078 貧民区4
魔力を流し込むことで少しでも野津の容態を回復させられないか、俺はゆっくりと野津の背に手を当てる。
傷口は炎症で焼けるように熱くなっているが、それ以外の部位は青ざめるほどに体温を失っている。
「おいお前ら、新入りに何するつもりだ!」
「治療を試みるだけだ。ナナエが新入りとやらに危害を加えることはないから、悪いが邪魔はしないでもらうぞ」
ガイウスが言葉を荒げる。
治療と聞いて懐疑的ではあるが、ノエルの言葉でしぶしぶ様子見の姿勢を取る。
背中に当てた手から少しずつ魔力を流し込んでいく。
ゆっくりと身体の中の魔力の流れを探っていき、か細く流れる魔力の循環が感じ取れた。
これが野津の通常回路だろう。もとからある流れを補強するように、魔力をなじませながら少しづつ流し込む魔力の量と循環速度を上げていく。
最初はジョウロから少しづつ漏れ出る程度だったのが、全開にした蛇口から噴き出す水流のように勢いづく。
野津の体温が徐々に熱を帯びるのが伝わってくる。傷口が発熱するのとは違う、体の芯から上気するような熱さだ。
少しづつ息が荒くなっていき、喉が鳴るようなうめき声が漏れる。
「おい、大丈夫なんだろうな」
野津の様子にガイウスがたまらず声を荒げるが、それに答える余裕はない。
ようやく魔力の流れが安定してきたところで、気を散らしてそれを乱したくないのだ。
魔力を流し始めて十分近く経った時、ようやく変化が現れた。
「先生、野津先輩の傷が!」
「驚きだけど、出血もだいぶ止まってきたみたいね」
容体を確認していた三嶋と矢早銀が驚きの声を上げる。
包帯を緩め、顕わになった傷痕は完全に消えたわけではないが、傷口の断面は完全に閉じつつあるようだ。もうどろりとした血液は流れ出してはいない。
荒くなっていた野津の呼吸もだいぶ安定してきて、苦しげだった表情も幾分和らいでいる。
「これは……、そんなことが……」
「どうかしたのか」
「いやこの者の状態だが……、『能力向上』なのか……。しかし本人の意識はまだ無いはず。とすると、ナナエが魔力を流し込んで発動させたということなのか」
『能力向上』は『スキル』のように特定の術式を描く必要がない。体内の魔力経路を魔力が流れ、十分にエネルギーに満たされたことで身体能力が上昇している状態のことだ。
魔力を流すことに集中していて気づかなかったが、野津の『通常回路』の魔力循環はかなり速くなっている。そしてそれは、『能力向上』が発動する域にまで達していたようだ。
それからさらに数分間魔力を流し続けた。
野津の傷はすべて塞がり、痛々しい傷痕は残っているが再び開いて出血することは無いだろう。
呼吸も安定し、回復に体力を使ったからか今はスウスウと寝息を立てている。
「信じられねえ。ほとんど死にかけだったってのに……。お前、治癒スキルでも持ってたのか?」
ガイウスたちが驚嘆の声を上げる。
魔力を流し込んだだけだと説明しても、なかなか信じられない様子だ。
確かに『能力向上』によってあれほどの傷でも治癒するというのは驚きだ。
とはいえ、実際あれほどの重傷を負えば『能力向上』を維持することもできないだろうから、実戦で効力を発揮することは無いだろうが。
魔力を流し込むのはこれくらいで大丈夫だろう。
ひと段落したところで立ち上がろうとしたが、上手く力が入らなくてよろけてしまう。
「大丈夫か? ナナエ」
「ああ、悪い。ちょっと疲れたみたいだ」
「それはそうだろう。これだけ長い時間、魔力を放出して操作していたんだからな」
倒れそうになった体をノエルが支えながら言う。
「先生すごいですよ。あんなに重傷だったのに!」
「本当に信じられない光景だったわね。見る見るうちに傷口が塞がっていくなんて。どの程度の傷まで治せるのか工平で試してみましょうか」
「矢早銀さん?! 発想がマッドすぎるんだけど!」
二人も安心したのか普段の調子に戻っている。
最初は助けられるか不安だったが、ひとまずは生徒を死なせずに済んで良かった。
とは言え不審者の問題と野津がマフィアに関わっているという問題がまだあるわけだが。
野津が目を覚ましてから、その辺の話を聞かなくことにしよう。