099 土宮金華4
矢早銀が姿を見せた途端、地面に滞留していた魔力がうねり始める。
自分の足元へと伸びる気配を感じ取ったが、そのまま前へと飛び出す。
土宮に向かい、先ほどとは違って横側から回り込むような形で走る。その足取りを追うように石柱が突き出すが、魔力による身体強化のおかげかそれらを軽く置き去りにする。
番えた弓を射ることもなく土宮との距離を詰めると、数歩手前で横切るように折り返して土宮の目の前で停止した。
同時にその足元からその身を突き上げんと石柱が突出するが、そのタイミングに合わせるように少しだし後ろに足を運ぶ。
それでも石柱の円周から逃れられはしない。足元から掬い上げられるように持ち上げられるが、それが矢早銀の狙いだ。
石柱の中心から半歩後方に逸らし、さらに重心を後ろにずらすことで完全に石柱にとらえられることはない。むしろその石柱の勢いを利用して後方へ高く跳躍した。
矢早銀を捉えそこなった石柱が天井までを埋め尽くす。この距離に至って土宮からの視線が完全に閉ざされた。
跳び上がった矢早銀は今度こそ無防備な状態だったが、追撃してくる石柱は無い。
敵視する者を殺傷するという意思のない行動目的は、認識した敵に攻撃を加えるという単純明快な行動を選択させる。だからこそ視認できなくなった相手に無暗に攻撃するという、敵以外を攻撃する可能性のある行動ができない。
逆に矢早銀はこの状況を利用する。
石柱で遮られた射線の先に土宮がいることを、視覚ではなく土宮から地面へと広がっている魔力の流れを感じ取ることで把握する。
矢早銀が跳び上がった状態のまま弓を引き絞る。空中で後方に傾いた体勢だというのに、その構えは驚くほどに安定している。
矢早銀が一度だけ短く息を吐き、矢を放った。
透き通るような風切り音を鳴らして矢が奔る。
狙いは土宮だがその直線上には石柱が立ち並んでいる。
スキルを解除すれば土くれと化す石柱だが、魔力が注がれている間は並の衝撃では崩れない堅牢さを保ち続ける。
弓矢程度では容易く弾かれるだろう。
しかし、一筋の直線を描くように飛んだ矢は、石柱に衝突したかと思うとまるで吸い込まれるようにそれを穿った。
紙に穴をあける様な気やすさで突き破った矢が土宮の右肩に突き刺さる。
矢早銀はそれを見届けると、軽やかに着地してさらに二矢三矢を放った。それらも次々と石柱と突き抜けて土宮の左右の大腿部を射抜いていく。
「……これが魔力貫破」
小さく呟く。
それは先日出会った縫条正義から教えてもらった矢早銀のスキルだ。
縫条は相手を見ただけで、その相手のスキルがどういったものかを見極めることができる。その能力をもって、今まで謎だった矢早銀のスキルの効果が明らかとなった。
『魔力貫破』は物質に螺旋状の魔力を纏わせるスキルだ。
その魔力の渦はあらゆる物質を削り、掘削して、破砕する。その硬度は纏った魔力量次第だが、矢に纏えばどんな障害も貫いて的に当てることさえできる。
無論魔力による効果なので、魔力量や魔力操作の力量次第では防ぐことが出来る。だが逆に言えば、魔力の扱いが同等以下ならば防ぐ術がないという破格の効果である。
この世界に来て幾ばくかしか経っておらず、まして他人に操られている状態で防げるものではない。
孔の空いた石柱が突如朽ちたように崩れていく。
その合間から土宮の姿が現れる。肩と脚を射られたというのに、その顔には敵意はおろか苦痛の表情すら浮かべていない。
先ほどまでと変わらぬ無表情のまま、石柱が崩れて視界にとらえた矢早銀を狙うべく足を踏み鳴らした。
しかし、石柱が矢早銀を襲うことはなかった。虎視眈々と地面を這っていた魔力も揺らめいて薄れていき、周りの石柱は次々と崩れていく。
『魔力貫破』によって矢が纏った螺旋状の魔力は射抜いた相手の魔力を搔き乱す。それ自体が身体に傷を負わせるようなものではないが、体内の魔力の流れが乱れればスキルを維持することはできない。
理論的には周東が相手に魔力を流し込んでスキルを強制解除していたものと同じだが、制御が完全ではないので効果は極一部、それも一時的にしか及ばない。
だが脚から地面へと魔力を流し込んでいた土宮にとっては、その脚の魔力を乱されることは致命的だ。
もし、まともな思考が残っていればこの異常を察して無事な方の腕を使うなり、退避を試みるなりしただろう。しかし、今の土宮は思考を操られ、効率重視でスキルを発動するやり方しか選べない。
例えスキルが発動しないことをわかっていても、それ以外の選択肢を考えることができないのだ。
何度も不発の足踏みを繰り返す。
数秒もすれば乱された魔力の流れが戻り、またあの石柱が襲い来るだろう。
――数秒。矢早銀にとっては十分すぎる猶予だ。
「工平!」
「は、はい!!」
阿吽の呼吸で即座に生成されたバットが投げ渡される。矢早銀に応える三嶋の生産能力はもはや驚異的ですらあるが、今はだれもそのことに言及している余裕はない。
バットを受け取ると同時に矢早銀が地を蹴り、無防備な土宮との距離を一気に詰める。
瞬く間に近接の間合いを取られたが、対抗手段のない土宮にはその表情の無い視線で応じるのみだ。
「――しっ」
矢早銀が短く息を吐いてバットを振るう。
下段から振り切って顎をかちあげる、返すバットで肩から袈裟懸けに叩きつけ、さらにその勢いで半身を引きそこから突き上げるようにバットの先で胸部を打ち出す。一撃一撃が身体強化と達人並みの技量で繰り出される強打だ。
衝撃に体勢を崩す土宮に、反撃の暇を与えずとばかりにさらに容赦なく猛打が続く。
矢早銀の振るうバットには『魔力貫破』により螺旋の魔力が纏い、打ち付けた対象の魔力を削いでいく。
繰り返される猛打のどれが致命打だったのかは分からない。しかし確実にその中の一打が土宮を支配していた何かを打ち払った。
それは由良純佳によって埋め込まれた『指揮操戯』という魔力の塊だ。流し込まれた魔力の流れが思考を強制し、命令を全うするために必要なあらゆる神経伝達を誘発しさえする。死してもなお人のように動かし続ける楔だ。
途端に土宮の身体から力が消える。まるで糸の切れた操り人形のように、支えも受け身もなく崩れ落ちた。
急激に血色が引いていき、もともと光の無かった瞳がさらに白く濁っていく。
矢早銀が地面に倒れ伏す土宮の傍にしゃがみ込む。
呼吸も心拍もそれを示す身体の律動はない。その血色を失い水気すら消え去ったような肌からは、触れてもいないのにうすら寒いような感覚がまとわりついてくる。
どこまでも静かで溶けいるように希薄になっていくのに、そこにあるのは矛盾するほど存在を主張する死の空気だ。
覚悟していなかったわけではないその結果に、ただ唇を噛む。
温度を失ったクラスメイトの目に、そっと手を重ねる。
「本当に……、馬鹿なことを……」
それは誰に向けた言葉なのか、小さく漏れ出すように零れた声は、崩れていく石柱の音の中で消えていった。