082 不審者調査依頼2
「お二人は、この街で学園の誰かと会いましたか?」
今までとは打って変わっての真面目なトーンでその場に緊張が走る。
「ん? ああ。この前、学園の先生と会ったかな」
「学園を抜け出した生徒を探してるって言ってたから、成のことも報告に行かないとね」
「先生、すか?」
想定外の答えだったのか、さっきまでの緊張感が嘘のように久龍の表情が素に戻る。
「先生って、どの先生っすか?」
「パソコンの先生よ。成はまだ選択授業に無いでしょうけど」
「そうっすね。パソコンの先生には会ったことは無いかもしれないっすね」
パソコンの先生こと、周東七江は選択科目のみを担当する非常勤講師だ。基本的には自分の授業のためにしか学園にも出勤せず学内行事とも縁がないため、授業を受けている生徒以外との面識はほとんどない。
「ところでパソコンの先生一人で生徒を探してるんすか? ――あれ、なんで二人とも視線を逸らすんですか」
「まあ……。頑張れよ」
「なんの励ましっすか!?」
「成……。しっかりね」
「なんの激励なんすか!!?」
久龍のやらかしを報告した後の矢早銀のことを想像し、二人は口を閉ざす。
ぶっちゃけ教えると十中八九逃げ出すので、実際に向き合うまでは黙っていようと誓ったのだった。
「なんか嫌な予感がするんすけど.......」
「それよりも。さっきの、成は誰か他に学園の生徒と会ったの?」
「そうなんすよ。ついさっきのことなんすけど、葉子先輩にも会って……」
「葉子もこの街に居たの?」
「ついさっきって……」
「久しぶりに会ったから喜びのスキンシップを図ったら、なんか殴りかかってきちゃったんすよね」
ついさっきの出来事を思い出して口をとがらせる。
久龍が会ったという糸識葉子は、轟や保倉と同じ境天寺学園の2年生だ。
「殴りかかるって……、また成がいきなり後ろから飛びついたからじゃないの?」
「そういう風でも無かったんすよね。吃驚してとか怒ってとかいう感じじゃなくて、なんていうかこう無感情な感じと言うか――」
「おいっ」
久龍の弁解を遮って、轟が路地裏の先を示す。
薄暗がりの路地の先、大通りの明るみを背景にして誰かが立っていた。
特徴のないローブを纏い、褐色の肌に肩程まで伸びた銀髪の女性だ。
「あちゃー。葉子先輩に追いつかれちゃったすね」
「彼女が、葉子?」
「追いつかれたって、追われてたのかよ」
「だから殴りかかられたって言ったじゃないっすか」
やれやれと肩をすくめる久龍を小突く。
三人のやり取りを気に留める様子もなく、糸識がゆっくりと路地裏へと踏み入る。
「――葉子?」
久々に会った友人のただならぬ雰囲気に、保倉が声を掛けるがそれに応じる気配はない。
ゆっくりと近づいてくる糸識に表情は無く、虚空を見るような光彩の無い瞳でただ三人を見据えている。
糸識がぐっと手を握り、そして開く。掌からかぎ爪のように直角に曲げた指に、白い糸のようなものが網目状に伸びている。
「何するつもりだ?」
「ちょっとやばそうっすよね」
ゆっくりと歩み寄っていた糸識が、十歩の間合いまで近づくと勢いよく地を蹴った。
一気に三人との距離を詰め一番手前にいた保倉の顔を狙うように手を突き出す。
「――ぼさっとすんな!」
轟が保倉の腕を掴んで力づくで後ろへと引き下げる。後ろのめりに下がった保倉の目の前を糸を纏う手が空振っていく。
しかし糸識は攻撃を躱されて動じることもなく、さらに一歩前に進み返し手で薙ぎ払うように振るう。
流れるように標的を変えて振るわれ手を、久龍が低く身を屈め、轟がバックステップで躱す。
糸識の攻撃は拳や掌打で殴りつけると言うわけではなく、糸のようなものを纏った手で鷲掴みにすることを狙っているようだ。
短い期間ではなあるが冒険者として小型の魔獣とも戦ってきた経験から、轟は上手く間合いを取って糸識の攻撃を躱していく。
「ったく。何なんだよいきなり」
素手で襲ってくる相手なら轟の『帯電』でどうとでもなりそうだが、同級生相手では下手にスキルを使うのも憚られる。
攻めあぐねる轟に対して、久龍は器用に糸識の攻撃をさばいている。
振るわれた手に掴まれないように前腕部分を両手で受け止め、すぐさま両手が不自由なままにならないように弾く。突き出された手を半身を傾けて躱して、目の前に突き出された腕は上方向に弾き上げてしまう。横なぎに振るわれた手を上体を逸らしてやり過ごし、その状態から足を蹴り出す勢いで器用に回転して体勢を立て直す。さらには回転に乗じて腕を振り回して追撃の手さえもいなす。
「――ほい。――よっと」
軽快に掛け声を交えつつ躱し続けるが、さすがに一方的に受けるばかりでは徐々に追い詰められていく。
そしてとうとう久龍の背中が壁にぶつかる。
「おっと」
後ろに下がれない久龍に大ぶりのフックのように手が振るわれる。
久龍はそれを屈んで躱すが、逃げ場を失った久龍を逃がすまいと両手が襲い掛かる。
今度はしゃがみ込んだ足のバネを解放してジャンプして躱し――、着地の音は起きなかった。
「――っと、っと、っと」
まるで猿が木に登るがごとく、鮮やかな手際で建物の壁を登っていく。
あっという間に建物の屋上近くまで登った久龍が安堵のため息を吐いて、眼下の様子を確認する。
「ふう。ちょっと危なかったすね」
「――んな、あいつあんなところまで」
「確かに成はクライミング部だったけど……」
崖登りは久龍にとってはなんて事ない。しかし、今上った壁は競技用の突起物も自然の凹凸もほとんどない建物の壁だ。
つかめる個所など限られていて、現に今ぶら下がっている久龍は壁にはつかまっていない。
久龍の手が引っかかっているのは単なる空だ。
傍から見ればまるで空中に浮いているようだが、久龍は確かに重力に従いぶら下がっている。まさに額面通りに空をつかんでいるのだ。
「さすがにここまでは追ってこれな――?!」
頭上を見上げていた糸識が壁に手をつける。
その瞬間、手に纏っていた糸が壁を伝い始めた。
糸識の手から菌糸状に広がった白い糸は、まさに菌が樹木を浸食するようでもある。
瞬く間に建物の壁一面に広がるが、空を掴んでいる久龍までには至らない。しかし――。
張り巡らされた菌糸に魔力が奔る。
魔力でできた菌糸が一瞬脈動し、爆ぜた。
壁一面に広がった菌糸が破砕音を響かせ、菌糸の跡に沿って砂ぼこりが噴き出す。
「やべえ、こっちだ!!」
「でも成と葉子が……」
轟が保倉を強引に引っ張って路地から出た直後、破砕された建物の壁が崩れだした。
瓦礫が崩れ落ちる中で微かに逆側に退避した糸識の姿が見えたが、すぐに立ち込める砂煙で遮られた。
「――成っ!!、葉子っ!!」
「ねね、大丈夫だ。チラッとが久龍も屋上に逃げるのが見えたからな。それより糸識がまだ襲ってくるかもしれねえ、視界が悪い今のうちにこの場所を離れるぞ」
迷う保倉を説得して、砂煙と瓦礫に身を隠すようにして二人はその場を離れるのだった。