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紫の繍球花(6)

「公爵様、潭国公府に行った帰りに雁門郡公府にも足を運びました。何やら、お嬢様は雁門郡公夫人と何かあったようです。また、陳姨娘から雁門郡公夫人へ信件が送られてきたそうです」

 宛国公夫人はしなかった怪訝そうな表情を浮かべる。そして宛国公と同じように宝海の言葉を待った。宝海はその様子を見て話し出した。

「国公夫人であるお嬢様に郡公夫人が楯突くことは考えられません。ただ、潭国公の妾である陳姨娘が実家に信件を出したのが起因かと」

 その言葉に宛国公夫人は憤りを覚えて、会ったことのない陳姨娘の髪を掴んで引きずり回したいとまで思った。彼女に言葉を荒らげて宛国公に言った。彼は冷静にそれを受け止めた。

「今すぐ潭国公府に!」

「待つんだ。吏部尚書からの返事を待ってからでも良いだろう 。夫人もそう申したではないか。それより、今は瑛のことを考えよう。宝海、ご苦労だった」

「いいえ。仕事をしたまでです。失礼します」

 宝海が書斎から出ていくと宛国公はぬるくなった緑茶を一気に胃へ流し込んだ。乾いていた唇が潤う。宛国公夫人は黙って俯いていた。

(雁門郡公夫人は陳姨娘から信件で何か聞いたんだわ……その何か……)

 一刻ほど過ぎた頃だ。侍女の胡氏()、通称「胡ばあや」が晴れ晴れとした表情で書斎に入ってきた。そして2人に弾むような声で告げた。

静樂小主(しょうしゅ)がお見えになっております!」

 小主とは妃嬪の敬称だ。静樂に小主を使うのは妥当かどうかはさて置き、2人は顔を見合わせて感極まった。2人は静樂に会うために客間へと向かった。胡ばあやは涙を流しながら、2人の背中を見つめる。

 客間には侍女たちに囲まれた静樂が人形のように身動ぎもせず座っていた。色白で桃色の頬、三日月眉、そして双髻に結い上げた髪には月季(コウシバラ)の造花が飾られている。薔薇色の着物を纏った15歳の彼女は少し大人びて見えた。

 宛国公夫人は客間に入るなり、彼女の前で膝を折って額を床につけるほど深々と頭を下げた。その姿に静樂は驚いてしまった。宛国公夫人は泣きじゃくりながら彼女に何度も何度も感謝を述べた。静樂が座りながら手を差し伸べると宛国公夫人は頭を上げた。

「静樂小主、お越しいただき誠にありがとうございます!」

「潭国公府は元妃様……お義母様とわたくしの大事な実家になりますし、それに潭国公夫人は再従姉妹(はとこ)ですもの。それに太子宮への入内は皆様のご尽力のお陰ですから、いつでも力になりますわ」

「小主……」

「宛国公夫人、お話を聞かせてください」

「実は、娘が潭国公府で雁門郡公夫人と揉め事を起こして謹慎になってしまったのです。国公夫人の手前、郡公夫人は折れるべきです」

「揉め事?何が原因なんです?」

「探らせたのですが……潭国公の妾である陳姨娘が原因ではないかと……」

 静樂は少し考えてから小声で言う。

「潭国公夫人と陳姨娘から話を聞いた方が良さそうですね。わたくしが潭国公府に赴いて潭国公夫人の謹慎は解けるでしょうか?」

「小主、これは一か八かなのです、お力をお貸しください。将来の皇妃様がいらっしゃるのは潭国公には名誉です。しかし、そのお方を正妻ではなく、妾が饗応(きょうおう)すれば……正妻の瑛が何故、世話をしないのか噂になります。潭国公は正妻を謹慎したと憶測が広がって、名声は地に落ちます。潭国公はそれは避けたいと考えるでしょう」

 藁にもすがる思いで宛国公夫人は静樂に頼み込む。

 静樂はその気迫に負けたのか、すぐ側に控えていた侍女に耳打ちをする。侍女は小さく返事をするとそそくさに客間から出ていった。静樂は手を膝の上に重ねて、宛国公夫人を真っ直ぐな瞳で見つめた。

「宛国公夫人、潭国公と縁組はお義母様の肝いりでしたが、このような結果になってどう思われていますか?」

「正直に申し上げますと、ここまで董修儀様の妹君たちが手強いとは思っておりませんでした。正妻になれば、全ての妾たちが従うと考えていたわたくしめが甘かったです」

「お義母様もそうでしょうね。寵愛を得ている董修儀様は、お義母様を軽んじています。お義母様は元妃とはいえど皇后ではないから……修儀様はその座を簡単に奪えると思っているのかもしれませんね。潭国公夫人の場合は正妻ですから、他の妾たちは簡単にその座は奪えません。それに董修儀の妹君が正妻のように振舞っていた……だから、反発が強いのでは?」

 静樂は少し考えてから、優しい口調で宛国公夫人に囁くように言った。宛国公夫人はその通りだと思う。潭国公府には董蓉という絶対的な存在があった。

 そこに正妻として瑛が入ってきたら、正妻のように振舞っていた董蓉は瑛を快く迎えることは出来ない。今までお屋敷での地位が崩れて、しかも瑛が嫡子を産めば息子の生母という地位も危うい。そんな董蓉の頼みの綱は姉の董修儀を支持する一部の貴族と女官、そして雁門郡公だ。

 董蓉と陳姨娘が潭国公に嫁いだのは、元妃の立后を牽制するためである。董蓉は姉の董修儀を潭国公に支持させて、修儀を立后させるためだ。雁門郡公は元妃の立后に反対していた。彼女の祖父である馮毓(ふういく)が大衡国以前の王朝の血を受け継いでいたのが理由でもあった。その馮毓は大衡国建国後に潭国公の爵位を賜った後に粛王(しゅく)に封じられた。それから馮一族は権力を持つようになったのだ。ただ、雁門郡公や金城伯(きんじょうはく)、大臣の蘭斉(らんせい)らは馮一族にこれ以上、権力を持たせないために元妃を立后させたくなかったのである。だが、宛国公は元妃の立后を推し進めていた。宛国公は元妃の息子である舒王(じょおう)の立太子にも助力している。その宛国公に報いるために、また自身の立后への力添えと皇太子の後ろ盾を続けてもらうために甥の潭国公に瑛を娶らせたのだ。このような様々な思惑を持った人々が潭国公府に集まってきたのである。

 客間に先程の侍女が戻ってきた。侍女は伏し目がちに静樂の目の前に歩み寄ると落ち着いた口調で告げた。

「潭国公府に遣いを出したところ、今日は潭国公の弟君がお迎えする日で小主を十分、おもてなしできないそうです」

「どうやら、潭国公はわたくしに来てもらいたくないようですね。正妻と差配役の妾がいるのに手が回らないのかっと、尋ねてきなさい」

「はい」

 また、侍女が客間から出て行った。


 そのころ潭国公では、馮昕と鮑氏を静心院(せいしんいん)へと迎える準備が大詰めになっていた。使用人たちにてきぱきと指示を出し董蓉の元に陳姨娘の侍女、緑袖がやって来た。

「少々、よろしいでしょうか?」

「何?忙しいのが分からないの?どうしてもというなら手短にしてちょうだい」

「秦姨娘が奥様と接触したそうです」

「どういうこと?謹慎中の奥様がどうやって秦姨娘を呼んだの?それに侍医の娘に何ができるのよ」

「今、秦姨娘を連れてきております。直接、尋問しては?」

 侍女の紅袖(こうしゅう)に連れられて秦姨娘が董蓉の前に現れた。秦姨娘の着物は泥で汚れている。董蓉はその姿に鼻で笑った。

「秦姨娘、その格好は?」

「……」

「答えたくないの?わたくしは奥様とは違うから何でも言っていいのよ」

「……」

「秦姨娘、取引を止めてもいいの?」

「か、構いません」

 董蓉は鳩が豆鉄砲をくらったような顔をした。彼女は秦姨娘に取引の話を持ち出せば、何でも言う事をきくと思っていたからだ。

「急にどうしたの?」

「取引は結構です。もう行っても?」

「秦姨娘、あなた……奥様から何か言われたの?」

 董蓉の言葉に秦姨娘は特段、表情を変えなかった。その様子に董蓉は軽い苛立ちを覚えた。今まで従順だった犬が急に自我を目覚めたように、何だか反抗をしているように感じた。

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