077 貧民区3
――野津颯也。境天寺学園3-Aの生徒で失踪していた一人でもある。
学園では野球部のキャプテンを務め、コーチもいない無名校を地区優勝にまで導いた生徒の間ではそれなりに有名人らしい。
そういえば野球部が地区優勝した際に、その立役者でもある生徒のことを先生たちも褒めたたえていたが、それが目の前に重傷で寝かされている彼のことらしい。
体中の斬り傷は包帯で覆われているが、それを余すとこなく赤黒く染めている出血量がその傷の深さを物語る。
襲われた傷跡が痛むのか、ときより弱々しいうめき声が漏れる。
「医者には見せたのか?」
「おいおい、まともな医者がわざわざ貧民区の住人を診てくれるわけねえだろ」
この世界では医療があまり発達していない。
魔力というエネルギーが存在するおかげで、元の世界に比べて身体は丈夫になり、傷の治りも早いからだ。
その上、仮に重症者がでたとしても傷や病気を治せるというスキルまであるものだからそれらに頼り切りになっている。
もちろん他者を治癒できるスキルは希少ではある。
治癒スキルを持つ者は引く手あまたで、必然的に治療費もつり上がっていく。
そのためにわざわざ報酬を得られるかも分からない、素性すら怪しい人間の治療は引き受けてくれないらしい。
「そうは言っても、あんたらだって全く医者に掛からないわけじゃないだろ」
マフィアなら荒事も少なくないだろうし、全く病気にならないわけでもない。
闇医者だろうがなんだろうが、いざという時の伝手はあるはずだ。
「それこそ無理ってもんだろ。確かに医者の伝手くらいはあるがな、俺らに関わるだけのメリットがなきゃ治療なんざしてくれねえんだよ」
つまりは正規のものよりも金がかかるということだ。
マフィアなのだから脅して治療させるという手もあるだろうが、逆に命を握られてもいるわけだから普段から金銭という信頼関係は築く必要がある。
「新入りにそんな金のあてはねえだろうし、新入りのために大金を肩代わりしてやるほどマフィアは優しくねえ」
吐かれた言葉は少しだけ自重じみて聞こえた。
ガイウスがマフィアの中でどのくらいの地位なのかは分からないが、ガイウスもここにいる他の怪我人もその辺の境遇は同じということだろう。
「先生、どうしたら……」
「治療しようにも、私たちじゃ大したことはできないものね」
三嶋と矢早銀が不安気に言う。
いくら医療の発達した世界にいたとはいえ、専門知識を習熟していない俺達ではその技術を再現することもできない。
俺も学園で働くにあたって、熱中症の時の応急処置だったりAEDの使い方くらいは研修を受けているが、この状況で使えるようなものではない。
「すまないナナエ。私たちも治療を受けさせられるだけの手持ちは無いんだ。付けが利くほどこの街の医者に信用を得られているわけでもないしな」
「いや、ノエルたちが気にすることじゃないさ。どちらかと言えば、俺達の不甲斐なさが招いた事態だからな」
無論、三嶋や矢早銀のことではない。
俺や他の先生たち、大人という言い方もできるかもしれない。生徒たちの保護・監督責任のある立場の人間だ。
異世界転移という非現実的で超常的な事態だった。だからと言って、いやそれゆえに、生徒たちの行動はもっと目を配っていなくてはいけなかった。
「なんだ、新入りがお前らが探してたっつう奴だったのか」
「まあその一人ではあるんだがな。まさかこんな事態になってるなんて……」
生徒を守れなかった自分の不甲斐なさと生徒を襲ったという不審者への苛立ちが綯い交ぜになり、胃が軋むように息苦しさを感じる。
「俺らだって好きで新入りを見殺しにしたいわけじゃねえ。確かに傷は深いけどよ。それよりも傷の治りがやけに遅えし、衰弱も激しい。これでもやれるだけの手当はしたんだぜ。でも弱る一方でよ、俺らにはこれ以上なにもできねえんだよ」
怪我人の男が苦い顔で吐露する。彼らも傷を負ってまで野津のことを助けようとしたのだ。
それにしても傷の治りが遅い、か……。
俺たちの感覚では傷の治りの早さもくそも無いくらいの傷なのだが、この世界には魔力という超常的なエネルギーがある。
俺にはまだその度合いは分からないが、彼らの見立てでは医者なしでも一命を取り留める程度の負傷ではあったようだ。
「治癒能力が低いというのは、魔力が上手く巡っていないからかもしれないな。稀に魔力障害という病に侵されたものはそういう状態になるらしいが、ナナエたちの知り合いということは――」
ノエルがそこで言葉を切る。俺達の素性を明かさないためだろう。
この世界に生まれた生き物は、生まれながらにして魔力を宿し、魔力が体中を巡っている。
だが俺達はこの世界に来て1ヶ月ほどだ。この世界の住人と比べれば魔力の扱いも流れも拙いはずだ。
「魔力がちゃんと流れていれば治るものなの?」
「傷の度合いは少し酷いから完治には時間もかかるだろうが、少なくともこれほど衰弱はしていなかっただろうな」
『能力向上』によってかすり傷程度なら見る間に治っていく姿は、俺達もこの異世界生活の中で何度か見たことがある。
俺たちも魔力操作の練習を続けているが、こうした怪我のことを考えればもっと重点を置いても良いかもしれない。
「うーん……、魔力の流れかぁ……」
「三嶋、どうした?」
「この前みたいに先生が魔力を流し込んだら少しは回復したりしないんですかね」
この前と言うのは、三嶋のスキルを俺が発動できるか試した時のことだ。
あの時は三嶋の『固有回路』や魔力の流れがあまりにも複雑で断念したが、『通常回路』に魔力を流すだけであれば、他人のスキルを発動させるよりも容易だ。
あとはそれで回復するのかどうかと言うことだが。
「ふむ。魔力の流れが正常になれば多少は体力が戻るかもしれないな」
「このまま何もしないよりは良いんじゃない。他人が魔力を流し込んでも害がないことは工平で試してあるし」
「矢早銀さん。それだとまるで僕が実験体みたいなんだけど……」
試してみる価値はあるか。
いや現状、俺にできることはそれくらいだ。