065 縫条正義と奴隷商3
セイギ様が箒を力一杯に振り下ろします。
私は思わず目を背けてしまいましが、耳に届いたのは想像していたような鈍い殴打の音や女性の悲鳴ではなく、ペチッと言うなんとも弱々しい音でした。
恐る恐る視線を戻してみると、魔猫族の男性が殴りつけられた箒から相手を庇うように腕を伸ばしていました。
「おい旦那。どういうことだ?!」
「言ったであろう。吾輩は暴力とは無縁だった故、本気で殴ろうともこの程度しか威力は出ないのである」
「そういうことじゃねえっ!! 何で盲目のはずのこの奴隷が旦那が振り下ろした箒に反応できてんだ。今殴りかかったのは旦那が宣言していた醜女とは逆隣のさっきのガキの方だったんだぞ」
奴隷商人の言う通りです。先ほど狙うと言っていたのはこちらから見て、魔猫族の男性の右側に並んでいた痩せぎすな片腕の無い女性だったはずです。しかしながらセイギ様は左側の子供へと箒を振り下ろしました。
にもかかわらず、魔猫族の男性は的確にその子供の方を庇っていたのです。
「それは猫耳さんが盲目ではあっても、見えないわけではないからであろう」
「あん? そりゃあ、熟練者が相手の気配を感じ取るってやつか?」
「いや。もっと明確に見えているはずだな。そうであろう、猫耳さん」
「……。なぜわかった?」
魔猫族の男性が低い声で尋ねます。
落ち着いていますが、どこか警戒を孕んだ声色です。
「なに、猫耳さんが周囲のことが見えているように、吾輩には相手の才能が見えているだけのことである」
「才能が見える……、か。確かに俺はスキルのおかげで周囲の状況を見ることができる。皮肉なことだが、目で見ることができるそれよりもよほど正確にな」
「おいおい、そんなスキルがあるなら盲目だろうと下級奴隷にはならなかっただろ」
「言うつもりがなかったからな。戦いに敗れ、奴隷に落とされて、そんな身で力をひけらかしてまで無様に誰かに尽くすつもりはない」
意志の強い言葉でした。
武人の矜持とでもいうのでしょうか。たとえ決して良い扱いはされない下級奴隷になったとしても、何のために力を使うかは曲げないという。
子供を庇おうとしたその行動が、彼の矜持の答えなのでしょう。
「しかし旦那。何でわかったんだ。あのジジイのこともそうだ」
「言ったであろう。吾輩には見えていると」
「こいつらのスキルが見えるってことなのか? 馬鹿な、そんなこと――、」
「ではもう一つ。先ほど奴隷商殿はそこの女性のことを醜女と評していたと思うが、もう少し具体的にはどう見えている?」
セイギ様が妙な言い回しをします。
その言葉を聞いて、当の女性の肩がピクリと動いた気がしました。
「どう見えるって。そのままだろ。顔はデキモノだらけで、鼻は折れ曲がって口の形も歪だ。体は骨が浮き上がるほどやせ細っていて、それにまとわりつく髪は伸び放題で脂ぎっていて不潔感しかねえ」
「なるほどな。ユキは……、説明はできないだろうが、奴隷商殿と同じ意見か?」
いきなり話を振られて驚きましたが、私はその言葉にふるふると首振ります。
確かに痩せぎすではありますが骨が浮き出るほどではありません。奴隷商人が言っていたような顔のデキモノや特徴も無いですし、何より一番目のいくはずの先の無い左腕への言及はありませんでした。
奴隷商人はそんな私の返事に怪訝な表情を浮かべます。
「では、タヌ坊はどうであるか?」
「えっと、それって僕のことですか......? えっとえっと、お姉さんは、なんだか昔僕に意地悪ばかりしてきたトーヤくんにすごく似ている気がします」
「トーヤくんと言われてもなあ」
「いや、重要なのはそこではあるまい。トータくんということはタヌ坊には男の子のような見た目に見えているということであろう。つまりこの女性は見る人によって見え方が異っているということである」
「なんだと? いや確かに、そうなのか……?」
「ふむ、相手の自分への認識を変えることができるスキルなのか。おそらく今は相手が忌避するような見た目といったところか。まあ奴隷の女性、しかも見目が整っているのであれば、その対応もうなずけるかもしれぬな」
「はあ? 見目が整っているだって?」
奴隷商人が怪訝にしていた顔をさらに歪ませてセイギ様を見ます。まるで信じられないものを見るようです。
セイギ様の言う通りのスキルだっとしても、それじゃあ、セイギ様には忌避するような見た目には見えていないのでしょうか?
「フフフ。バレちゃったのは少し困っちゃうけれど、私を買うのがお兄さんなのならば悪くはないかな」
今まで黙っていた女性が艶のある声で言いました。
その瞬間、女性の姿が蜃気楼のように歪み、そして本来の姿が目に映ります。
その姿は奴隷商人が言っていたようなものとも、私が先ほどまで見えていたものとも全く違います。
綺麗な薄桃色の髪に琥珀色の瞳。頭から垂れ下がっているのは髪色と同じ大きなウサギ耳です。
しなやかな身体の線は立っているだけでも視線を吸い寄せられます。
最初に上のお店で見た上級奴隷とも遜色のない、いえこちらの女性の方がよほど魅力的に見えます。
「こりゃあ、たまげたな。これだけの器量があれば上級の中でも高値で売れるだろう」
「それを避けるために偽っていたのだろう。ここですら誰にも買われることがないようにな」
自分が誰かに買われないために姿を偽っていた。魔猫族のスキルの件といい、セイギ様が選んだ奴隷たちは一癖も二癖もある人たちの様です。
「さてと、ここからが本題なわけであるが」
セイギ様が一度言葉を切って、奴隷商人に提案します。
「吾輩と取引をせぬか?」