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094 指揮操戯3

 抱え起こそうとした女生徒は驚くほどに力が抜けていた。

 腕はだらりと下がり、頭は重力に逆らわずかしいでいる。

 その身体には温度が無く、荒れた肌は不健康にくすんでいる。

 そこには生命の鼓動も呼吸の気配も失われていた。


「そんな……、どうして……」


 手の中にある生徒の姿に絶望がこみ上げる。

 俺が無理に魔力を流し込んだせいなのか。そんな恐ろしい想像に、視界が暗むほどに血の気が引いていく。


「いや、ナナエのせいではない。私が外で触れたときにはもう生きている気配はなかったんだ。それに、その……。姿を、見る限りでは昨日今日というわけではないだろう」


 気遣うように言葉を濁す。

 ノエルは先ほど女生徒を組み伏せたときにその状態に気づいたらしい。触れたことで脈拍や体温から察したのだという。

 近くにいることで感じる、体温や呼吸はもちろんのこと、その身体の損傷具合と漂ってくる少しすえた臭い。それらがこの女生徒が生きてはいないのだということを伝えてくる。


 確かに今しがた命を落としたという感じではない。 

 それでも生徒が亡くなってしまっていることには違いない。

 例え先の俺の行動が原因では無かったとしても、教師として、この世界では限られた生徒たちの保護者として、生徒を守り切ることができなかったのだ。

 それだけは、いくら後悔しても足りない。

 不甲斐なさと苛立ちに、拳を握りしめ歯が軋むほど食いしばる。虚しい痛みと血の味が滲む。

 

 ――私の生徒はね、私が思うまま指示するままに動いてくれるのよ。


 由良先生の言葉を思い返す。まったく皮肉にもほどがある。

 死んだ生徒を操って従順な生徒だなんて……。しかし、その考えでさえまだ真の狂気には及んでいなかった。


「まさか……、生徒を殺してまで操るなんて……」

「そういう可能性もあるだろうが、殺してから操ったにしてはその死因となった外傷が見られないからな」

「――ん?」

「指揮操戯といったか。あの女のスキルはどこまで相手を操れているのかと思ってな。生きている相手であってもそれこそ一挙手一投足まで完全に指示下にあったとして、果たしてあの女に生きるために必要な指示を行うだけの良識があったかどうか……」


 ノエルが口にした予想に、背筋をムカデが這うようにゾワリと悍ましさが伝う。


 ――私の言うことに一切逆らうことのない。


 由良先生のその言葉を、2-Dの生徒を操って他の生徒を襲わせているのだと、そこだけを切り取って言葉の意味を誤解していたのかもしれない。

 額面通り。由良先生の指示のみに従い、指示したこと以外を一切行わないとしたら。

 正常な精神状態とは言えない由良先生が、操っている生徒に対してわざわざ食事や睡眠まで指示していただろうか。


 人間は水を飲まずに3、4日程度しか生きることはできない。

 由良先生はいつから生徒たちを操っていた?

 2-Dの生徒たちが学園から抜け出して、その日の内に由良先生も学園を飛び出している。すぐに生徒を見つけられたとして、その時点でこれほどにスキルを使いこなしていたのか?

 

 俺たち漂流者にとってスキルも魔力も現実にはないフィクションだった。それでも数多くのファンタジー作品のおかげかこの世界がそういう風にできているからなのか、驚くほどすんなりと受け入れられている。

 もちろん個人差はあるようだが、三嶋のようにこの異世界に来て数日でスキルを使いこなす者もいる。由良先生があのスキルを使いこなせていることも不思議ではない。


 悠長にしている余裕などどこにもなかったのだ。

 生活のためとはいえ冒険者の依頼など受けている場合ではなかった。

 魔術やスキルの訓練などしている暇があれば街中を駆けずって探し回るべきだった。

 いやそれ以前にすぐに学園を出て捜索していればこんな事態は防げたかもしれない。


「くそっ!!」


 やるせなさを拳に込めるように地面を殴りつけた。

 鈍く強烈な痛みがまるで自分への戒めのように、腕を通して身体全体を蝕む。


「――ナナエ」


 ノエルが俺の肩を強くつかむ。


「私はナナエ達の事情はよく知らない。だから後悔するなとも自分を責めるなとも言わない。だけど、今は立ち止まるな。他の生徒を守らなくてはいけないんだろ」


 澄んだ落ち着いた声で言う。しかしその言葉には覚悟にも似た強い想いが感じられた。

 ノエルも自分自身の過去を完全に清算出来ているわけではないのだろう。それでもヴォルフガングとエリアーヌ、二人の献身に応えるべく今までノエルは生きてきたのだ。

 ただの綺麗ごとでも単なる合理主義でもない。その言葉にはノエルの歩んできた含蓄がある。


 俺はゆっくりと息を吸い、静かに吐く。

 飲み込めないことも、身を焼くほどの憤りも、今だけは内側に押し込める。腕と脚に力を入れて立ち上がった。


 俺が平静を取り戻したと同時に周囲がやけに騒がしくなった。

 誰かが叫び、何かが壊れ、爆発音や得体のしれない効果音が距離も方角も様々に聞こえてくる。

 

 目の前で息もなく眠る女生徒と由良先生を守っている二人の生徒たち。野津たちを襲った久留鞠に轟たちが出会ったという糸識と、判明しているだけで5人の生徒が由良先生に操られている。

 だが、2-Dの生徒は三嶋と矢早銀を除いた28人が失踪している。その生徒たちがもし一緒に行動していたら、そして彼らがまとめて由良先生に見つかっていたのだとしたら。

 先ほど由良先生から放たれた大量の魔力の糸はどこに向かったのか。答えは簡単だ。


 まだ操られている生徒がいる。そして彼らは他の生徒を襲おうとしているのだろう。

 俺に今できることは現状を嘆いて膝をついていることでは無い。

 顔を上げて建物の外へと目を向ける。


「行けるか?」


 澄んだ優しい、それでいて力強い声が問う。

 何処にとも言わない、何をするためとも言わない。余計な言葉も説明も不要で、意思だけを問う。

 必要なのはそれだけで良い。何をするために立ち上がるのかなんて決まり切っているのだから。


「ああ。少し無様を見せちまったな。無様ついでと言っては何だが、すまないが少しだけ……、いや全力を貸してくれるか?」

「ふん。当たり前だろ。――ナナエ、助けるぞ」

「ああ」


 生徒を一人助けられなかった。もしかしたら他の生徒も手遅れなのかもしれない。

 だからと言ってここで終わりではない。

 起きてしまったことも、取り返しのつかないことも、後でケジメはつける。

 ただ今は、まだ間に合う生徒がいるかもしれないし、少なくとも今も外で戦っている生徒たちを放っておくことなんてできない。


 まずは周囲の状況を把握しようか。 

 出し惜しみも遠慮も無し。俺は周囲へと魔力を放出した。


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