ちなみに大衡国の後宮には十二嬪の上に従一品の「貴嬪」、「左宮嬪(さきゅうひん)」、「右宮嬪(うきゅうひん)」が存在した。


 元妃は右手に持っていた扇を閉じたり、開いたりして雁門郡公夫人や陳姨娘の言葉を待った。元妃は自分に好意的でない者には実に冷淡だった。それは人間の持つ当たり前の感情かもしれないが、元妃はとことん冷淡になり、見下す癖があった。

「郡公夫人、これからは潭国公府にむやみやたらに立ち入ったり、首を突っ込んだりしないことね。それと、陳姨娘」

「は、はい!」

「あなたは自重することね。名門の潭国公府を汚すようなことを二度としないこと。分かったなら下がりなさい」

「申し訳ございません……もう、このような真似をしません」

 陳姨娘は嗚咽しながら誰に対してしたのか分からない謝罪をした。2人は洪公公に促されて客間から出て行った。入れ違いに十二嬪の1人である楊充媛(ようじゅうえん)が1人でやって来た。楊充媛は通りすがりの雁門郡公夫人と陳姨娘を見て首を傾げた。

「元妃様、あの方たちは?」

「修儀を支持しているものよ。あなたも気をつけるのね」

「分かりました。ですが、末端の嬪であるわたくしめには関係のない方たちです」

 楊充媛は微笑を浮かべて元妃に言った。その顔は実に美しく、三日月眉を引き立たせている。まさに莞爾(かんじ)である。そして額の菱型に描いた花鈿が白い顔によく似合っていた。

「それより、どうしたの?」

「先程、父が治水に功績があったと陛下から聞かされたのです」

「それは喜ばしいことだわ。こなたから陛下に高位へ推薦しておくわ」

 元妃は雁門郡公夫人たちには見せなかった温厚な表情を浮かべる。彼女は楊充媛を妹と呼ぶほど可愛がっていた。楊充媛は元妃のもとで後宮の規則を学んだ一人だった。元妃は楊充媛の善良で人懐っこい性格に惚れ込み、彼女を皇帝に猛烈に薦めた。

 その頃は董修儀が寵愛を賜っており、皇帝は元妃のもとにお渡りしなかった。お渡りがないのは後宮の女人にとっては致命的だ。お渡りが何回もあり、そうして寵妃になること、皇子か公主を産むこと、そして同志をもつこと、それが後宮で生き残るために必要だったからだ。

「元妃様、父は今の地位で満足していると思ます。元妃様が取り立ててくださるのはありがたいのですが……下手に妬みを買うのが怖いのです」

「あなたの言う通りね。あなたが悪意ある誰かに妬みを抱かれると虐げられるわ……」

 楊充媛は正二品の十二嬪の1人だが、その地位は末端である。元妃の言う「悪意ある誰か」とは、董修儀である。楊充媛では到底、上から5番目の修儀には敵わない。董修儀は妬みを抱くと下位の妃嬪ならば虐げ、上位の妃嬪なら陥れた。修儀に陥れられた賢妃は公主を産むも皇帝から冷遇されて白檀の香る部屋で神仏に祈りを捧げる日々を過ごしていた。また、最下位の采女に至っては生命を軽視するように虐げた。

「わたくしめは幸薄いため今の地位を賜れただけでも幸運です」

「まだ、上の地位がある。それを目指すのよ。あなたのように善良な妃嬪が後宮には必要よ」

「多くは望みません……元妃様に目をかけていただいているだけで光栄です」

 元妃は健気な楊充媛の白い手を取り、優しく握った。充媛もそれに応じるように握り返した。

 楊充媛は工部(こうぶ)の下級役人の娘で15歳で選妃されて入内し、2年ほど元妃の殿舎で後宮の規則を学んだ。そして正四品の「美人」に冊封された。(工部とは建設や治水、屯田を監督する部署)

 楊充媛は元妃の推薦もあってか、皇帝は何度も彼女を御前に仕えさせた。美人から正三品の婕妤(しょうよ)まで何の妨害もなく昇進を重ねていった。婕妤になった初めの冬、懐妊するも子どもは無事に産まれなかった。

 元妃は極秘にその原因を調べた。すると董修儀と親しい妃嬪の1人が彼女に差し入れした薬草に少量の附子が紛れていたのだ。その妃嬪を訪ねると既に手が回っており、死人に口なしだった。

 それから楊充媛は妬みを買うのを恐れて、お渡りをやんわりと断り、御前に仕えることもしなくなった。元妃は彼女への慰めになればと思い、皇帝に願い出て彼女を「充媛」に冊封してもらったのである。

「あなたのその性格は美徳だけれど、子どもが無事に産まれなかったのは、身分がなかったからよ?こなたが後ろ楯でも子どもは守れなかった。十二嬪だけれど、昭儀くらいにならないと皆は平伏しない……特に修儀には気をつけるの。あの女は外見は美しいけれど心は悪辣よ」

「はい……わたくしはもう寵愛も見込めませんし、誰かと戦う気持ちにはなれないのです。身分が高くなり元妃様をお助けしたい気持ちもあります。ですが、怖いのです」

 楊充媛の泣き出しそうな悲哀のこもった表情に元妃の心は締め付けられた。

後宮については勉誠社出版の「東アジアの後宮」を参考にしております。

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