幕間014 銀級の調教師
「くそったれがっ! いったい何なんだあいつは!!」
サウールから西へ馬で一日ほどにある険しい山岳地帯。その裾野の岩場に隠れるように建てられた小屋に、入るやいなや男が悪態をついた。
小屋の中にいた人相の悪い4人の男たちが、小屋に入ってきたその男の様子に眉を顰める。
小屋にいた男たちは元冒険者だった。素行が悪く、後ろ暗い任務を受けることも少ないために冒険者組合から資格は剥奪されている。それでも皆が銅級以上の実力者である。
そして小屋に戻るなり悪態をついてドスッと乱暴に椅子に座りこんだのは、王国でも数人しかいない銀級の冒険者だ。
「おいおい、えらく荒れてるじゃねえか、銀級さまがよぉ」
「はん。その肩書ももう失っちまうんだがな。それが惜しくないほどの報酬が頂けるはずだったってのに。聞いてねえぞあんなもの」
「なんだなんだ。一人で余裕だっつうから任せてやったのに。まさか失敗して逃げ帰ってきたのか?」
「うるせえ、あんなバカげたもん誰が予想できるってんだ」
苛立ちを机に叩きつける。
男は銀級と言うにふさわしい実力を持っている。しかし、本来なら周囲からの信用も待遇も申し分ないほどの実績と肩書であるはずが、男のスキルのこともあってそれほどの栄光は望めなかった。
『調教師』。動物や魔獣さえも操ることができるそのスキルは長い歴史の中でも人々から蔑まれるものの一つだ。
効果自体が他よりも劣っているというわけではなく、魔獣を操るというイメージや本人自身が強くなるわけではないということがその理由だ。事実、男は歴戦の猛者ぞろいである銀級に肩を並べているが、冒険者組合からも依頼人からも、決して良い扱いは受けてこなかった。
報酬は足元を見られ、斡旋される依頼は他の冒険者が忌避するようなものばかりだ。
「だからこそ鬼人の国のお偉いさんの依頼を受けることにしたというのに……」
ギリギリと奥歯をかみしめる。
非公式な暗殺依頼など受けて今後冒険者として生きていくことはできない。それでも良いと思えるほどの報酬と人脈を得られるからこそ引き受けた依頼だ。
他の男たちも同じだ。確かな実力はあるが皆が皆、いつ衛兵につかまってもおかしくないくらいには前科を重ねている。ならばと、この国での居場所を完全に捨て、冒険者組合も下手に手を出せない鬼人の国で傭兵として高みを目指すのも悪くないと考えたのだ。
だがそれも予期せぬ魔術師によって計画は大きく狂った。
最初は様子見も兼て差し向けたビッグマウスウルフとアームストロングベアが、何者かの超魔術によって全滅させられた。
その時は運悪く実力者の冒険者でも通りかかったかと考える程度だったが、依頼人の手回しで鬼人を森で追い込んだ時にまたその魔術師が現れた。
依頼人から鬼人たちが持つ厄介なスキルのことは聞いていたので、クレイジーモンキー4体に加えて他にも奥の手の魔獣を森に潜ませていた。
それを、その魔術師――鬼人と一緒にいた黒髪長髪の男が、潜ませていた魔獣もまとめて森の一帯を吹き飛ばした。
「なんだあの魔術は。あんな威力の魔術、銀級でも見たことないぞ」
手ごまの大半を失った苛立ちに歯噛みするが、すぐにいやらしい笑みへと変わる。
「まあいい。いくら規格外の魔術を使うといっても街中では使えまい」
「つまり、俺たちの出番というわけだな」
調教師の男の言葉を、ひときわ体のでかい男が引き継ぐ。
他の男たちも追従するように気勢を上げるが、しかしそれも予期せぬ訪問者によって遮られた。
「さすがはお姉ちゃんねぇ。情報通り来てみたらお仲間も含めて勢ぞろいなんて」
音もなく扉から入ってきたのは修道服の女性だ。
一般的な修道女と異なるのは脚に大きく入ったスリット。そこから覗く滑らかな肢体が目を引く。女性的な体つきも含めて邪な欲望を向けられることも少なくはない。
しかしこの場にいるのは、荒くれものとはいえ冒険者の基準で言えば銅級以上の実力者たちだ。そんな彼らが、その女性が腰に携える二本の細剣と胸元に光る銀色のプレートの意味を知らないわけがない。
「修道服を着た銀級の双剣使い……銀聖シルビア……!?」
銀聖。その名は冒険者組合でも有名な実力者の一人だ。
他の男たちもその名はよく知っている。おのずと緊張感が張り詰め、男たちは武器を構える。
そんな男たちの様子を意にも介さずシルビアが双剣を上下に振るう。
調教師の男がかろうじてその太刀筋を目で終えたのは、腐っても銀級という実力の裏付けかもしれない。それでもその剣閃から放たれた銀色の筋には反応できなかった。
直後、後ろにいた二人の男がうめき声と血しぶきを残して倒れた。
享楽的な笑みをこぼし、シルビアが次々と双剣を振るう。
そのたび高速で放たれる銀色の筋が、あたりの家具も男たちも切り裂いていく。
直接戦闘は得意としない調教師の男だったが、それでも銀級に成り上がるほどには修羅場もくぐってきている。
真正面から相対せなくとも逃げに徹することで周に飛び交う剣閃から逃れていた。身体の大きい男を盾に銀色の筋を防ぎ、無様に転がりながらもシルビアの脇をすり抜けて出口へとたどり着いた。
外にはシルビアに敵わないにしても多少の魔獣を潜ませている。そいつらをけし掛ければ時間稼ぎくらいはできるだろうと逃げるための算段をつける。
しかし、淡い希望にすがり戸口を抜けようとする調教師の男の耳に、その声が終わりを告げた。
甘く、綺麗な、そして暗い声が囁く。
「――曲解」
その瞬間、直線的に飛び交っていた銀色の筋が、まるで光が鏡に反射するように進行方向を屈折させる。シルビアから放射状に放たれた銀色の筋は、一転して調教師の男へと集中的に降りそそいだ。
男が最後に見たのは、ゆっくりと宙を回る視界。そして、崩れていく自分の身体だった。