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4.麗しき籠の鳥


 結果として、日課となったお茶会の場で、シリルはカメリアの望む答えをくれることはなかった。

 しかしあまりに暇を持て余しているのだと熱弁した甲斐あってか、軽い妃教育が日課に加わることとなった。

 やってきた教育係はブラントン侯爵夫人で、教わることは基本的なマナーや歴史ばかりではあったけれど、それでも婚約者候補として前に進んでいる実感がカメリアの心を助けた。


 シリルとのお茶会も妃教育も午後からだ。

 午前中は変わらず庭園を散歩して、気持ちのままに歌を歌った。

 相変わらずどこからか視線は感じるけれど、次第にそれも睨めつけるような嫌なものではなく、穏やかなものに変わっていた。

 

 シリルとのお茶会もいつもと変わらず、軽く話して歌って終わる。

 激しい恋情ではないものの、着実に未来の旦那様としての敬愛の念は積み重なっているのを感じる。

 妃教育だってすでに知っていることばかりではあったが、改めて学び直すのも楽しいものだ。

 

 そうした日々を過ごして二ヶ月ほど経っただろうか。

 いつものように庭園を散歩していると、見慣れない男性たちがこちらをじっと見ながら話しているのに気がついた。

 シリルの命で男性と話すことを禁じられているカメリアは、軽く会釈だけして立ち去ろうとした時、はっきりと聞こえてしまったのだ。

 自らが籠の鳥姫と呼ばれていることを。


 かの令嬢はまるで王子に飼われている小鳥のようだ。

 籠の中で羽ばたくことしか許されず、飼い主の寵愛を求めて鳴く様はなんと哀れなことだろう。

 恋多き王子はすでに別の鳥を愛でているというのに可哀想なことだ。


 そんな会話が聞こえてきた時、カメリアはがつんと殴られたような衝撃を受けた。

 

 穏やかになったと思った視線は哀れみに変わっただけだった。

 逃げ出すこともできず、王子の心が離れていることにも気付かず、ひたすら求められるままに歌うカメリアの姿はシリルに、他の者の目にどう映っていたのだろうか。


 その日、初めてカメリアはお茶会を欠席した。

 自室に戻りニナに噂話について聞いてみると、途端に顔を青白くして、たちまち涙を流しながらカメリアのことをきつく抱きしめた。

 

 いわく、王宮に来て少しした時に侍女たちから聞かされたのだという。

 品行方正で完璧な王子に見えていたシリルは、何人もの女性をこの離宮に囲み、飽きたら有無を言わさず捨てるような非道なのだと知った時、王宮行きを喜んだ自分を殴りたくなった。

 何度も伝えるべきだと思ったけれど、毎日シリルへの愛を深めようと健気に頑張っているお嬢様を見ていると、こんなことはとても言えなかった。


 ごめんなさい、ごめんなさいと何度も謝りながら涙を流すニナに、カメリアはただ抱きしめ返すことしかできなかった。


「まだその噂が本当か決まったわけじゃないわ。私、シリル殿下に直接お尋ねしてみようと思うの」


 そう言ってみたものの、シリルがはっきりと答えてくれるわけがないと感じていた。

 好きなお菓子を言えば翌日のお茶会で振る舞われるような小さな要望はすぐに叶えてくれたけれど、妃教育をはじめとした、正式な婚約者へ歩みを進めるような行動はあまりにも緩慢としていたからだ。

 邪魔になったらいつでも捨てられるように、敢えて教育を進めていなかったんだと、カメリアは悲しくも腑に落ちる思いだった。


 *****


「ここでの生活が合わなくて領地に帰ったご令嬢ももちろんいるとも。あくまで君たちは婚約者ではなく、婚約者候補なのだから」


 翌日のお茶会で噂話についてそれとなく尋ねてみると、シリルは悪びれた様子もなく答えた。

 ここでの生活が合わない、なんて追い出すための体のいい方弁でしかない。

 今まで何度も聞かれたのだろう、慣れた様子ですらすらと話すシリルの姿が昨日までとは別人のように思えた。


 いつものようにお茶会を終えて帰っていくシリルを見送ったあと、カメリアは一人で考え事をしたいからと庭園へと向かうことにした。

 ニナも連れずに向かった先は、広い庭の中でも隅の方にある小さなガゼボだ。

 あまり人気のないこの場所が、王宮で見つけたカメリアのお気に入りだった。


 ベンチにそっと腰を下ろすと、周りに誰もいないことを確認してから、静かに歌い始める。

 これは悲しみや戸惑いや憤りでごちゃごちゃになった頭の中を空っぽにするための歌だ。

 何も考えずに、ただ思いのままに声をメロディに乗せて、すっきりするまでひたすらに歌うのがカメリアのストレス発散方法だった。


 歌声に惚れたと言われて少なからず嬉しかったこと。

 領民たちの期待に応えたいと思ったこと。

 毎日言葉を交わして歌を聴いてもらう時間は楽しみの一つになっていたこと。

 けれど、今はシリルを信じられなくなってしまったこと。

 胸中に渦巻く様々な想いは歌声だけでなく、いつしか涙となって溢れ出していた。


 カメリアは心の赴くままに歌い続けて、いつしか一刻ほどの時間が経っていた。

 その表情は憑き物が落ちたようにすっきりとしていて、涙の泉もすっかり枯れてしまっている。

 休みなく歌いっぱなしだったせいで喉は少し枯れているものの、ニナにハーブティーを淹れてもらえば問題ない範囲だろうと思った。


 軽い散歩のつもりだったのに心配させているかもしれないわね。


 最後に伸びをひとつしてから離宮に帰ろうとガゼボから一歩踏み出したカメリアは、庭木の陰からこちらを見ている一人の騎士と目が合った。

 もしかして、泣きながら歌っているみっともない姿をずっと見られていたのだろうか。

 それが貴族令嬢として気品に欠けた行動であると自覚していたカメリアは、あまりの羞恥に目の端で枯れた泉が湧き出すのを感じた。

 真っ赤な顔で瞳を潤ませるカメリアを見て、男はぎょっとした表情で駆け寄ってくる。


「すまない、まさか泣かせてしまうとは思わなかったんだ」


 突然話しかけられてびくりと肩を震わせたカメリアに、オロオロした様子で男は続けた。


「歩いていたら美しい歌声が聞こえてきたものだから、つい気になってしまって……盗み見は良くないと分かっているのだが、どうしても離れられずに」


 しどろもどろに言い訳を続ける男の姿は、まるで悪戯が見つかった子供のようで、思わず笑みがこぼれる。

 今度は男の方が羞恥でうっすらと頬を赤くする番だった。


 落ち着いたカメリアは改めて男の姿を見てみると、シリルと同じ髪の色をしていることに気がついた。

 陽の光を反射してキラキラと煌めく銀糸の髪を持つ人間はボードリエ王国でもごく僅かである。

 気付いた瞬間、カメリアは色付いていた頬から途端に熱が冷めていくのを感じた。


「エルネスト殿下におかれましては、ご機嫌麗しゅう……! このようなものを殿下のお耳に入れてしまい、大変申し訳ございません」


 慌てて淑女の礼を取り頭を垂れる。

 王宮騎士団の服装ではあるものの、さらさらと流れる銀髪をすっきりと整え、シリルよりも一層深いサファイアの瞳でカメリアを見つめるのは、ボードリエ王国第二王子エルネスト・ボードリエその人だった。


 

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