《溶ける海豚》
《溶ける海豚》
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『川が汚染されている?』
以前襲撃した廃墟の影で、翼を休めていたアヴラム。
水浴びをしようと川へ向かったジークの話を聞く。
この旧市街の水道が正しく流れていることはなく、
地盤沈下などでむき出しの給水路によって出来た小さな滝や川を利用する。
下水と交わるポイントは汚いが、上流を狙えばその問題は薄まる。
『確かに、人がいなくなった街だ、水道施設を管理するものもいないしな』
極論を言えば、給水が出来るならば、同時に汚水を流す排水溝も通っている。
長い年月から、管理された水の流れがおかしくなっても不思議ではなく、
そうなれば彼女が利用する場所も・・・・・・。
「ジーク、ここに連れて行って」
彼女はボロボロになった厚紙を取り出す。
何枚にも折りたたまれたそれは観光マップで、
そこには彼女のメモが記されている。
綺麗な水、と書かれたその場所は、この地点から数キロ離れている。
『明るい内は誰かにみられる可能性が高い、夜に飛ぶぞ』
「分かった」
そして、夜。降り立った場所は、
『まんま森林の川じゃないか』
「この先」
そしてまた数キロ歩くと天然の滝壺がある上流へと到着。
激しい滝の流れに対して平らな場所だったのか、
水は大きく拡がりながら下へと流れている。
アヴラムも易々とつかれる広さだった。
『ここは奥の手だったのか?』
「真ん中は深そうだから、私は端でしかつかれない」
そう、この水源は水浴びに利用するには難しい深さがある。
『今まで選んだ場所は清潔で快適だったかが、これからは快適さがなくなるか』
「貴方が入れば?」
『考えて見ればそうだな』
その提案に頷き、アヴラムは飛び込んだ。
アヴラムはその瞬間気付いた。
つい人間だった時の感覚が抜けず、勢いをつけてしまった故に、
小さな津波が出来て、ジークを襲う。
「・・・・・・」
『あ・・・・・・』
「・・・・・・」
沈黙が続く。
「これからは貴方の専用・・・・・・?」
びしょ濡れになった彼女の問いかけ。
そうした方が良いかも知れないと、アヴラムも頷いた。
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アヴラムは過去の女の事を思い出した。
朧気だが、共に夜を明かした後の入浴は女が先だった。
男よりも時間が掛かる、という事情は理解はしているつもりだ。
だが、こんな世の中では事情が違う。
ジークの生活は、過去の自然災害から避難した人々以下の生活だ。
助け合うこともなく、自分一人ではどうにも出来ない廃墟で、敵の屍を食し暮らす。
それでも、彼女が人間で、女であろうとするなら、
『俺が浸かった場所からの水流も遠慮するかも知れない』
彼女が求める水は、もう殆どないと考えても良い。
ジークと共に大陸を横断した時の海の色は深い黒蒼から微生物の色に染まり果て、
海岸には波によってゴミや瓦礫、巨大な海月やイソギンチャクがうち捨てられている。
彼女がこれから先、そんな鮮やかな色の付いた水を啜るような様をするのか、
野菜や肉を煮詰めたスープと、顔料や薬剤を溶かした液晶素材は、比べるまでもない。
考えれば考えるほど、吐き気がした。
『ジーク、明日は各所の水道施設をまわろう、お前に都合の良い場所があるハズだ』
人類が消え、人外すらも殲滅されたこの地区、可能性は薄い。
次の襲撃の前の、確認も兼ねた散策が始まった。
そして、《--市立・--水道局》
大破した交通ジャンクションの隣に設けられた大きな施設だ。
人外達の暴動が起きている。
「生き残りがこんなにも・・・・・・」
彼女は取り逃していたことに悔しがっていたが、
『待て、今は敵対するな』
幸い奴らも、こちらが敵だとは認識出来ていない。
近寄り、話を盗み聞きする。
『風呂をわかしたと思ったら凄まじい激臭がする』
『まるで龍のウン・・・・・・ウロコを燃やしたかの様な臭いだ』
『うちの子が水を飲めば、痛い痛いと騒ぎだし』
『こっちの子はドラゴノイド種になったかと思えば、すぐに消滅した!』
『賠償金!金!』
まるで人類が味わった水質汚染による公害病被害のデモが再現された様な光景。
「アヴラム・・・・・・」
昨日の滝の水源が、水道施設の一つである取水施設にも通じているならば、
更にその先にあるであろう浄水施設でも除去されない物質がアヴラムから・・・・・・。
『・・・・・・どうやら、一部の水道は奴らに管理され生きてる様だな』
黒龍アヴラムはジークの視線を無視し、事情をすり替える。
「貴方達はどこから来たの?」
ジークは、彼女自身から逃げ延びた彼らに聞いた。
「ああ、向こうの廃墟よりも快適な避難場所が・・・・・・。」
怒りから感情激しく語る者達。
情報を整理すると、どうやらここ数年で、ある少女・・・・・・やはりジークに、
家族や住居等を奪われた者達が集まり隠れる場所が出来たそうで、
ここ数年間で広がった地下空間で生活しているそうだ。
『ぐえ・・・・・・』
『ぎゃあ!?』
『イタい・・・・・・イタいよお・・・・・・』
その後、周囲のデモを行う者達全員の息の根を止めたのは言うまでも無い。
『気が済んだか』
感情の乏しい故に、彼女が見せる僅かな行動に、喜怒哀楽を判断する。
「アヴラム、昨日の滝へ戻りましょう」
『な・・・・・・!?まだこの奥にも敵が・・・・・・』
「良いから、帰りましょう」
『・・・・・・・・・。何を考えて・・・・・・、まさか・・・・・・』
黒龍は、ジークの静かな顔の裏にあるどす黒い何かをみてしまった気がした。
アヴラムが水源に浸かり、その翌日。
水道施設に向かう、別の住民の行列を発見する。
恐らく昨日から帰ってこない者達を心配したのか、それとも増援か。
『奴らの拠点の方角はあっちか、ここまで分かった以上、続ける必要も・・・・・・』
どちらにせよ、《アヴラムによって汚染された水の被害が続いている》
「いいえ、数日繰り返すから」
『鬼め・・・・・・、分かったよ、今夜も滝に浸かるとしよう』
そしてアヴラムはデモの行列に火球を落とした。
一週間続いた。
デモの増援は徐々に少なくなるも、完全に途絶えるのに一週間、
そして確認の為に一週間アヴラムは水源を自分の身体から滲む物質で汚染させた。
『ジーク、お前には影響がないのか?』
「貴方と遭遇した時には、少し身体が痒かった」
『5年も俺と一緒にいたらしいが、それで耐性が出来たのか』
アヴラムは可能性を考えるも、そうなると己と同じタイプの化け物は、
他とどう接しているのか気になってきた。
前のデモの言葉通りならば、ドラゴンの代謝物を燃やしたような臭い、
ドラゴノイド、といったワードから、僅かなイメージが浮かぶ。
『あるいは、お前が、お前だからか、なんてな』
人間タイプだからか、という可能性の言葉は、彼は言えなかった。
だから、こそ、言葉を選んだ。
「どういう意味?」
『俺にとって特別なんだろうということだ』
「・・・・・・よく分からないけど、そうなのね」
そして、化け物が管理する水道局へと向かう。
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「どこから突入すべき?」
地図が描かれた大きな標識がある。
市の水道の頂点であるこの施設の広大さは、
高速道路のジャンクションがあり人が住む場所ではない地区だからこそか。
その地図から、法人が有する私道を辿れば、小さな診療所もある。
おそらく水道局の従業員が体調を損なった時にすぐにアクセス出来る。
そんな場だったのだろう。
『俺に聞くのか?・・・・・・まずこのルートは見学ルートだから、その逆だろう』
一般人が入れる見学ルートに、機器を操作する装置の部屋に繋がる訳がない。
水道を動かせる部屋は関係者以外立ち入り禁止のルートから繋がる。
彼女が殺す人外の従業員もそこにいる。
「以前はここに化け物の気配は無かった」
『俺達が別の地へ向かった隙に移り住んだんだろさ』
低空飛行で、元法人の私道を駆け、周囲の小さな建物や倉庫を探る。
「・・・・・・」
投げ捨てられたボロボロの地図から消去方で探すなか、
中央の施設に繋がる入り口を発見する。
正面の門とは丸々裏だ。
『この入り口は俺には入れない、ジーク一人でいくしかないだろう』
「分かった」
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内部は補修されてない壁や上の階へと繋がる穴の空いた天井が目立つ。
どうやら施設全てを修復した訳ではなく。
生き残った装置に動力を与えて、同時に残った水道を避難所に繋げたのか。
あるいは、その水道が繋がった先を避難所にしたのか。
そして、避難所を拠点にしていた彼らの多さと、この施設の静かさから、
少人数で管理していた、最悪専門家が一人というパターンも予想出来る。
『・・・・・・なんだ、またデモ?』
そして上階の一室、多くの端末と制御機器が置かれた部屋に一人いた。
目が見えない程の長い髪、そして小さな体躯。
人間に近い外見だが、
衣服以外の露出した腕や脚は魚を思わせるウロコが出来ており、
肌も不気味なまでに潤いがあり、滝の汗を掻いたかのように見間違うほど。
「・・・・・・」
『珍しい?無理もないね、比較的《亜人》は水中に適用する身体にはならない』
更に、乾燥に弱い両生類にもなることは少なく、
体温調整の難しい爬虫類にもなることは僅かだ。
「・・・・・・」
刀を抜刀するジーク。
『ああ、あんたが噂の同族殺し・・・・・・、いや、《人間タイプの亜人》か』
『そんなに腹立たしい?化け物に人類の文明が掌握されてるの』
「ええ、目覚めたら何食わぬ顔で暮らす敵をみれば、ね」
そして彼女は長きに渡って一人孤独に殺し続け、
龍を引き連れた今、過激さは増し、噂が広まり出す。
『僕の名はエゾリー。タイプはマーマンと言えば良いのか』
「ママがタイプ?熟女好き?人妻派?」
『・・・・・・男性の人魚のことだけど。まあ君の様な肉付きのない女は好みじゃない』
「へえ」
『って、なにを言わせるんだい!というか、デモ。君の龍が関わってる?』
「そうね、思いつき」
ノリの良い相手だが、どうやら刃を向けられても余裕そうだ。
『思いつきでエグいことをやってくれるね』
エゾリーの説明は続く。
『君の龍は、亜人とは違うカテゴリでね、というよりも分類が難しい』
『大型のやつは、亜人の繁殖で生まれることはない』
『人が《白き風》に侵され、崩壊し再生する中で、大きな異常がある場合に』
『誕生するオリジナルなんだ』
その説明に、ジークは納得した。
アヴラムは自身が人間だった頃に、特殊な戦闘機のパイロットだったと。
その戦闘機で亜人の勢力と戦い敗れ、殉職したなら・・・・・・。
何があってもおかしくない。
『特に、大きなエネルギーの近くにいた時とか、その可能性が高そうでね』
何故、そう結論出来るのか。
『この水質に混ざり始めた物質は、僕らには有害なものだ』
『飲食等で取り込めば、その強さに身体が耐えられなくなる』
以前のデモの発言、ドラゴノイドに変わった後、消滅する言葉を思い出す。
『飲んでみるかい?うちで浄水しきれなかった水だけど』
透明なグラスに注がれた、不純物の見えない透明な水。
グラスは二つあり、その一つをエゾリーは一気に飲みあげた。
「有害じゃないの?」
『マーマンなら、どんな水も我慢出来る』
身体に帯びる水気が垂れる、その勢いがました。
取り込んだ水から代謝の形で不要な物質を体外へ流す。
「・・・・・・」
彼女もグラスの水を飲んだ。
『!?、少しは躊躇うと思ったけど』
「この程度で私を殺せる訳ないでしょう?」
悔しがるエゾリーは身体を《溶かし》、ゲル状になって、彼女を襲う。
『君が水を飲まなかった瞬間に、この姿で逃げるつもりだったけど、やめだ』
『そして逃げた後、龍にいってやるつもりだったさ』
回避するジーク、刀を振るうも、ゲル状態のヤツに手応えはない。
「趣味の悪い」
『インセクトタイプの巣を燃やし回ったらしい君に言われるとはね』
彼女の首にまとわりつき、ゲルの圧によって、絞殺を狙うエゾリー。
『インセクトタイプはその増殖性から大型の巣を作れるが』
『巣以外で暮らせば死にやすいという、田舎者だ』
そして、彼女が殲滅したこの地区をのぞけば巣は幾らでもあるだろう。
『そんな奴らを殺して、自己満足してただけなんでしょう?』
そういわれてしまう。
ジークの目の色が変わり、手の平にゲルを蒸発する程の熱が帯びる。
エゾリーは苦い声を出し、ジークの拘束を解く。
「ええ・・・・・・、幼虫の様な子供達を踏み潰した時の親の複眼を見れば、心が晴れるわ」
無表情に語る。
「あの幾つもの眼に、私を映す」
「私を殺そうとも、私の炎に焼かれ、この刃で脚を千切られる」
「その高揚は、どこから湧くのかしら」
もしも、彼女ではなく、
別の種が、例え人間ではなくとも敵対する存在が繁栄してる様をみれば、
腹立たしいと思うだろう。
彼女の心情や動機は、そんな単純なもので。
『なら、何故龍と同盟した、君でも殺せなかったのかい?』
上半身を人間に近い姿に戻し、問う。
「・・・・・・貴方に言う必要はない」
『図星』
「・・・・・・そう、殺せなかった、だから、最後に殺すと約束した」
『・・・・・・』
エゾリーは考えた。
彼女の思惑以外に、龍にも、何か事情があるのではないかと。
ジークが刀を構え、突進するその瞬間。
床に亀裂が走り、崩れた。
僅かな戦闘が切っ掛けで、老朽化していたその床に限界が来たのだった。
瓦礫の中から這い出たジークと、易々と隙間からゲル化で抜け出るエゾリー。
『それじゃあドラゴンを殺す直前に、僕を殺すという約束は、無理かな?』
「・・・・・・」
『これでもアイツらの知識はあってね、きっと、役に立つよ』
「信頼出来ない」
『正直君や龍には勝てそうにない、いずれ殺されるなら最後辺りで・・・・・・』
「どうして殺されたくないの?」
命乞い、人間なら生存本能から、その行為をすることもあっただろう。
だが、自らを人間の上位者等と称する存在の一人・・・・・・。
違和感故に、疑惑がある。
『生存本能もあるけど、未練もあるよ、人間だったころのね』
その未練が果たされるまで、死ぬことは出来ないと彼は言う。
「・・・・・・」
ジークは、エゾリーの眼をじっと見詰め、長く考え、結論を出した。
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『それで、コイツをどうするんだ』
『近寄らないでくれる?君に触れるだけで、僕の身体は毒が回る』
「ドラゴンの背には乗れないのか、やっぱり切る?」
『・・・・・・一日中は無理だけど、吐き気を我慢すれば・・・・・・』
『おいおい、俺の背中で吐くなよ?』
「吐かないでよ?」
『言葉のアヤだからね!』
その後、三人は、アヴラムに汚染された亜人の避難所を襲撃し、壊滅させた。
初稿2018/05/13 16:32