081 不審者調査依頼
薄汚れた路地を二人の冒険者が歩く。
おおよそ日の光も差し込まない裏路地は日中だというのにどこか薄気味悪い。
大通りから一本横道に入っただけだというのに、ジメっとした湿度とうっすらとカビ臭さが漂うのは元の世界も異世界も同じらしい。
「不審者の調査つっても、どこにもそれっぽい奴いねえし。歩き疲れるだけでつまんねえ依頼だぜ」
冒険者の一人、金髪をツンツン立てた轟雷太がうんざりしたようにもらす。
最近、サウールの街中で不審者がいきなり住人を襲うという事件が続き、冒険者組合でもその不審者の調査依頼が張り出され始めた。
本来街中の治安は憲兵の仕事だが、その不審者が神出鬼没な上に物騒なスキルまで使うらしく冒険者にも応援要請が出されている。
「この辺には不審者がいないっていう情報も調査のうちでしょ。大体アンタがこの依頼受けようってわがままを通したんだから、いちいち文句言わないでよ。先生から危ないことには関わるなって言われてるのに……」
緩いウェーブのかかった桃色の髪をゆらしならが保倉ねねが頭を押さえる。
先生に言われたからというのも確かにあるが、それよりもその先生と一緒に居た矢早銀桜の機嫌を損ねないかと言うことが懸念の大部分だ。
中学時代に多少やんちゃをしていた同世代ならば、矢早銀を怒らせるということの恐ろしさは骨身にしみている。
「でもよお。聞き込みしてもどいつもこいつも『またかよ』みたいな反応で面倒そうにされるし。ったく、何なんだよな」
「きっと他にも不審者の調査してる人がいるんでしょ。最近この辺りで不審者を見かけたって話は本当らしいし、可能性のある場所を地道に探すしか――」
「ねねせんぱーい♪」
貧民街の裏路地には似つかわしくない能天気な声と共に、いきなり現れた何かが保倉へと衝突する。
背後から腕と脚を回してしがみ付くそれに、ややバランスを崩しそうになりながらも苦言を呈する。
「そのバカ元気な声とガキみたいな突進……、久龍か?」
「な~るぅ~!!」
思いもよらぬ知人の襲来に戸惑う轟に対して、いきなり飛びつかれてちょっとだけびっくりした保倉の声はすこしばかり怒りに震えている。
久龍成。境天寺学園の1年で轟や保倉にとっては後輩にあたる。
一見すると華奢で小柄に見えるが、実際はクライミング部に所属する鍛えられたアスリートだ。
たまにその力で加減なく抱き着いてくるという悪癖はあるが、快活で人懐っこいために上級生にも可愛がられている。
早く降りろと叱られた久龍がひょいッと保倉から飛び降りる。
「ねね先輩、お久しぶりっす!!」
「相変わらず元気ね、あんたは……。というか、あんたも学園から出てきちゃってたのね」
「そういうねね先輩と轟先輩も抜け出してきたんすね。こんなところで何してるんすか?」
呆れる保倉に久龍が悪びれる風でもなく聞き返す。
くるりとした瞳は純粋そのもので、同じく学園を抜け出しているので先輩としてちょっと後ろめたい。
「まあそれはそうなんだけど……」
「俺らはこの辺に出るっていう不審者の調査をしてるんだよ。その不審者についてなんだが、久龍は……、違いそうだな」
久龍の服装はやたらと軽装で、不審者の目撃情報にあった目深にフードを被ったマント姿の人物とは当てはまらない。
「それで、成はなんで学園から出てきちゃったの?」
「いやあ、お姫様を見てみたいって思ったんすよねえ」
「はあ?」
「あんた何言ってんの?」
軽い調子で答える久龍に、思わず呆れた声を漏らす。
「折角こんな剣と魔法のファンタジーに来たんすから、本場のお姫様に会ってみたいじゃないすか」
本場というなら元の世界の有名な王室がそうなのだが、久龍にとってはおとぎ話に出てくるような人物を求めているらしい。
「そういう現実的なお姫様じゃないんすよ。大きなお城に住んではたまにお城を抜け出して冒険に向かう。テニスとゴルフとカートレースを嗜み、カブを投げて、空中を浮遊して、ほどよく大魔王が攫っていくような、色白金髪碧眼のピンクドレスを着たパラソルとフライパンを振り回すちょっとお転婆なお姫様なんすよ!」
「そのお姫様像はなんなの?」
「そんなけったいなお姫様、この世界にもいないだろ」
「それで王城に忍び込んだんすけど」
「あんた何やってんの?!」
「お前何やってんの?!」
さらりと加えられた蛮行に思わず声を揃えてツッコむ。
言葉では簡単に言えるが、王城とは国家の最重要拠点だ。衛兵の数は言うまでもなく、スキルによる監視網が張り巡らされている。
「やっぱり王城は警備が厳重で直ぐに見つかっちゃって大変だったんすよ」
「そりゃそうだろうけど。それで大丈夫だったのかよ」
「いやそれはもう必死で逃げましたよ」
笑い話のように語っているが、国のトップの住まいであり国家運営の中枢である王城への侵入は重罪である。捕えられれば拷問であるだけの情報を吐かされ、後は見せしめのために斬首か縛り首だろう。
「そしたら晴れて指名手配されちゃって、王都から逃げてこの街に来たんすよ。あ、これ手配書っす」
「「手配書っ?!」」
「防犯カメラとかない世界だからってなめていたんすけど、いやはやこの世界も侮れないっすね。この人相書きもなかなかの出来っすし」
「お前ほんと……、お前なあ……」
「成……。これ本当にどうするのよ」
手渡された手配書に描かれているのはまるで忍び装束のような衣装の人物だ。
人相については似ていると言われれば似ているくらいには特徴を捉えている。つまりは役人に見つかれば有無を言わさず連行されるだろう。
「大丈夫っすよ。この街までは手配書も広まってないみたいなんで」
「つまり王都には広まってんだな……」
「この状況って学園としてかなりまずい状況なんじゃないの?」
現在、境天寺学園は王都の目の前に存在している。
迅速な王国との取引により表向きはその土地での居住を許されてはいるが、実際漂流者のこの世界での権利など無いにも等しい。
誰かの血縁でもなく、なんの後ろ盾も無い。そもそもそこにいるはずの無い人間だからだ。
唯一その権利を尊重されているのは、漂流者が王国にとって有用であると判断されているからだ。その上でも学園への侵入者など、水面下の攻防は行われている。
王国への損失あるいは脅威とみなされれば、どういう状況になるかは火を見るよりも明らかだ。
「ちゃんと制服も着替えて潜入用の恰好してたっすし、たぶん学園の関係者とはバレてないっすよ」
当の久龍は能天気なものだ。
正直、轟と保倉にもこの件をどうにかすることはできない。
ひとまずは久龍のことがバレないようにしながら、学園に相談するしかないのだ。
「そんなことより――」
「そんなことってお前なあ」
「私もちょっと聞きたいんすけど……」
そこでふと久龍の声色に真剣みが帯びる。
「お二人は、この街で学園の誰かと会いましたか?」