040 策謀
鬼面の子が鉈をこちらに向ける。視線はそらさず、精錬された構えだ。
俺はいつでも魔術を発動できるように魔力を練り上げる。本来ならこの距離でよーいドンなら魔術の発動が間に合わずに勝ち目はないだろうが、俺の魔術なら間に合わせられる。まあさっきの速さ以上で来られると厳しいが。
魔術は一度術式を構成すると発動まで術式の種類はおろか射線を移すこともできない。なのでうかつに先に魔術を発動するわけにはいかない。逆に相手は魔術を先に使わせたいはずだ。
互いに後の先を狙う。どちらが先に動くか、緊迫した空気が続くかと思ったが――、あっさりと鬼面の子が構えていた鉈を下した。
「やめだ。ナナエと戦っても仕方がない」
「そ、そうか」
「昨日みたいな威力の魔術をここで使われても困るからな」
「いやあれは加減がわからなかったからで、さすがにもう同じようなことには……」
鬼面をつけていて表情がわからないが、冷めた視線が刺さる。
「ガハハハハ。どうやら話はついたようだな。あんちゃんらとは戦いたくなかったからよかったぜ」
「あんたらも悪かった。怪我は大丈夫なのか」
「まあこの通りだ。ちと痺れたがもう麻痺も取れたぜ」
ヴォルフガングが拳で胸を叩いて健常を示す。エリアーヌも辛そうにしていたのが治ったのか体を伸ばしてストレッチしている。
なんとか和解できそうではあるが、生徒たちの不始末でかなり迷惑をかけてしまった。
「まあ気にすんなや。あの二人のスキルにはちと驚かされたがな。やんちゃ坊主の方はあんちゃんがちゃんと小突いてくれたし、嬢ちゃんの方はあれだしな……」
そう言って生徒たちのいる方向を少し引き気味に見ている。
生徒たちはというと、どうも保倉が矢早銀に詰め寄られているようだ。
「ねね? 街で大人しくしているって、先生と約束したと思うのだけれど?」
「いや違うくて。結果だけ見ると約束を破ったようにも見えなくもないんだけど、成り行きとかやむにやまれぬ事情とか、私も頑張ったっていうか」
「そう。それでどっちがいいの?」
「はい?」
「まつり縫いか蛇腹縫い。嘘を言う口はもう開く必要がないでしょ」
「えっと、それってどういう。ハルさ――っうぐ」
また何か失言を重ねようとしたところに、先んじて矢早銀のフックが刺さった。
「ご、ごめんなさい。矢早銀さん」
「工平。針と糸」
「はい、ただいま」
すかさず三嶋が生産スキルで針と糸を作り出して手渡す。小間使いか何かなのかな?
「ちょっとなにそれ。冗談でしょ」
「大丈夫です保倉さん。魔力で作った糸は時間が経てば消えるので抜糸の必要はないです」
「いやそんな心配はしてないし。てかあんた誰?」
「……」
少し調子に乗った三嶋が悪意のない誰何に落ち込んでいる。
「ねね。やっぱりその口は閉じたほうがいいわね」
「ちょっとまって、矢早銀さん。ほんとごめんって。怖い怖いから、そんな淡々と糸と針近づけてこないで」
…………。
「さてと、それであんた達はどうして赤紙依頼なんて出されてるんだ」
「あんちゃん。あからさまに話題変えて見なかったことにしたな。まあ、簡単に言えば本国にオレらに消えてもらいたいと思ってる奴がいるってとこだな」
「なんだ、誰かと揉めてんのか?」
「こっちにその気はなくてもな。いろいろあらあな」
まあ身なりだけでも隻腕に隻眼に鬼面と、どう見ても堅気の装いではないしな。
というか命まで狙われるって、どこぞのお偉いさんの不興を買ったとか犯罪組織に目をつけられたとかだろうか。物語の中ではよくある話だと思うが。
それで三人とも腕は立つもんだから、赤紙依頼を使って冒険者をけしかけられたってことか。
「しかし冒険者組合ってのは、そんな私怨みたいなことも依頼を出すものなのか」
「うん? まあ無くはないだろうが」
「赤紙依頼ともなるとねえ。普通なら組合の方できちんと裏取りはするでしょうね。依頼を受ける冒険者の危険にもかかわるし、依頼は間違いでしたと言っても何か損害が出た後じゃ大問題になるでしょうしね」
その大問題に今直面しているのだろう。
ヴォルフガング達の話では本国――鬼人の国のヴォルフガング達を良く思わない勢力が、組合の内部に入り込んで操作したんじゃないかということらしい。
そういえば冒険者組合のお姉さんも赤紙依頼で騒々しくなった時に不思議そうにしていたな。あの時はお姉さんがさぼってるから話が通ってないだけかと思ったが、本当に誰かに仕組まれた騒動だったのか。
「冒険者組合も無能だけではない。赤紙依頼まで出ていたならそのうち気づくだろう」
鬼面の子が冷静に分析する。
「逆に言えば、今回の騒動を企んだ連中は冒険者組合が気づく前にことを終わらせたいんだろうな。ふむ、だからこその赤紙依頼か」
「そうだろうな。赤紙依頼なら報酬につられた冒険者が我先にと押し寄せるだろうからな。組合の捜査が後手に回らざる負えない。とはいえほとんどの冒険者はこちらを見つけ出す目の役割だろう。本命はすでに冒険者に見つかってしまったこれからだな」
「それって今、俺たちも危ないかもしれないって話だよな」
「そうだな」
軽く言ってくれるね、この子も。
「ナナエ。お前に頼みたいことがある」
「なんだ、迷惑をかけたからな。無理なこと以外は手伝うぞ」
「冒険者組合に行って赤紙依頼について調べるように伝えてきてもらいたい。既に動いているかもしれないが、黒幕がどこまで上手くやっているか分からないからな。念には念を入れておきたい」
今回の赤紙依頼が不正なものだと発覚しないと鬼人たちを襲う冒険者も止まらない。一刻も早く依頼を撤回させようにも当の鬼人たちは組合が赤紙を撤回するまでは下手に近寄れない。
冒険者組合が既に解決に動いていれば良いが、命まで狙われている状況で悠長に待ってられないしな。それでなくても昨日から一昼夜はこの森に潜伏していたのだ。鬼人たちの気力も体力もだいぶ削れてるだろう。
鬼人たちからの頼みを了承し、その場を離れようとした時だった。
「先生っ、何か来る!!」
いち早く気づいたのは矢早銀だった。
次の瞬間には、周囲に生えている数メートルはある木々を軽々と飛び越えて、巨体のそれが地面を揺らした。