049 ノエル1
悪鬼羅刹。その物騒な名前のスキルは鬼人族の中で稀に発現するスキルだそうだ。
スキルの特長は絶大な身体能力を得ること。それはクレイジーモンキーとの戦いを見ていてもわかる。上から横から様々に繰り出される攻撃を見事に躱していた。
さらに特筆すべきはその攻撃力で、あらゆるスキルの中でも最強クラスだと言われているそうだ。
「聞いてる限りかなり優秀なスキルに感じるんだが」
「ああ、記録にある限りその性能だけをみれば素晴らしく優秀だ。ただし、このスキルには重大な欠点も存在する。いや致命的な欠陥と言うべきか」
鬼面の子――、ノエルの声が陰る。
それはとても重苦しく、そしてどこか悲し気にも聞こえる。
「このスキルは発動すると魔力の激流が身体を駆け巡る。そして最後にはその魔力によって身体の内から壊れてしまうのだ。さらに厄介なのは、このスキルが思考さえも支配するということ。感じたこともない憤怒と憎悪が暴風雨のように感情を侵して、見境のない狂戦士となってしまう」
確かにあのときの魔力の高まりは凄まじかった。
あの魔力を制御できず奔流のままでいれば術者自身も無事ではすまないだろう。
「過去に悪鬼羅刹を発現させた者もみんな例外なく、だれにも止められない狂戦士となって敵も味方も関係なく狂気を振るった。そして最後には彼ら自身も――。仲間を殺してしまった罪悪感に、それでも消えぬ破壊衝動に、精神も肉体もずたずたに引き裂かれて死んでしまった。私も同じだ。あの日、二人を傷つけたことをいくら後悔しても。このスキルはいつまでも私の中にあって、そしていずれは先人たちのように狂気に飲まれて同じ末路をたどってしまうだろう」
悲痛に語る。
それだけ悲惨な歴史の中に立っているのだろう。
最強であり最凶となるスキル。発現すれば最後、その強すぎるスキルは制御することはかなわず、自身をも飲み込みこんで最悪をもたらす、か……。
「……うん? なあ、ノエル。そうは言っても、最初の方は制御できてなかったか?」
「それは、言われてみれば、初めてスキルが発現した頃よりは意識を保てていたかもしれないが。それでもあれ以上魔力や感情が荒ぶると、やはり耐えられはしないだろう」
スキルの効果として端から制御不能というわけではないらしい。
魔力の高ぶりがほどほどの時は制御できて、さらに激しくなると制御できなくなるということは、単純にその激しくなった魔力の流れも制御できるようになれば良いだけじゃないだろうか。
「簡単に言うな。あれ程の魔力を制御するなんて」
「そうか? ノエルの能力向上もかなり精度が高いそうだし、いけると思うんだけどな」
俺のスキルは『なんか魔力をうまく扱えるみたいなやつ』なので、魔力操作に関してはそこそこに上手いと思っている。
それでも『能力向上』となるとまだまだ魔術ほど上手くできない。
身体が柔らかいというだけでバレエが上手く踊れるかと言えばそうではないだろう。どれほど優れた体を持っていても、その身体の動かし方やリズム感など身に付けなければいけない技能は色々ある。
魔力も同じだ。どこにどう魔力を巡らせば良いのか、それは身体の動きによって変化させるべきなのか、その最適解は……。それらは日々の鍛錬や経験を経てようやくたどり着くことができるものだ。
ノエルの『能力向上』は俺のそれとは比較にならない精度だ。
戦闘種族だと言う鬼人族の中で、スキルを使わずに生きていかなくてはならなかった。そのためにどれだけの修練を積んできたのか。
他の鬼人たちがスキルで強化していく中で、『能力向上』だけでついていくために。誰よりも、何倍もの努力を重ねたはずだ。
それは無駄ではない。
『能力向上』は術式自体を理解しなくて良いスキルと比べて、より効率をより効果を生むように魔力を制御しなければ大した性能にはならない。
だからこそ、あそこまで『能力向上』の効果を高められるほど魔力を制御できるなら、『悪鬼羅刹』というスキルで荒くれている魔力も制御できるようになると思うんだが。
「理屈ではそうかもしれんが……。だが悪鬼羅刹は魔力の暴走だけではない、絵もしれぬ怒りや憎しみが抑えきれないほど湧いてくる。そんな状態であの魔力の制御などできるはずが……」
たしかに魔力の制御には相応の集中力を使う。それがあれほどの魔力の奔流となれば、抑えられないほど感情を高まらせたままだと難しいかもしれない。
ただ、それに関しても気になっていたことがある。
「それは、ノエルが自分の感情に折り合いをつけられていないからじゃないのか?」
「なん、だと……。私は、あんな感情を抱いた覚えはない!」
そうとう不本意だったのか、ノエルが声を荒げる。
認めたくないのもわかる。誰彼構わず周囲全てに叩きつけてしまうほどの怒りと憎しみ。そんな狂気が自分のものだとは認めたくないだろう。
俺もその感情のすべてがノエルの本性だとは思わない。昨日会ったばかりだが、少なくとも素で狂戦士然とした人物には見えないし、ヴォルフガングとエリアーヌのことを大切な存在として扱っているのもわかる。
それでも、その感情のことに目を瞑ったままでは先に進めない。