035 一般魔術基礎・概論
サウールの街で出会った生徒――轟と保倉には街でおとなしくしていろと伝えて一度分かれ、冒険者組合のお姉さんに教えてもらった宿へと向かった。
そこはサウールの東側、中央通りからは少し離れたところにある小さな宿だった。こじんまりとはしているが清潔感があってなかなか良さそうだ。
入り口には『猫のひげ亭』と書かれた看板が掛けられており、一階は食堂、二階が宿屋になっているらしい。
さっそく数日分まとめて宿泊代を払い、3人部屋を借りてようやく一息つくことができた。
最初は矢早銀だけ別部屋にするかとも考えたのだが、元の世界と違って扉に鍵がかかってるわけでもないのでむしろ同室の方が安心だろう。
一応矢早銀にも聞いていたのだが――、
「馬車の旅でもずっと一緒だったんだし、同じ部屋でも変わらないでしょ」
なんともさっぱりした答えだった。むしろ三嶋の方が戸惑っているようにみえる。
まあそれはともかく、今日は部屋でゆっくり休むことにしよう。外はもう日が暮れ始めているし、二人にも4日間の旅の疲れがあるだろうしな。
休むといっても、魔術やスキルについてはもう少し知っておいた方が良いだろう。
明日からは生徒探しだけではなく資金稼ぎに冒険者としても活動するわけだが、魔獣なんて生き物もいる世界だとどんな危険があるかもわからない。
この世界の常識であり、身を守る術でもある魔術とスキルのことはちゃんと学んでおかなくてはならない。
「先生、これってどういうこと?」
矢早銀が読んでいた資料をこちらに見せて聞いてくる。
資料の表題には「一般魔術基礎・概論」と書かれいている。なんともまどろっこしい名の資料だ。
「一般魔術基礎・概論」は他の資料に比べてやたら分厚く、1000ページはあるんじゃないだろうか。しかも文字通りこれは概論だ。本書もあれば一般魔術応用、特殊魔術基礎、特殊魔術応用とシリーズは続いていて、それぞれが概論の比ではない量の内容が書かれているらしい。
この世界にはタイプライターのようなものもないし、手書きでこれらを書き上げたというのはどれだけ時間がかかるのものか。執筆者はアルマ・クロウリーという人らしいが、物量的に代表者か組織名的なもんだろうな。
それでその内容だが、矢早銀が示す箇所にはこう記されている。
――魔術とは、魔力により様々な現象を発現させる技術のうち、人間が魔術と定義したものである。
まあそこだけ読めば、当たり前すぎてよくわからないよな。
魔術とは魔力というエネルギーを利用して様々な現象を発現させる。しかしスキルも同じく魔力により現象を発現させる技術だとその資料には書かれている。
つまりは魔術をスキルも原理的には同じもので、人間の基準でそれらを呼び分けているに過ぎないというのがその一文の説明だ。
その基準というのは、魔術とは体外に構築した術式によって発動するのに対し、スキルとは体内に既に構築されている術式によって発動するというものだ。
「魔術は術式を書いて発動するからなんとなくわかるけど。スキルの体内に既に構築されている術式っていうのは、僕らの中に術式があるってことですか?」
「そういうことだな。血液を想像するとわかりやすいか。この世界の生き物は体中に魔力が循環していて、その循環――魔力の流れがそのまま術式にもなっているらしい。そしてその流れは人によって異なり、それがスキルが人によって違う理由ってことだな」
「人によって違う――、それに既に構築されているというのは、その流れを変えることはできないということかしら」
この世界の者にとってスキルとは生まれながらに決まっているものだ。それが成長の過程で強化されることはあっても元のスキルが完全に別物になることはない。
また、魔力が体内を循環しているというのは、スキルだけに影響するわけではない。
魔力とは最上級のエネルギーであり、それを循環させることは身体能力も向上させる。魔力は身体を動かすエネルギー源でもあり、骨や筋肉の代わりとしてサポーターのような役割にもなる。
魔力による身体への恩恵は、運動能力の向上、肉体強度の強化、視力や聴覚などの五感の鋭敏化、自己治癒能力の上昇など多岐にわたり、それらはスキルではなく能力向上と呼ばれる。
「ふうん。スキルとは別なのね」
「そういえば馬車旅の時から疲れにくいし、体も良く動く気がするような」
三嶋や保倉が失言した時によく矢早銀が目にもとまらぬ速さで鉄拳を振るっているが、それは比喩でもなんでもない。矢早銀は無意識かもしれないが、それも魔力による能力向上のなせる業だ。
ちなみにスキルにも身体強化系と呼ばれるものがある。結果だけ見れば効果は同じと言えるが契機が異なる。
スキルは体内の魔力の流れによって構成された術式によって発現するものだ。その効果が術式による以上、そういうスキルを持っている者ならば能力向上よりもはるかに高い効果を得られる。
理論上、能力向上でも身体強化並の効果を得ることができるはずではあるが、それには卓越した魔力操作とそもそもの体内の魔力の流れによる循環効率の高さが必要になる。
まあそれでも魔力循環だけでバフを得られるのは行幸だ。デスクワークで貧弱だった俺の体でも元の世界のアスリート以上に身体を動かすことができる。
俺は特殊なスキルは持っていないが、魔力操作はかなり上手くできる自身がある。
魔力の流れは人によって違うので、魔力循環の効率化も人によってやり方が変わるらしいが、そこは気長に練習していくとしよう。