100 久留鞠蹴斗
矢早銀や三嶋たちが土宮と対峙していたころ、周囲の建物の屋上でも学園の生徒同士の戦いが始まろうとしていた。
「――っち。またお前かよ。しつこい男は嫌われるぜって、まあ言っても無駄なんだろうけどよぉ」
「……」
野津颯也が辟易して苦言を呈すが、目の前に現れた久留鞠蹴斗は無表情のまま答える素振りも無い。
貧民区で由良純佳と出会ってすぐに、由良の様子から嫌な予感がして近くの建物の屋上に跳び乗っていた。
野津はお遊び野球部を地区大会に導けるくらいには、相手の変化や状況を読み取るのがうまかった。
さすがに身体から刃を生やすなどというこの世界特有の状況は、初見では対処できなかったが。それでも命を取られない程度の立ち回りは見せていた。
つまり、そういう前の常識とは異なるスキルというものがあるという心構えさへ持っていれば、持ち前の観察力は効力を発揮する。
野津が大きくジャンプした直後、由良と一緒にいた生徒たちが攻撃を仕掛けてきた。さらには後から出てきた少女が建物を液状に変えてしまい迂闊に近づくこともできなくなった。
今では街の各所から物々しい騒動が聞こえてくる。
自分も周東の手伝いをしたほうが良いかと思った矢先、この屋上に現れたのが久留鞠だった。
無表情で構える久留鞠は先日と変わらぬローブ姿で、ザクザクと石造りの壁を登ってきたらしいその足にはスパイクのような幾重の刃が煌めいている。
野津と久留鞠は所属する部活動は違えど、筋トレなど同じ施設を使うことも少なくなく運動部の後輩として面識くらいはあった。
当時からサッカーのみにストイックで愛想も碌にない後輩だったが、今はそのぶっきらぼうな口も開かない。
「この間はいきなりでやられたけど、何度も同じようにはいかねえぞ――って、おい! 話くらい聞きやがれって!」
久留鞠が挨拶も合図もなく刃だらけの脚で跳び蹴りを放つ。
悪態を突きながらのけぞるように躱した野津に、こんどは着地姿勢のまま無理やり筋肉をねじり回し蹴りを繰り出する。
それも姿勢を低くして躱した野津は、そのまま横に転がるようにして距離を取った。
転がったことでうずくまったような姿勢になっているのを見てか、久留鞠が脚を蹴り上げるとその刃が空高くへと伸びた。その長大な刃をかかと落としの要領で振り下ろす。
長大高速の唐竹割りが建物の半分ほどを両断してしまうが、野津は『超脚力』によるカエル跳びで躱した。
「やべぇやべぇ。好き勝手に斬りかかりやがって。まあこの距離からなら余裕で避けれるけどな! さあどうすんだ? また突っ込んでくるか?」
野津の煽り文句を受け取ったわけではないだろうが、久留鞠が身体から伸ばしていた刃を邪魔にならない程度に縮めて腰を落とす。
久留鞠のスキルは身体のいたる所から魔力の刃を突き出すというものだ。もともとの習慣からやや蹴り技に偏ってはいるが、基本的には敵に合わせて刃を突き刺すか斬りつけるという戦法になる。そのため久留鞠は、操られ効率重視な動きしかできない生徒の中ではかなり臨機応変な戦い方ができる。
距離を取り体勢も立て直した野津に対して、再び接近するために地を蹴り走る。
その姿を見て、今度は野津も腰を落として脚に力を籠める。
「俺だってずっとお前の攻撃から逃げてるだけじゃないんだぜ」
言い終わるが早いか、野津の『超脚力』がさく裂した。先ほどまでの移動のために加減したものでは無く、攻撃に転じるための本気の踏み込だ。
足踏みの衝撃で砕けた破片が飛び散り、野津の身体が弾丸のように飛び出した。
久留鞠は体中からあらゆる方向に刃を突き出すことができる。その縦横無尽な刃先は背後から捕えようとすることも周りを取り囲んで打ち合うことさえも困難にさせる。
ただしその刃は意識的に作り出されるものだ。死角からの不意打ちや感知できない類の攻撃には一手遅れる。
もし操られておらず迎撃を狙う思考が残っていれば、あらかじめ体中に刃を突き出し茨のような鎧とすることもできただろうが。今の久留鞠は敵を攻撃することしかできないのだ。
「――ぅおりゃあああ!」
視認できないほどの速度で肉薄した野津が、その勢いも乗せた気合の蹴りを放つ。
『超脚力』は高く跳躍するためだけのスキルではない。軽く建物を飛び越えられるほどの脚力を実現させる身体強化系のスキルだ。無論その効果は蹴りの威力にも反映される。
常人の目には追えない速度で接近し放たれた蹴りの威力に久留鞠の身体が吹き飛ぶ。そこに反撃の刃が伸びきる猶予など無く、久留鞠の身体は隣の建物の屋上まで蹴り飛ばされ数度バウンドしてようやく停止した。
「想いのほか吹っ飛んじまったな。ちとやりすぎたか?」
想像よりも派手に吹き飛んだ様子に、野津が若干の戸惑いを覚えつつ隣の建物へと跳び移る。そのまま倒れたままの久留鞠に近づこうとしたところで、その身体が少し動いたのを見て後方に跳び退いた。
近づいたところをすぐに刃を突き出して襲ってくるかと警戒したが、久留鞠はゆっくりと肘と膝を地につけた体勢になるだけだ。
「なんだよ。今度はうずくまって――って、ぬおっ!?」
怪訝そうに言葉を続けようとして、突如自身へ迫ってきた無数の刃から何とか高くジャンプすることで逃れた。
否、無数の刃は野津だけに差し向けられたわけではない。うずくまった久留鞠から四方八方に、その建物の屋上を埋め尽くさんばかりに刃が突き出していた。
幾度となく『超脚力』で回避する野津を逃がさないための範囲攻撃だ。
「あ、あっぶねえ……。ハリネズミかよ」
元居た建物の屋上に戻った野津が、久留鞠の様子を見て漏らす。
直感的に別の建物に逃げたのだが、もしあの建物上で躱そうとしていたら今頃串刺しになっていただろう。
足場すらないほどの刃の数。その刃を搔い潜って久留鞠を無力化することは困難を極める。
「……。よし、逃げるか」
野津は潔い男だった。