045 鬼の回顧3(ノエル)
バウムガルトが一度距離をとって大剣を構える。
「思ったよりもやるじゃねえかお嬢様よォ」
「バウムガルト、これはどういうつもりだ」
ヴォルフガングとエリアーヌの方を見れば、二人も別の鬼人に襲われている。
二人の相手をしている鬼人も何度も戦場で功を上げた実力者だ。さらにその周囲にも数人の鬼人が集まってきている。
「言ったはずだぜ。俺達は強さが全ての鬼人族だ。たとえそれが王族だろうとスキルも使えねえ出来損ないに遣えるわけにはいかねえ。だが、それでも王族だからという理由だけで小娘を担ぎ上げようとする輩がいやがる。だからよォ、誇りある強い鬼人族を守るためには、お前の存在は邪魔でしかねえんだよ」
バウムガルトの力強い声に、周囲の鬼人達も同じ考えのようだ。
確かに鬼人族にとっては強さこそが絶対不変の理念とさえ言える。王族として生まれようとも弱ければ廃嫡されることも少なくない。
「別に王族という身分に執着があるわけじゃないが。それでも鬼人族として、そう簡単に明け渡すわけにもいかないな」
「あぁ? スキルも無しにこの俺とやる気ってことか?」
「やってみなければわからないだろ」
「上等だ。本当の強さっていうものをその身に叩き込んでやるぜ。死んでから後悔しろや、オラァ!!」
瞬間、バウムガルトの魔力が膨れ上がる。
本来、体外に放出した魔力はしばらくすると拡散していく。魔術でも術式を維持するためには常に魔力を注ぎ続けなければならない。
しかしバウムガルトのスキル『獅子奮迅』は放出した魔力をすべてその身に纏うことができる。魔力を放出すればするだけ大量の魔力をその身に纏うことができる。
纏った魔力は言わば重量のないきわめて頑丈な甲冑だ。しかもそれ自体が体の動きを阻害することはなく、むしろその動きを補助し身体能力を格段に上げる。
『能力向上』は体内に魔力を循環させることで身体能力を上げる技術だ。魔力を循環させること自体にも集中力と鍛錬が必要で、その総量には限界がある。
簡単に言えば『獅子奮迅』はその身体強化を体外からも行えるというものだ。魔力を纏うこと自体はスキルの効果として引き起こされる現象なので、高度な魔力操作も必要ない。細かいことを気にせず魔力を放出すればそれだけ高い効果を得られる。まさに『能力向上』の上位互換だ。
大剣を構えこちらに駆け出すバウムガルトに、私も両手の鉈を握りなおして跳びだす。
そのまま真正面から打ち合うと見せかけて、一度斜め方向に方向転換し、さらに鋭角に舵をとって奴の側面を狙って鉈を振るう。
対してバウムガルトは想定の範囲内とでも言うように落ち着いて急停止しつつ、振りむく勢いで大剣を下から斜上に振り払って鉈の一閃をはじいた。
はじかれた勢いのままに体を回転させ、低姿勢で着地してそのまま足首を狙う。しかしその一撃も跳躍で躱され、今度は落下の勢いで大剣が振り下ろされる。地を割る剣打に体勢を崩したまま無理やり地面を跳ねてなんとか躱す。
そこから二度三度と撃ち合うが、その度にこちらの体勢が崩されていく。
横薙ぎに払われた大剣を大きく仰け反って躱し、そのまま後転で飛び退いて距離を取る。しかし着地するよりも早く、バウムガルトが一足で距離を詰めて怒声とともに大剣を叩きつける。
「オルァアアアア!!」
なんとか鉈を重ねて受け止めるが、地面に埋まるのではないかと思うほどの衝撃に全身の骨が軋み悲鳴を上げる。
一瞬その重みが和らいだかと思えば、即座に腹部に丸太のような脚撃が刺さった。砕けるような痛みとともに身体が吹き飛び、大量の空気と血液を口から吐き出した。どこかを痛めたのか、鋭痛を伴う呼吸はひどく浅くしか行えず、視界が小刻みに震えて滲む。
頭の中を濁流が流れているかのような騒音が鳴り続ける。それはただの損傷なのかそれとも命の危機に脳が発した警鐘なのか。
朦朧とする視界の先には倒れ伏す私を見下すバウムガルトの姿。そしてその後ろにはヴォルフガングとエリアーヌの苦戦する姿も見える。
二人とも最初の相手は倒したようだが、そこからは周りにいた鬼人達も参戦したようだ。
決して無名ではない戦場の強者が次々に襲い掛かり、次第に劣勢へと追い込まれる。
そして、とうとう二人が膝をついた。それでも決してあきらめることのない視線を上げる二人に、近くにいた赤肌の鬼人がトドメを刺すべく武器を振り上げる。
「や……、やめ……」
必死に声に出そうとするも、出るのは掠れた空気が漏れるだけだ。
自分の不甲斐なさに腹が立つ。スキルも使えない弱さが恨めしい。私の大切なものを傷つけようとする奴らが憎くてたまらない。
――頭から音が消えた。
頭は不思議なほど静寂で、反対に心臓は破裂しそうなほどに激しく鐘を打つ。
それは煮えたぎるような激情。誰に向けたものかも、何に対してなのかもわからない。堪えられないほどの怒りと憎しみが身体を犯していく。眼球が焼けるように痛み、視界は朱く染まる。全身が裂けるような魔力の激流が巡る。
朱い世界で、最後に見たのは縦に裂けたバウムガルトの姿だ。
その時、私のスキルが発現した。
…………。
気が付いた時には辺りは凄惨なありさまだった。
あたりにはおそらくは生物であっただろう何かが、真っ赤な水たまりの中で散乱している。血や内臓から漏れ出た内容物が、胃を掻きまわすような臭気を放つ。
謀反を起こした鬼人たちはみんな体のどこかが切断されている。奴らだけではない。この戦場にいるだれもが、敵も味方も分け隔てなく、等しく斬り捨てられている。
「よぅ。お嬢、落ち着いたか……?」
「……大丈夫よ。……大丈夫だからね」
朦朧とする私を二人が包み込むように覆いかぶさる。消え入りそうな声で、でもとても暖かい声で私に話しかける。
意識を保つのすら大変なほどの傷を負ってもなお――。片腕を失っても片目を失ってもなお――。 二人は私のことを守るかのように優しく抱きしめた。
*********
クレイジーモンキーの猛打に、ヴォルフガングとエリアーヌの苦し気な声が漏れる。
繰り返される拳撃を何とか防いでいた二人を、さらに尻尾による薙ぎ払いが襲いかかりたまらず吹き飛ばされる。
二人が苦しみ倒れる姿に心臓が揺さぶられる。
私を守ろうとした二人が、また私のために傷つく姿に、頭が真っ白になった。
音が遠ざかり、心臓が激しく鼓動する。肉体が灼熱にさらされたように疼き、視界は徐々に朱みを帯びていく。
ずっと負い目だった。
二人を傷つけた後悔を引きずったまま、自分がどうすれば良いかもわからずに生きてきた。鬼面を捨てることもできず、発現したスキルも後悔と恐怖を言い訳にして蓋をした。
二度と誰も傷つけないように。二度と自分が傷つかないように。それだけだけのために。
ナナエの言葉が頭に浮かぶ。
守りたいから守るのだと。そんな単純な理由とその望み。
私は命がけで守ってくれた二人の望みに応えられたのだろうか。
わかりきった過去の答えなど不要だ。私はこれから二人の望みに応えていくだけだ。そのためにこのスキルと向き合ってみせよう。
あの日、すべてを変えてしまった能力。
あの日、二人を傷つけてしまった能力。
今度こそ、二人を守るためにその能力を解放する。
――スキル『悪鬼羅刹』!!