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050 ノエル2

 感情は自意識があって初めて生まれるものだ

 自分という個を認識して、そこから自分自身へなのか他者へなのかはそれぞれだが、自己から何かへの一方的な要求だ。

 ノエルは湧き上がる怒りも憎しみもノエル自身のものではないというが、エネルギーであるしかない魔力が新たに生み出せるようなものでもない。


「なあ、ノエル。人が生きていてそういう感情をまったく感じないなんてことないだろ」

「それは、そうかもしれないが……」


 さすがに少しは心当たりはあるようで歯切れ悪くも認める。

 ノエルがどんな人生を歩んできたかはわからないが、命を狙われるくらいには波乱に満ちている。そんな中で、ずっと怒らず恨まずなんてことはないだろう。

 それが誰かに対するものなのか、境遇に対するものなのかはわからない。それでも自分のものではないと言うのは、それだけその感情を押し込めてきたからだろう。

 どんなに腹ただしくても、どんなに恨めしくても、それを他者にぶつけない様に必死に抑え込んで生きてきたのだろう。


 それは別に悪いことじゃない。誰もが感情のままに振る舞ったらそれこそ社会が成り立たない。

 だからこそ、みんな意識的にせよ無意識にせよ。そんな負の感情を抱いては、我慢して、見ないふりして、忘れたりして生きているのだ。

 ただし、その想いは完全に消滅するわけではない。

 何かのきっかけで不意に思い出すことも、いきなり爆発することもある。


 仕事でもよくあることだ。

 忙しくて心の余裕がなくなれば些細なことにイラついたり他愛もないことが恨めしくなったりな。

 デスマーチの中に突然発狂するやつも失踪するやつも、まあ見慣れたものだ。


 弱っていればネガティブな感情が揺れ動かされるし、陽気に酔っていれば楽天的な感情があふれ出す。

 悪鬼羅刹。そのスキルは怒りや憎しみのような暴力的な負の感情に影響を及ぼすのだろう。

 スキル発動者が持て余すほどのエネルギーが身体を駆け巡り、日頃抑えていたはずの感情さえ表層に引き上げ、昂らせ、爆発させる。


 ノエルがどんな怒りを抑え込んでいたのか。どんな憎しみを押し込めていたのか。

 その矛先をノエル自身が分からないから、爆発した感情が無差別に暴力を振るうことになるのだろう。


「負の感情と言ったが、その根本までが負であるとは限らないだろ。その怒りは誰のためなのか、お前が憎しみを抱いたのは何故なのか。そこにはきっと大切な何かがあるはずだ」

「大切な何か……。そんなもの、本当にあるのだろうか。あの醜い感情が私自身のものだったとしても、その根幹にそんなものはあるのだろうか……」

「まあいきなり言われてもわからないだろうさ。それはきっと、ノエルがずっと抑え込んできたものなんだろう。なら、ゆっくり少しずつでも考えていけば良い。気持ちに折り合いをつけて、またそのスキルと向き合えば良い」

「……それでも。それがわかったとしても。向き合ったとしても。それでもその感情に飲み込まわれてしないかわからないじゃないか。また二人を、大切な人を傷つけるのが怖いんだ」


 絞り出した声は震えている。

 不安と恐怖に必死で耐えているのだろう。それでも必死に耐えてでも先に進まなければならないと、声を振り絞っている。

 そんなノエルの姿が、心臓をきゅっと冷えた手で握られたような苦しさを感じさせる。

 自然と、言葉が出た。 


「それならしばらくは俺が手伝ってやるよ。暴走しそうになっても、さっきみたいにすぐに止められるなら安心だろ?」

「それは……。どうしてだ、どうして……」


 昨日今日出会った相手が手助けしようといっても不思議に思うだろう。

 スキルのことで今まで誰にも頼れなかったのならなおさらだ。

 それでも、俺はこの子のことを放っておけない。それが教師としての矜持だといって良いのかはわからないが、いや少しくらい嘯いても良いだろう。


「まあなあ。これでも先生の端くれだからな。若者が悩んでいたら助けたくなるんだよ」


 少しばかり年寄りくさい言い方になったが、それが素直な気持ちだ。

 ノエルは何かをこらえるように足元を向いている。俺からはつややかな黒髪と魔獣の攻撃でひび割れたのだろう欠けた鬼面しか見えない。

 不意にその鬼面のヒビが広がった。そう思ったときにはパカリと鬼面が割れてしまった。

 ノエルが落ちた鬼面を拾い、割れた傷を慈しむように撫でる。


「壊れてしまったな。大事なものだったのか?」

「そうだな……。いや、大事だと思い込みたかっただけだ。必要なものも大切なものも、本当はこんな鬼面では守れないのにな」


 少し寂し気で、しかしどこかスッキリとした声で答える

 ノエルが顔を上げて俺を見る。

 初めて素顔を見たが、想像していたよりも幼さのない女性の顔つきだった。すらっとした鼻梁に桜色の薄い唇。氷を切り裂くような切れ長の目が彼女の美貌を際立たせる。


「私はこのスキルと私の中の感情と向き合ってみようと思う。だから、ナナエ。もし私が負けそうになったら、また助けてくれるだろうか」


 不安を飲み込むように言葉を紡ぐノエルに、わざと演技がかって胸を打ってみせる。


「おう。任せとけ」


 おどけた俺の姿に少し目をまるくしたかと思うと、可笑しそうに微笑んだのだった。


「ふふっ。そうか、ありがとう」

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