095 由良純佳
サウールの街の各所で騒動が巻き起こっていた。
もっとも被害が大きいのは貧民区ですでに建物が一つ倒壊している。そしてその騒動は貧民区だけでは収まらず、活気のあふれていた商店街、街の動脈とも言える大通り、腕に自信のある者も少なくない冒険者組合の周辺まで、様々な場所で同時に発生していた。
どの場所でも共通しているのは、その騒動を起こしたのが見慣れない若者ということだ。
彼らは唐突に現れ、何の予兆もなく暴れはじめた。あるものは全身から刃を突き出し、あるものは片腕で地面に大穴を空け、あるものは触れると爆発する火の玉をまき散らして、その場を破壊し続ける。
まるで無差別な暴動にも見えるが、それは確かにその場にいる人を狙った襲撃だ。
すべての騒動の中心で一人の女性――由良純佳が腕を振るう。
それは時に風を撫でるように優しく、時に間を斬るように鋭く、リズミカルな軌跡を描く。
「従順な私の生徒。決して口答えをしないで、言われたことには素直にうなずいてくれる。勝手な行動をとることも、大人を馬鹿にするような態度をすることもない」
まるで歌のように紡がれる恨み節。
ぐつぐつと。腹の中の、もっと深いところから黒い何かが煮えくりたつ。
「いつもいつもいつも。馬鹿にして、私の言うことも聞かないで、私がどんなにどんなにどんなにどんなにどんなに――、注意しても注意しても注意しても注意しても注意しても――。勉強する気が無いなら学校に来ないでよ。安くないお金を払ってまで入学してどうして私の邪魔をするの? ……その挙句、居なくなる」
由良純佳が生徒を見る目に、もはや愛情など宿らない。
小さい頃からあこがれていた音楽の先生。純粋に夢を追いかけてようやくそれが叶った。
しかし、得てして憧れと職務としての現実には少なからず隔たりがあるものだ。
新人だからと軽んじられ、それでも増えていく責任の数々。さらには本来担任になるはずだった先輩教師が産休を取ることになり、副担任として経験を積むはずだった由良純佳が代理で担任を任されることになった。
経験不足からか生徒たちをうまくコントロールすることが出来なかった。慣れない注意をしても、生来の温和だった性格やその口調が影響したのかやんちゃな生徒たちはどこ吹く風だ。
それでも彼女なりに職務を全うしようとした。
努力して、我慢して、そしてため込んだ。
一つ一つの出来事が由良純佳の心の奥にささくれを作る。そのささくれは本人すら気づかないほどに、静かに少しずつ、しかし着実にストレスと言う名の澱となって積もっていった。
――そんな中で、異世界に転移した。
今までの生活も人生もそして将来も、元の世界に置き去りにして。
大変なのは生徒たちだけではない。ある意味では、確固たる立ち位置を築いていた大人たちの方が衝撃は大きく、その現実を受け入れがたかった。
それでも大きな動揺を表に出さずに毅然と保護者たろうと振る舞ったのは、まさに大人だからという責任感に他ならない。
そんな中で自分が担任を務める、自分が責任を背負っている生徒たちが指示に背いて失踪した。
自分勝手なその振る舞いに、日々のストレスをため込んでいた由良純佳の心がついに決壊した。
「学園への迷惑も考えないで、大人の立場も気持ちも考えずに、自分勝手で愚かで浅はかな子供たち……。もう、いらない……。言うことを聞かない生徒なんていらない……」
一度決壊した心はそう簡単には元には戻らない。それどころか流れだした感情がその傷をさらに広げていく。
憤りから憎しみへと。拒絶から欲求へと。歪んで歪んでドロドロと様相を変えていく。
「自分勝手な生徒なんて居なくなれば良い。全員が教師の、大人の、私の言うことを聞くようになればいい。私の思う通りに動くように、無駄口をたたかない人形のように、――人形になれば良い」
――指揮操戯。
魔力に織り込んだ命令を相手に流し込むことで相手の思考を強制させる。その強制効果は凶悪であり意識的な行動は命令に沿ったものしか行えなくなる。
洗脳系と分別されるなかでも過去類を見ないほどのスキルだ。
あくまで洗脳は魔力を介するため、魔力操作に長けた者や圧倒的な魔力量差があればその効果を無効化することは可能だ。しかしながら魔力というものに触れて数日しかたっていない学園の人間では防ぐ術はなかった。
居なくなった生徒たちの足取りを追って学園から飛び出し、知らない世界、慣れない文化の中で探し回った。
生徒たちをサウールの街まで運んだという乗合馬車を見つけてすぐに移動した。
生徒たちに手を貸したその御者は街に着いた後で『指揮操戯』の最初の犠牲者になった。それは学園からの追手を遅らせるためでもあり、失踪の一因にもなったからだ。
サウールの街で2-Dの生徒を見つけ出すのは難しくはなかった。個人でいるならまだしも28人という大所帯でこの世界に慣れない子供たちが行動しているのだ。目立たないはずも無かった。
そうして見つかった生徒たちも『指揮操戯』の影響下に陥ったのだった。
ようやく問題を起こした2-Dの生徒たちへの恨みが晴らされたかに思えた。しかし、すでに由良純佳の悪意は徐々にその範囲を広めていた。
「ようやく反抗する生徒は居なくなった? いいえ、まだ終わらない。他のクラスの生徒も自分勝手に教師を困らせていた……あそこの店員は態度が悪かった……あのチンピラはこの間ぶつかってきた……裏通りにある武器屋はぼったくろうとしてきた……大通りで会った女性たちは私を見てヒソヒソ話していた……酒場で冒険者がやかましかった……あいつは体が臭い……あれは目つきが気に入らない……」
きっと、昔の由良純佳なら気にも留めなかっただろう些細な事。それが真綿を針でこするように、少しずつからめとり修復が不可能なほどに傷つけていく。
「私を馬鹿にする人間も、私の邪魔をする人間も、みんなみんな、私の世界にはいらないのよ」
由良純佳が腕を振るう。
魔力が大量の糸となって上空へと舞い上がり、そして彼女の狂気を乗せて生徒たちへと降り注ぐ。
悪意は止まらない。
2-Dの生徒。漂流者として強力なスキルを操る生徒たちが街の各所で暴れ出し始めた。