041 戦闘
突如として現れた巨体は、なんとも体に悪そうな栄養飲料のパッケージのようなカラーリングの巨大猿だ。身体は俺たちの数倍はあり、憎たらしいことに不気味な笑みを浮かべている。
「クレイジーモンキーだと……!?」
ヴォルフガングが驚きの声を上げる。確かに色彩感覚は狂っている。あんな巨体と目立つ色合いでよく自然環境で生きていけるな。
暢気にそんな感想を抱いているような相手ではなかったようだ。
突然の闖入者に誰もが驚き、困惑していた。
その隙にクレイジーモンキーが近くの木を毟り取って、こちらへと投げつける。俺や生徒たちは躱すこともできずにまとめて吹き飛ばされた。
「痛てて。みんな大丈夫か」
打ち付けた背中がきしむが何とか体を起こして皆の無事を確認する。
「痛たたたぁ」
「くっそ。いきなり何しやがる」
「何とか、大丈夫そうです」
「……。」
どうやらみんな大きな怪我はなさそうだ。矢早銀が無言なのが少し怖いが。
俺たちに木を投げつけたクレイジーモンキーは鬼人たちの方に向き直り、もう俺たちの方は見てもいなかった。
どうやらさっきのは俺たちへの牽制で、鬼人たちから距離を取らせる目的だったようだ。その証拠とでも言うように俺たちの周りには別の猿が十匹ほど現れ、周りを囲うように陣取る。
色合いこそ奇抜ではないものの大きさは人間と変わらないサイズで、剥き出した牙や尖った爪がどう猛さをうかがわせる。
「ねねのスキルはこっちも巻き込むから下がってろ。こんな猿どもは俺が軽く捻ってやる」
「工平。武器お願い」
轟が俺たちの後方にいる猿の方へ、矢早銀が前方側の猿へと進み出る。
矢早銀に指示された三嶋が、先ほど投げつけられた木を材料に武器を生成する。武器というか、どこからどう見ても野球のバットにしか見えないが。
矢早銀が受け取った木製バットを、武器の調子を見るかのように軽く振り回してから構えた。
対する猿がその武器を見て侮るようにキキキッと嗤う。そしてそのうちの一匹が矢早銀に不用意に近づき、剛腕スラッガーのごとく振り払われたバットに悲鳴を上げて殴り飛ばされた。
その様子に周りの猿たちの顔が引き締まった。嘲笑のような鳴き声が威嚇を孕み、矢早銀への明確な敵意として降り注ぐ。しかしその喧騒に矢早銀は動揺することもなく、バットを構えて不敵な笑みを口元に見せるだけだった。
次からは油断なく、猿たちが強敵と認識した矢早銀に襲い掛かるが、矢早銀は軽く体を逸らして猿の攻撃を躱し、勢いよくバットを振り上げて顎を砕く。
時にバットを突き出して相手を牽制し、時にバットをくるりと投げて意表をつき、妙に手慣れた感じで木製バットを鈍器として振るって猿たちを打倒していく。
俺たちの後ろ側に陣取った猿たちには轟が立ちはだかる。掌に拳を打ち付けて気合を入れるとともに轟のスキルが発動した。体中を眩い雷撃が奔り回り、そこに立っているだけで周囲の空気を焼いていく。
相対した猿が轟の姿に警戒の鳴き声を発し、その剛腕と凶悪な爪で襲い掛かる。轟は後ろに飛びのいてその爪撃を躱し、一転して跳び蹴りを繰り出した。
猿はその蹴りをたやすく防御するが、その瞬間から轟が帯電していた雷撃がその猿へと襲い掛かることになる。思いもよらぬ高圧電流につんざくような悲鳴を上げたかと思うと、力尽きたようにプスプスと煙を出しながら倒れた。
二人とも能力向上で身体能力が上がっているとは言え、目を見張る動きだ。魔獣との戦闘経験なんてないただの高校生のはずが、人間サイズの凶暴な猿にもまったく引けをとっていない。
三嶋はといえば、猿の相手は二人に任せるつもりなのか残った木を材料にせっせと木組みのバリケードを作っている。そんな三嶋にちょっと聞いてみる。
「なあ三嶋。矢早銀って弓道部だったよな」
「そうですね」
「なんであんなにバットを使いこなしてるんだ。まったく正しい使い方ではないけど」
「まあ、あれもある意味では矢早銀さんのメインウェポンというか、中学時代のでんせ――っ!?」
三嶋が何か気になることを口にしようとしたところで、三嶋が作っていたバリケードに勢いよく猿が殴り飛ばされてきた。
バリケードの隙間から見える矢早銀の横顔が怖い。なにか触れてはいけないものがあるようなので、賢明な俺はこれ以上その話をするのはやめておく。隣で保倉が青い顔をして正座しているが、そのことも追及しない方が良いだろう。
さてと、このまま生徒二人だけに戦わせているわけにもいかないな。
もう半数近くは打倒されているようだが、そろそろ警戒を強くした猿が周囲の木の上から奇襲を仕掛けたり、複数匹でコンビネーションを繰り出しはじめ二人も苦戦している。
俺は魔力を練り上げて魔術の準備をする。森の中で火系の魔術はまずそうなので水系の魔術にしよう。
『ウォーターショット』の術式を魔力で描く。スキルのおかげで瞬時に描かれた術式にさらに魔力を込めて魔術を発動する。木の上から矢早銀を狙っていた猿を、放たれた水弾がみごとに撃ち落とした。
続いて轟の方に向きを変え、轟の両サイドから襲い掛かった猿に向けて二発同時に魔術を発動して水弾を発射する。
魔術『ウォーターショット』は、旅の道中で馬車の幌を吹き飛ばす程度の威力だ。それなりに大きい猿だったとしても、直撃すればタダでは済まない。
「こっちはこんなものか」
「へん。猿どもも大したことなかったな」
「余裕だったのは先生が魔術で援護してくれたおかげでしょ」
俺たちを囲んでいた猿たちは、轟と矢早銀の奮闘、そして俺の魔術ですべて蹴散らすことができた。
しかし最初に現れたクレイジーモンキーはこの猿たちとは比較にならないほどの大きさだ。あの巨体から繰り出される攻撃はパンチひとつでも相当な脅威だろう。
そのクレイジーモンキーの相手をしている鬼人の方を確認すると、鬼人たちは相当苦戦していたようだ。鬼人たちの加勢に向かおうとしたが、そのとき鬼面の子の魔力が轟達に襲い掛かった時とは比べ物にならないくらいに高まりだした。
その強力な魔力は無理やり押さえつけられているかのように、ひどく荒っぽく鬼面の子の中を蹂躙している。とても熱く、とても恐ろしい、煮え切った溶岩が火口で荒くれているようだ。
鬼面の子が何かに苦悶しているように見える。体内を巡る恐怖すら感じるほどの魔力の奔流を、必死で押さえつけているのか、それとも無理やり解き放とうとしているのか。
そしてついに、鬼面の子の魔力が何かを引きちぎって、獰猛に解放されたのだった。